映画評「女猫」

☆☆☆(6点/10点満点中)
1958年フランス映画 監督アンリ・ドコワン
ネタバレあり

僕が映画を観始めた1970年頃には既に過去の女優であったが、TVで観た「ヘッドライト」(1956年)や「幸福への招待」(1956年)といった作品で強い印象を残したフランソワーズ・アルヌール全盛期の作品である。1950年代後半日本でも爆発的な人気を誇ったものと思う。

1943年フランス、ドイツ軍がレジスタンスの通信を傍受して発信元のアパートを急襲する。発信者はアパートから落下して死ぬが、その妻フランソワーズが彼の作った小型発信器を持って逃げ、レジスタンスのグループと合流する。隊長ベルナール・ブリエは彼女をドイツのロケット情報を奪う作戦に起用して思惑通りに成功した後、その過程で知り合ったスイス人記者実は身分を偽ったナチス将校ベルンハルト・ヴィッキと恋に落ちたことから彼女は悲劇の道にころげ落ちることになる。

先日観た「マタ・ハリ」(1931年)の男女の立場を逆転したようなお話と思えば相当近い。つまり、ヒロインの最後こそマタ・ハリ同様の悲劇ながら、スパイはドイツの軍人の方(尤も本作におけるレジスタンスの活動はかなりスパイ的)である。

しかし、彼もヒロインを真剣に愛し、何とか彼女を救おうと情報部の将校と交渉をする。彼女は結局自白しないが、既に情報を得ていたヴィッキが彼女が自白したと告げて情報を提示、それを信じた将校は逮捕したレジスタンスのメンバーたちの前で彼女を解放する。裏切ってもいないのに裏切り者になった彼女が悄然と道を歩いていると、幌付きトラックの中からブリエが顔を出し、彼女を撃ち殺す。
 カメラはトラックの側から倒れた彼女を延々と映し出して幕切れとなる。「ヘッドライト」のジョセフ・コスマの音楽と相まって哀愁に満ちた幕切れで、ムードが希薄な映画ばかり見せられているせいもあり十分悲劇ムードに酔いしれることができるが、何度も観て僕の頭にこびりついた「ヘッドライト」の切なさに比べれば相当差がある。

写真をドットに解体して送付し後で再生産するデジタル的な発想が面白いなどレジスタンスの活動が具体的でなかなか見応えがあるのに比べ、フランソワーズとヴィッキの場面は些か散文的で物足りず、当時のメロドラマとしては水準的出来栄えに終わっているのである。それでもこの映画以前から猫のようと言われたフランソワーズの魅力は触れるに値し、昨今のへなちょこ恋愛映画に比べれば断然よろし。

監督はアンリ・ドコワン。名をよく知る割には余り見ていない監督である。

今月は猫に縁があるにゃん。

この記事へのコメント

2015年01月17日 18:27
亡くなった父がフランソワーズ・アルヌールのファンだったと母から聞きました。母はアラン・ドロンのファンなんですね。二人とも洋画が好きだったのですが、昔はフランス映画もよく公開されていたのだなあと思いました。
アラン・ドロンは子供の頃テレビでよく見ましたし、今ではきれいなだけではなくいい役者だと思っています。でも、フランソワーズ・アルヌールになると、昔の映画スターで名前は知っているけど、みたいな。ジャン・ギャバンの「ヘッドライト」はテレビで観てる筈なのですが、ジャン・ギャバンの顔しか覚えていない。
オカピー
2015年01月17日 21:22
nesskoさん、こんにちは。

そうですね、フランソワーズ・アルヌールは昭和一桁くらいの生まれの方に大人気という計算になりますね。
日本人は戦前からフランス映画が好きでしたから、公開リストを見ると相当多いですよね。

>「ヘッドライト」
映画ファンになりたての頃、フランスにはドロンみたいな美男子がいるかと思えば、ジャン・ギャバンのようなじゃがいもみたいな顔(確か淀川さんがそう表現していたような気がします)をした俳優もいると面白く思いました。
僕のブログ友達のトムさんによれば、ドロンはギャバンの後継者たる要素もあるようで、そう考えると大変興味深いものがあります。
「ヘッドライト」は僕が最初に好きになった作品の一つです。ませていましたなあ(笑)
ねこのひげ
2015年01月22日 00:51
フランス映画の不条理さがよく出ている映画でありました。
風刺も度が過ぎれば事件が起きるとわかっていながら、またやる国ですからね。
わかっていないのかな?
ドロンもギャバンも好きな俳優でありますがね。
オカピー
2015年01月22日 20:53
ねこのひげさん、こんにちは。

