映画評「ある愛へと続く旅」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2012年イタリア=スペイン合作映画 監督セルジオ・カステリット
ネタバレあり
セルジオ・カステリットが妻の作家マルガレート・マッツァンツィーニの小説を、ペネロペ・クルスを主演に映画化した作品。同じトリオによる「赤いアモーレ」(2004年)という作品があるが、こちらのほうがぐっと上出来と感じる。
軍人の夫と暮らすイタリア女性ペネロペが、十数年ぶりにボスニア=ヘルツェゴヴィナの知人アドナン・ハスコヴィッチからの電話を受け、ボスニア生まれで余り上手く行っていない息子ピエトロ・カステリットを連れて首都サラエヴォへ赴き、旧交を温める。
というところから過去の叙述が始まり、頻繁に現在との間を往来するが、洗練度が増したのか、同じ趣向の「赤いアモーレ」ほど煩わらしい感じがしないし、気分が盛り上がる前に中断する印象もない。こちらの方がお話に感興が湧いたというだけの安直な理由かもしれない。
彼女は内戦前にボスニアに留学中ハスコヴィッチをガイドに頼んだ時カメラマンのエミール・ハーシュと恋に落ち結婚するが、彼女側の原因により子供が出来ず、夫の麻薬歴の為に養子縁組もできない。人工授精も内戦勃発で成らず、歌手志望のボヘミアン的女性サーデッド・アクソイに子供を産んでもらうことにする。夫はトライは失敗に終わったと告げるが、ペネロペはボヘミアへの再入国後夫がこっそり会ったサーデッドが腹ぼてになっているのを目撃する。
メロドラマとしてはここがハイライトで、ここから一種のミステリー的展開が密かに始まり、終盤爆発する形で真相が明らかになる。本当のミステリーならここは伏せるべきだが、本作の主題を形成する大事な要素であるから僕のスタンスでは述べないわけには行かない。
つまり、ハーシュがサーデットと懇ろになったのは確かながら、彼女が腹の中に宿したのは敵兵に強姦された時に孕んだ子供であり、彼が親身に面倒を見るのはその時現場に居た罪悪感からというのが真相と判明する。
この映画の通奏低音は邦題が示すように“愛”である。しかし、邦題のイメージとは違って、この作品の愛は戦争を経験した者にしか解らないような人間への愛であり、男女の限定的な恋愛感情はその一部に過ぎない。また、息子は一種の狂言回しであると同時に、展開から“記憶”の寓意と理解したくなるところがある。
戦争が絡んでいる為に社会派的に思われる向きもあるが、作者は良い意味で戦争をメロドラマ的構成に大いに利用したのであり、そこに拘泥すると近年の中では良質のメロドラマとしての部分が忘れられてしまう。これは勿体ない。メロドラマを侮ることなかれ。
ハーシュの最期がよく解らないのは気に入らない。ここは作者の独り合点のような気がするが、原作を読めば解りますかなあ。
結局、僕が最も感心したのは、散文的になりかねないお話を実にリリカルに表現した画面、撮影(ジャンフィリッポ・コルティチェッリ)の美しさである。今年はまだ二ヶ月弱残りがあるが、現在までのところ本年の撮影賞に充分値する。近年イタリア映画に良い撮影の作品が多い。
シャンプーのCMに出ていた頃はほぼ無名だったペネロペさん、大物になりました。
2012年イタリア=スペイン合作映画 監督セルジオ・カステリット
ネタバレあり
セルジオ・カステリットが妻の作家マルガレート・マッツァンツィーニの小説を、ペネロペ・クルスを主演に映画化した作品。同じトリオによる「赤いアモーレ」(2004年)という作品があるが、こちらのほうがぐっと上出来と感じる。
軍人の夫と暮らすイタリア女性ペネロペが、十数年ぶりにボスニア=ヘルツェゴヴィナの知人アドナン・ハスコヴィッチからの電話を受け、ボスニア生まれで余り上手く行っていない息子ピエトロ・カステリットを連れて首都サラエヴォへ赴き、旧交を温める。
というところから過去の叙述が始まり、頻繁に現在との間を往来するが、洗練度が増したのか、同じ趣向の「赤いアモーレ」ほど煩わらしい感じがしないし、気分が盛り上がる前に中断する印象もない。こちらの方がお話に感興が湧いたというだけの安直な理由かもしれない。
彼女は内戦前にボスニアに留学中ハスコヴィッチをガイドに頼んだ時カメラマンのエミール・ハーシュと恋に落ち結婚するが、彼女側の原因により子供が出来ず、夫の麻薬歴の為に養子縁組もできない。人工授精も内戦勃発で成らず、歌手志望のボヘミアン的女性サーデッド・アクソイに子供を産んでもらうことにする。夫はトライは失敗に終わったと告げるが、ペネロペはボヘミアへの再入国後夫がこっそり会ったサーデッドが腹ぼてになっているのを目撃する。
メロドラマとしてはここがハイライトで、ここから一種のミステリー的展開が密かに始まり、終盤爆発する形で真相が明らかになる。本当のミステリーならここは伏せるべきだが、本作の主題を形成する大事な要素であるから僕のスタンスでは述べないわけには行かない。
つまり、ハーシュがサーデットと懇ろになったのは確かながら、彼女が腹の中に宿したのは敵兵に強姦された時に孕んだ子供であり、彼が親身に面倒を見るのはその時現場に居た罪悪感からというのが真相と判明する。
この映画の通奏低音は邦題が示すように“愛”である。しかし、邦題のイメージとは違って、この作品の愛は戦争を経験した者にしか解らないような人間への愛であり、男女の限定的な恋愛感情はその一部に過ぎない。また、息子は一種の狂言回しであると同時に、展開から“記憶”の寓意と理解したくなるところがある。
戦争が絡んでいる為に社会派的に思われる向きもあるが、作者は良い意味で戦争をメロドラマ的構成に大いに利用したのであり、そこに拘泥すると近年の中では良質のメロドラマとしての部分が忘れられてしまう。これは勿体ない。メロドラマを侮ることなかれ。
ハーシュの最期がよく解らないのは気に入らない。ここは作者の独り合点のような気がするが、原作を読めば解りますかなあ。
結局、僕が最も感心したのは、散文的になりかねないお話を実にリリカルに表現した画面、撮影(ジャンフィリッポ・コルティチェッリ)の美しさである。今年はまだ二ヶ月弱残りがあるが、現在までのところ本年の撮影賞に充分値する。近年イタリア映画に良い撮影の作品が多い。
シャンプーのCMに出ていた頃はほぼ無名だったペネロペさん、大物になりました。
この記事へのコメント
映像の美しさが良いですな。
ペネロペも良いですね。
内容もさることながら、映像が秀逸でした。
この画面なしでは内容が浮いてしまったのではないでしょうか?
>ペネロペ
良い女優になりました。