映画評「街の灯」
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1931年アメリカ映画 監督チャールズ・チャップリン
ネタバレあり
映画評論家に映画史上のベストを選ばせると、チャールズ・チャップリンの作品では「黄金狂時代」(1925年)が必ず上位に食い込むのだが、僕の頭脳は未だにあの作品の凄さが掴み切れないでいる。その点ぐっと叙情的で大衆的な喜怒哀楽に富んだこちらにはピンと来る。
広場で除幕式が行われ、いざ幕を取っ払ってみると、像の上に浮浪者チャーリーが眠り込んでいる、という開巻直後の場面から絶好調で、映画史上でも稀に見る上手さの主人公紹介である。
続いて、チャーリーが親切心から盲目の花売り娘ヴァージニア・チェリルから花を買うが、そこへ通りがかった紳士が紙幣を渡した為彼女は彼を富豪と勘違いする。
この勘違いが作品の基調となって最後まで楽しませてくれる最大要因である。
さらに続いて、泥酔して入水しようとしているところを助けられた富豪ハリー・マイヤーズは恩人のチャーリーを友人扱いするが、この富豪氏、酔いから覚めるとすっかり酔っている時の記憶を失う。この設定が終盤大いに効いて劇的に大変盛り上がることになる。
この富豪氏には大いに笑わせて貰えるが、笑いと言えば彼女と祖母の家賃を払う為にチャーリーがアルバイトとして参加するボクシングの場面には抱腹絶倒、チャップリン映画のお笑いの中でも1、2位を争う可笑しさである。ナイトクラプでの珍プレイの数々も可笑しく、場違いの場所にいる登場人物が織りなす笑いの典型を示して誠に秀逸。
さて終盤、富豪氏から娘の目の手術用に1000ドルを貰った後強盗が登場、昏睡から覚めた富豪氏がチャーリーを知らん男だと言ったものだから哀れ浮浪者は塀の中に入ることになるも、その前にお金を娘に渡していた為所期の目的は達成される。
凡そ半年後出所してさらに貧しさを増した彼が、目の見えるようになった娘と彼女が開いた店の前で再会する。恩人とも知らず子供たちに虐められるチャーリーを笑う彼女。しかし、哀れをかけて触った手の感覚から彼が恩人と気付く。この場面の、「あなたでしたの」という有名な字幕を挟んでの呼吸が実に素晴らしい。目では解らなくても手が解る。
全編映画作りのお手本のような作品の中でも白眉とも言うべき幕切れで、その前に彼が何気なく手に触れさせないようにしている配慮も感動的だ。
僕はやはりこの作品が一番好きであります。
「まちのひ」なのか「まちのあかり」なのかそれが問題じゃ。
1931年アメリカ映画 監督チャールズ・チャップリン
ネタバレあり
映画評論家に映画史上のベストを選ばせると、チャールズ・チャップリンの作品では「黄金狂時代」(1925年)が必ず上位に食い込むのだが、僕の頭脳は未だにあの作品の凄さが掴み切れないでいる。その点ぐっと叙情的で大衆的な喜怒哀楽に富んだこちらにはピンと来る。
広場で除幕式が行われ、いざ幕を取っ払ってみると、像の上に浮浪者チャーリーが眠り込んでいる、という開巻直後の場面から絶好調で、映画史上でも稀に見る上手さの主人公紹介である。
続いて、チャーリーが親切心から盲目の花売り娘ヴァージニア・チェリルから花を買うが、そこへ通りがかった紳士が紙幣を渡した為彼女は彼を富豪と勘違いする。
この勘違いが作品の基調となって最後まで楽しませてくれる最大要因である。
さらに続いて、泥酔して入水しようとしているところを助けられた富豪ハリー・マイヤーズは恩人のチャーリーを友人扱いするが、この富豪氏、酔いから覚めるとすっかり酔っている時の記憶を失う。この設定が終盤大いに効いて劇的に大変盛り上がることになる。
この富豪氏には大いに笑わせて貰えるが、笑いと言えば彼女と祖母の家賃を払う為にチャーリーがアルバイトとして参加するボクシングの場面には抱腹絶倒、チャップリン映画のお笑いの中でも1、2位を争う可笑しさである。ナイトクラプでの珍プレイの数々も可笑しく、場違いの場所にいる登場人物が織りなす笑いの典型を示して誠に秀逸。
さて終盤、富豪氏から娘の目の手術用に1000ドルを貰った後強盗が登場、昏睡から覚めた富豪氏がチャーリーを知らん男だと言ったものだから哀れ浮浪者は塀の中に入ることになるも、その前にお金を娘に渡していた為所期の目的は達成される。
凡そ半年後出所してさらに貧しさを増した彼が、目の見えるようになった娘と彼女が開いた店の前で再会する。恩人とも知らず子供たちに虐められるチャーリーを笑う彼女。しかし、哀れをかけて触った手の感覚から彼が恩人と気付く。この場面の、「あなたでしたの」という有名な字幕を挟んでの呼吸が実に素晴らしい。目では解らなくても手が解る。
全編映画作りのお手本のような作品の中でも白眉とも言うべき幕切れで、その前に彼が何気なく手に触れさせないようにしている配慮も感動的だ。
僕はやはりこの作品が一番好きであります。
「まちのひ」なのか「まちのあかり」なのかそれが問題じゃ。
この記事へのコメント
「まちのあかり」はマチャアキの歌のタイトル。つうか、歌詞が“まちのあかり”ってなってますから。
好き嫌いでいっても「黄金狂時代」とこれは僕の中では甲乙つけがたい作品でありまして、笑える度でも勝負がつかない感じですな。
どちらのチャーリーもいじらしいほどの純情男なのが捨てがたくなるわけです。
泣ける度ではこっちの方が一枚上かもですが・・・。
>マチャアキ
このシングル買ったような・・・いや、買ったのは「さらば恋人」だったかな(笑)
「ともしび」とも読めるし、灯という字は実に嫌らしいですね^^;
「黄金狂時代」はバージョンが二つあるというのがすっきりしないところでもあります。大勢には影響がないのかなあ。
僕には「黄金狂」はドライ、こちらはリリカルという気がします。
この作品ではチャーリーが車の運転をまがりなりにできるのにびっくり、或いは昔は本当の紳士だったのではないかと思ったりもしました。
あの幕切れ、最高でしたね。
この作品は最高ですね。何度観ても飽きません。
昔、チャリーは大富豪のボンボンで純情で落ちぶれたけど、しかし純粋さを失っていない・・・・というところかな?
