映画評「ビフォア・ミッドナイト」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2013年アメリカ映画 監督リチャード・リンクレイター
ネタバレあり
1995年に発表された「恋人までの距離」が好評で9年後に「ビフォア・サンセット」が作られ、さらに9年後にこの第三作が作られた。そもそも喜劇を別とする、一般ドラマ(人生劇)の続編は珍しく、フランソワ・トリュフォーのアントワーヌ・ドワネルものくらいしか思い出せない。実に稀有と言うべし。
初めて逢った時二十代の若者だったイーサン・ホークはジュリー・デルピーと正式な夫婦になっていて、前妻との間に出来た息子(シーマス・ディヴィー=フィッツパトリック)と旅先ギリシャで別れた後、二人の間に出来た双子の娘(ジェニファー&シャーロット・プライアー)とギリシャの友人宅で過ごす。彼は作家として活躍、迎えてくれた老人も文芸関係者らしい。以降二人は彼らと四方山話で楽しい時間を過ごすが、ホテルで息子を巡って夫婦喧嘩に発展してしまう。
インテリ型会話劇という意味において、ウッディ-・アレンとエリック・ロメールの作品を合わせたような印象と述べるのも今更の感ありであるが、とにかく二人の作品同様に登場人物がよく喋る。
例によって常識外れのトラックバック長回し(序盤の車載カメラは固定でありトラックバックではないが、車で移動する登場人物を前面から捉え続けるという意味においてトラックバックの応用)や異様に長いシークエンスにより、即興演出映画に近いものがあるが、そうした映画の多くが即興なのに少しもリアルではなく退屈なのに比べて、相当面白い。積極的な意味での面白さとは言えないものの、人生を垣間見せ共感を呼び起こすという意味で頗る面白いのである。
先日どこかで(新聞だったか?)最近の鑑賞者は共感度で映画を評価する傾向があると読んだが、若い人はともかく三十以上の、特に既婚者の中には自分を見るような気持ちになる方も多いに違いない。
が、第一作ほどロケの効果が生かされず映画的ムードが希薄になっているのは残念。
結婚して子供が出来ればロマンティックな気分もなくなります、というお話でした。最後は洒落ていますがね。
2013年アメリカ映画 監督リチャード・リンクレイター
ネタバレあり
1995年に発表された「恋人までの距離」が好評で9年後に「ビフォア・サンセット」が作られ、さらに9年後にこの第三作が作られた。そもそも喜劇を別とする、一般ドラマ(人生劇)の続編は珍しく、フランソワ・トリュフォーのアントワーヌ・ドワネルものくらいしか思い出せない。実に稀有と言うべし。
初めて逢った時二十代の若者だったイーサン・ホークはジュリー・デルピーと正式な夫婦になっていて、前妻との間に出来た息子(シーマス・ディヴィー=フィッツパトリック)と旅先ギリシャで別れた後、二人の間に出来た双子の娘(ジェニファー&シャーロット・プライアー)とギリシャの友人宅で過ごす。彼は作家として活躍、迎えてくれた老人も文芸関係者らしい。以降二人は彼らと四方山話で楽しい時間を過ごすが、ホテルで息子を巡って夫婦喧嘩に発展してしまう。
インテリ型会話劇という意味において、ウッディ-・アレンとエリック・ロメールの作品を合わせたような印象と述べるのも今更の感ありであるが、とにかく二人の作品同様に登場人物がよく喋る。
例によって常識外れのトラックバック長回し(序盤の車載カメラは固定でありトラックバックではないが、車で移動する登場人物を前面から捉え続けるという意味においてトラックバックの応用)や異様に長いシークエンスにより、即興演出映画に近いものがあるが、そうした映画の多くが即興なのに少しもリアルではなく退屈なのに比べて、相当面白い。積極的な意味での面白さとは言えないものの、人生を垣間見せ共感を呼び起こすという意味で頗る面白いのである。
先日どこかで(新聞だったか?)最近の鑑賞者は共感度で映画を評価する傾向があると読んだが、若い人はともかく三十以上の、特に既婚者の中には自分を見るような気持ちになる方も多いに違いない。
が、第一作ほどロケの効果が生かされず映画的ムードが希薄になっているのは残念。
結婚して子供が出来ればロマンティックな気分もなくなります、というお話でした。最後は洒落ていますがね。
この記事へのコメント
子供は天使ではないですからね~夜中に泣きわめいて、ウンチだオシッコだとわめかれたら悪魔にも思えますワナ。
昔のインテリは映画的妙味を評価し、一般人は空想の世界に埋没できる度合いを評価してきたという意味なのでしょうが、現在はリアリズムの時代だから共感度が重要なのでしょうね。
ただ、困るのは、人間的に問題がある人が次第に成長していくようなドラマの最初の部分だけ見て共感できないから云々というそそっかしい人がいることです。
>子供
どうもすみません(と子供に変わって謝っておきます^^)。