映画評「バックコーラスの歌姫たち」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2013年アメリカ映画 監督モーガン・ネヴィル
ネタバレあり
ドキュメンタリー映画は一作年と昨年二年続けて17本観たが、ブームが収まったのか、今年はこれが漸く3本目。昨年後半から見るのは映画若しくは音楽関係ばかりで、これもまた、戦後のポピュラー史において重要な位置を占めるバックコーラスに焦点を当て頗る興味深い内容の音楽ドキュメンタリーである。
この作品ではかつて或いは現在もバックコーラスを務める5~6人の黒人女性に焦点を当てている中、ダーレーン・ラヴだけは名前を知っていたし、彼女の歌った「クリスマス」は聞き覚えがある。彼女は、50年代末からプロデューサーとして活躍していたフィル・スペクターに翻弄された一人らしく、僕が愛聴しているクリスタルズの「ヒーズ・ア・レベル」は実は彼女が歌っていると知って吃驚しました。演奏どころか歌ってもいなかったのは、モンキーズ(デビュー・アルバムにおいて)だけではなかったんだねえ。
バックを務める女性たち(中には男性もいるが圧倒的に女性が活躍する分野)の実力はスーパースターに優るとも劣らない。業界を問わず、力はあってもスターになれない人々は多いが、正に本作に登場する女性たちのボーカルは圧倒的で、プラスアルファの魅力もきちんと備えている。では、何故大物になれなかったのか。
理由は二つあって、一つはスティングの言うように、運である。【運も実力のうち】と半ば諺になっている。もう一つは、彼女たちが傾向的に持つ控えの位置に甘んじたがる性格の為にそのチャンスを失いがちであること。
とは言っても本作に出て来る女性たちは少しずつ違っている。先に上げたダーレーン・ラヴはスター志向が強かったのに結果的に余り成功しなかった。彼女の場合は運がなかったのだろう。
反対に、ローリング・ストーンズでも好きな曲に入る「ギミー・シェルター」で物凄い声を披露して印象深いメリー・クレイトンはソロ活動もしたが、ソロにさほど拘泥していない様子。リサ・フィッシャーもグラミーまで取っているのに後が続かず、1989年からストーンズのツアーに同行して女性メンバーのような形に落ち着いている。
タタ・ヴェガは70年代後半から80年代にかけてモータウンで4枚のLPを発表するが注目を浴びるに至らず、教会やバックコーラスに活路を見出した後90年代に復帰したソロ活動を地道に続けている。
マイケル・ジャクソンのバックに抜擢されて注目を浴びたジュディス・ヒルは現在ソロ・ボーカルとしての活動を主としながら、こっそりバックも務めてもいる。かつらをつけてバックとして出演したというエピソードが笑わせる。
彼女たちの存在が1960年代から80年代までのポピュラー音楽を支えて来たのは間違いない。僕が90年代以降の音楽に興味を持てない理由がこの映画で解ったような気がする。90年代以降バックコーラスが使われる音楽が減っているというのだ。
その背景にはデジタル化の進行があるだろうし、ラップの隆盛の為に黒人系音楽(ロックは白人の演奏者が殆どであっても勿論黒人系音楽である)のあり方が大きく変わってきているのに違いない。いずれにしても、無機的な音楽が溢れて積極的に聴く気を起こさせないのである。
ルー・リードの名曲「ワイルド・サイドを歩け」の歌詞の意味が興味深く紹介されているし、前述したスティングの外、スティーヴィ-・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、ミック・ジャガー、ベット・ミドラー、パティ・オースティン、シェリル・クロウ(彼女もバック上がりらしい)など証言者も豪華。洋楽ファンは是非見るべし。
こういう優れた、しかも僕の興味の中心にある音楽分野をフィーチャーしたドキュメンタリーを観ると、CDを買いたくなって堪らなくなるが、物を増やしたくないので我慢我慢。
アレサ・フランクリンの初期LPを聴くと、バックコーラスがアレサと同じくらいの音量なので驚く。バランスの悪さを感じでもないが、コーラスが最も重要視されていた時代でもあったのだろう。
2013年アメリカ映画 監督モーガン・ネヴィル
ネタバレあり