>風刺
イスラム原理主義にも困ったなあという感想がある一方、やはり踏み込んでいけない表現もあるのではないかと思いますね。
フランス人は庶民が自由と権利を勝ち取ったという矜持を250年に渡って持っている国民性ですから、権利への意識は良い意味でも悪い意味でも本物ですよ。昨今の政治を見ても日本人はそこまでの意識がなさそうですね。フランスなら今日本で行われている日本の政治を国民が許さないでしょう。
2015年01月26日 01:17
オカピーさん、こんばんは。
「女猫」は、DVDまで持っているんですよ。フレンチ・フィルム・ノワールとレジスタンスものが見事にメロドラマに昇華している作品とでもいいましょうか、好きなジャンルがすべて含まれていて大好きな作品です。オカピー評6点はちと残念(笑)です。
ドコワン監督は、俳優はギャバン、ジューヴェ、ダリュー、原作はシムノンものといった典型的な旧時代の作家ですよ。ヌーベルバーグは出現しなければもっと活躍の場があったと思います。

>フランソワーズとヴィッキの場面は些か散文的で物足りず、・・・
言われてみれば説得力が無いですよね。確かに。
わたしもヴィッキ(ナチス・ドイツの将校として)の描き方が不十分だと思います。確かに素敵な男性ですが、凡庸・能天気、陰影が全くない男性像になってしまってますよね(笑)。あれならわざわドイツ将校の設定でなくてもいい。
トム(Tom5k)
2015年01月26日 01:17
【続き】
>それでもこの映画以前から猫のようと言われたフランソワーズの魅力は触れるに値し、昨今のへなちょこ恋愛映画に比べれば断然よろし。

やはり「アルヌール悲劇」の魅力は素晴らしいですよね・・・バルドーやドヌーブ、モロー以前の旧フランス映画の最末期の女優と思います。ドロンやギャバンは男優としてしたたかに生き残っていったけれど、アルヌールは生き残れなかった・・・残念です。
わたしはラスト・シークエンスも好きです。巨匠メルビルも「影の軍隊」でパクってます(パクリでなくオマージュですかね?)。銃殺されるのはシモーヌ・シニョレで、娘を救うため実際にレジスタンスを裏切ってました。メルビル作品のレベルの高さを考えると、そこからこの作品の素晴らしさを図る方法も一理あると考えているところです。

ところで、レジスタンスといえば、4月にようやく「パリは燃えているか」がDVD化します。楽しみな半面、パラマウントの販売英語版なので、使用言語の限界は割りきらなければならないでしょうけれど・・・仏・英・独、それぞれの言語の編集版・・・いつの日か・・・難しいかな(泣)。

では、また。
オカピー
2015年01月26日 17:30
トムさん、お久しぶりです。

>DVDまで
題名は良く知っている作品ですが、何故か観ていなかったので、図書館からビデオを借りてきたものです。
トムさんにとっては余りにお馴染みの作品だったわけですね^^

>ドコワン監督
戦前ダニエル・ダリューが主演した有名作「暁に帰る」はドコワンでしたよね。これは観たことがあります。本作よりぐっと単純なメロドラマでした。

>ヌーベルバーグが出現しなければ
そういう見方が、いかにもトムさんらしい^^
日本人にもいそうな、日本人好みの良い女優だったのですがねえ。

>「影の軍隊」
そうでしたか。
割合好きな作品ですが、すっかり忘れております。
マイ・ライブラリーにありますので、時間が空いたら(というか最近は結構空いているのですが)観てみますかねえ。

>「パリは燃えているか」・・・言語
僕は、映画に出て来るフランス人が英語を喋っても良いとは思いますが、複数の言語が交錯する作品では、フランス語を喋っているフランス人はフランス語で、英語を喋っている英米人は英語で話してくれないと、お話の展開から言っても困る、という立場です。
ですから、英語・独語・仏語が交錯する「パリは燃えているか」ではそれぞれがその言語を話すバージョンが望ましいです。
残念ながら、自国の観客のみに迎合するアメリカ映画がこの辺は一番適当ですね。

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