元来中国の文字ですから、意味さえ合えばどうにでも読めるわけですね^^
最近の芸能人の中には、漢字を「日本の文字」と発言する人が多いですが、良い大人が何を言っているんだか^^;
>大富豪のボンボン
そういうのを想像するのもこの手の映画を観る時は楽しいですね。
本当に泣かせました・・・
赤塚不二夫氏がこの作品を真似た漫画があります。
目が見えない少女が見えるようになる話。
「はくち小五郎」の中の一話
>赤塚不二夫氏
僕は漫画を殆ど読んでこなかった人間なのですが、聞いたことがあるような気がします。確かに読んだことはないのですが(笑)。
この作品に影響を受けた作品は多いと思います。今年観たインド映画「バルフィ! 人生に唄えば」は本作の始まりそのものでした。
動きが笑えます
>「まちのひ」なのか「まちのあかり」なのかそれが問題じゃ。
どちらなのでしょうか
>この作品に影響を受けた作品は多いと思います。
やっぱりチャップリンは凄いです
「まちのひ」でも「まちのあかり」でも大勢には影響ないものの、こういうのが気になる性分(左脳人間です)^^
>チャップリンは凄い
チャップリンとキートンが続々リバイバルされた1973年頃、キートン派が「キートンは古くならないけれど、チャップリンは古く感じるよね」と言っていたのを思い出します。そういう意見が出るのは、その正否はともかく、ドラマ性の高さを裏打ちしているわけでありまして、ご贔屓としては喜ぶべきなのでしょうね。
僕などは、今1980年代の映画を見ると、古色蒼然の印象を受けることが多いです。
もし、この作品が古臭く思えるような世界なら、そんなものは溝にでも捨ててしまったほうがよい、というのが僕の意見ですね(笑)
僕も、初めて見たときから変わらず数あるチャップリンの作品の中でも、最高傑作に挙げたいと思う作品ですね!
>映画作りのお手本のような作品の中でも白眉とも言うべき幕切れ
同感です、あらゆる映画制作者を嫉妬で青ざめさせるエンディングだったと思います。
ですが、あれをハッピーエンドと取るか、あるいはヒロインがチャーリーに幻滅してしまう残酷な結末と取るか、おおざっぱに言うとこの二通りの解釈があると思います。
どちらを取るかは観客に委ねられているわけですが、しかし彼女の店に入ってくる金持ちの青年を見る娘の表情などの、それまでの伏線からして、単純にあれをハッピーエンド、と見るのはあまりに無邪気すぎるといえるでしょう。
そもそも、チャーリーは娘に手術代を渡す時点でこの恋が成就しないことを知っています。
ならば、残酷なだけの結末か、というと、あにはからんやでしょうね。。
確かに娘は、目の前のチャーリーの姿に愕然とし、そして幻滅も覚えたに違いない。
まず間違いなく、彼女の心の中にあったロマンティックな憧れは崩れたでしょう。
それまでの彼女は、言ってみれば夢を見ていた。しかし、その夢は終わり、現実を知ることに。
彼女がもし、それまで映画で描かれていた通りの繊細な心の持ち主ならば、幻滅のあとにやってくる圧倒的な感情があるはずです。
それは、蛹が蝶に変体するような、若さ故のロマンティックな夢想から昇華した、人間としての感謝、感動なのでしょう。
チャーリーの、自己犠牲という名の深い贈り物を本当の意味で受け取ることができた今の彼女に、それがわからないはずがない。
彼女は、ようやく娘らしいロマンティックな夢から覚め、厳しくも素晴らしい人生の真実を目の当たりにするわけです。
彼女の目は、最後にもう一度開いたと信じます。。
>この作品が古臭く思えるような世界なら、
>そんなものは溝にでも捨ててしまったほうがよい
何となく可笑しいですが・・・
昔からチャップリンを擁護していますし、当然同意します。
アンチ・ビートルズとか、評価の定まったものに反発を覚える連中がいるんですよ。
>蛹が蝶に変体するような、若さ故のロマンティックな
>夢想から昇華した、人間としての感謝、感動なのでしょう。
>自己犠牲という名の深い贈り物
それがチャップリンの眼目だったと思います。人間善哉です。
幕切れについてロマンス的のみに捉えるのは、この映画の半分も分ったことにならないでしょう。