ドキュメンタリー映画は一作年と昨年二年続けて17本観たが、ブームが収まったのか、今年はこれが漸く3本目。昨年後半から見るのは映画若しくは音楽関係ばかりで、これもまた、戦後のポピュラー史において重要な位置を占めるバックコーラスに焦点を当て頗る興味深い内容の音楽ドキュメンタリーである。
この作品ではかつて或いは現在もバックコーラスを務める5~6人の黒人女性に焦点を当てている中、ダーレーン・ラヴだけは名前を知っていたし、彼女の歌った「クリスマス」は聞き覚えがある。彼女は、50年代末からプロデューサーとして活躍していたフィル・スペクターに翻弄された一人らしく、僕が愛聴しているクリスタルズの「ヒーズ・ア・レベル」は実は彼女が歌っていると知って吃驚しました。演奏どころか歌ってもいなかったのは、モンキーズ(デビュー・アルバムにおいて)だけではなかったんだねえ。
バックを務める女性たち(中には男性もいるが圧倒的に女性が活躍する分野)の実力はスーパースターに優るとも劣らない。業界を問わず、力はあってもスターになれない人々は多いが、正に本作に登場する女性たちのボーカルは圧倒的で、プラスアルファの魅力もきちんと備えている。では、何故大物になれなかったのか。
理由は二つあって、一つはスティングの言うように、運である。【運も実力のうち】と半ば諺になっている。もう一つは、彼女たちが傾向的に持つ控えの位置に甘んじたがる性格の為にそのチャンスを失いがちであること。
とは言っても本作に出て来る女性たちは少しずつ違っている。先に上げたダーレーン・ラヴはスター志向が強かったのに結果的に余り成功しなかった。彼女の場合は運がなかったのだろう。
反対に、ローリング・ストーンズでも好きな曲に入る「ギミー・シェルター」で物凄い声を披露して印象深いメリー・クレイトンはソロ活動もしたが、ソロにさほど拘泥していない様子。リサ・フィッシャーもグラミーまで取っているのに後が続かず、1989年からストーンズのツアーに同行して女性メンバーのような形に落ち着いている。
タタ・ヴェガは70年代後半から80年代にかけてモータウンで4枚のLPを発表するが注目を浴びるに至らず、教会やバックコーラスに活路を見出した後90年代に復帰したソロ活動を地道に続けている。
マイケル・ジャクソンのバックに抜擢されて注目を浴びたジュディス・ヒルは現在ソロ・ボーカルとしての活動を主としながら、こっそりバックも務めてもいる。かつらをつけてバックとして出演したというエピソードが笑わせる。
彼女たちの存在が1960年代から80年代までのポピュラー音楽を支えて来たのは間違いない。僕が90年代以降の音楽に興味を持てない理由がこの映画で解ったような気がする。90年代以降バックコーラスが使われる音楽が減っているというのだ。
その背景にはデジタル化の進行があるだろうし、ラップの隆盛の為に黒人系音楽(ロックは白人の演奏者が殆どであっても勿論黒人系音楽である)のあり方が大きく変わってきているのに違いない。いずれにしても、無機的な音楽が溢れて積極的に聴く気を起こさせないのである。
ルー・リードの名曲「ワイルド・サイドを歩け」の歌詞の意味が興味深く紹介されているし、前述したスティングの外、スティーヴィ-・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、ミック・ジャガー、ベット・ミドラー、パティ・オースティン、シェリル・クロウ(彼女もバック上がりらしい)など証言者も豪華。洋楽ファンは是非見るべし。
こういう優れた、しかも僕の興味の中心にある音楽分野をフィーチャーしたドキュメンタリーを観ると、CDを買いたくなって堪らなくなるが、物を増やしたくないので我慢我慢。
アレサ・フランクリンの初期LPを聴くと、バックコーラスがアレサと同じくらいの音量なので驚く。バランスの悪さを感じでもないが、コーラスが最も重要視されていた時代でもあったのだろう。
この記事へのコメント
運に恵まれなかったという事でしょうけどね。
スターになるには、人を押しのけてもお山の大将になるだけの根性も必要でしょうしね。
特にアメリカは人材の宝庫ですから、大変なようです。
日本なら大スターになっていたでしょう。
>根性
どうも彼女たちには、控え目な性格の人が多く、それが災いしていることもあるようです。