映画評「アジアの嵐」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1928年ソ連映画 監督フセヴォロド・プドフキン
ネタバレあり

セルゲイ・M・エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」(1925年)は反乱そのものがテーマであった為に戦前の日本では勿論ご法度、1967年にやっと正式公開された。
 「ポチョムキン」の3年後に作られたフセヴォロド・プドフキン監督の本作は当時日本で評判を呼んだらしくわが愛用の百科事典にも載っているが、やはり反乱が最後に出て来る内容なのでズタズタにカットされて公開された模様。だから、当時の人々は・・・その多くはインテリであったと思われるが・・・内容ではなく、映画史においてエイゼンシュテインと並び称せられるプドフキンのモンタージュ効果に酔いしれたのにちがいない。

当然ソ連成立後に作られた作品であるから民族解放を基調にした反帝国主義的な内容ではあるものの、モンゴル民族がテーマなのでソ連国策色は割合薄く、大衆映画的に楽しめる作りになっているのがなかなか結構。プドフキンはゴーリキーを映画化した「母」(1926年)も見やすかった。

僕が観たのは、本来のサイレント映画ではなく吹き替えで登場人物が喋る疑似トーキー版である。サイレント版にあったであろう字幕がカットされて再編集されたにちがいなく、意外と不自然ではない。

中国より北に位置する蒙古の地に住む人々は、領主だけではなくラマ僧にも支配され、そして英米の帝国主義に蹂躙、搾取されている。
 主人公の猟師バイル(ヴァレリー・インキジノフ)は、良質の毛皮を市場に売りに行ってアメリカの商人に安く叩かれたのに怒り、暴力的な手段に訴えて逃走、山岳地帯に潜んでいるパルチザンと遭遇して仲間に加わるが、英国軍に捕えられる。英国軍は彼がチンギス・ハンの子孫と知り、傀儡王に仕立ててモンゴル人懐柔に利用しようとする。しかるに、バイルは仲間のパルチザンが眼前で射殺されたのに怒り心頭に発し、遂に民族解放の反旗を翻す。

前述したようにソ連的社会主義の宣伝より英米(西欧)帝国主義批判が目的で、それを娯楽的に作っているので、当事者ではない日本人でも義憤にかられる部分がある。尤も、日本も他の帝国主義国家同様に中国に進出し、傀儡政権も作っているので他国のことは余り言えない。当のソ連若しくはロシアも民族問題は多発させているし、モンゴルを社会主義国家にしたので、こちらも大したことは言えない。

いずれにしても、ソ連がまだ成立したばかりで理想に燃えていた時代である。映画的にはやはり終盤ハイライトにおけるモンタージュの迫力に尽きる。エイゼンシュテインのように圧巻という印象には欠けるが、それでも相当ダイナミック、楽しめる。

町の図書館から借りました。図書館、畏るべし。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2014年11月20日 17:44
ねこのひげの学生時代は、盛んにこのタイプの映画が上映されてましたね。
たしか、渋谷のジャンジャンで2本同時公開されていた記憶があります。
たしか、一晩だけだったかな?
ズタズタで内容がよくわからんかった記憶もあります。
オカピー
2014年11月20日 19:41
ねこのひげさん、こんにちは。

「アジアの嵐」は観るチャンスがなかったです。多分フィルムセンターやどこかの自主上映でやっていたと思いますが。
「母」はフィルムセンターか早稲田のACTミニシアターで観たかなあ。
「戦艦ポチョムキン」は文芸坐。併映は「ストライキ」だったと思います。

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