映画評「それでも夜は明ける」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2013年アメリカ=イギリス合作映画 監督スティーヴ・マックィーン
ネタバレあり
1970年代後半にアメリカにおける奴隷の始まりを描いた「ルーツ」というTVミニ・シリーズがあった。主人公の名前クンタ・キンテは日本でも流行語になった。その少し前「マンディンゴ」という格闘奴隷が出て来る力作映画もあった。恐らくこの作品が奴隷制があった時代の不条理なアメリカ社会を本質的な意味で酷烈に描いた最初の映画作品であると思う。それをもっと波乱万丈に作り直したような作品がクエンティン・タランティーノの「ジャンゴ 繋がれざる者」である。
「SHAME-シェイム-」で一躍注目監督になったスティーヴ・マックィーンが発表し、2013年度アカデミー作品賞を受賞した本作は奴隷の過酷な環境を描いているが、時代差があるので一概に比較できないにしても、あの時代における「マンディンゴ」の衝撃に大分及ばないのではないか?
しかし、奴隷をテーマにした作品が続くのは注目に値する。アメリカで依然続く黒人差別の問題だけでなく、世界的に物凄い数で行われているという人身売買の問題を訴える狙いが特に英米映画人にあるのであろう。
ニューヨーク州の自由黒人キウェテル・エジョフォーが、得意なバイオリンで興行させると騙されて奴隷市場に売られてしまう。最初の所有者ベネディクト・カンバーバッチは比較的良心的だが力不足、借金に追われている為、結局キリスト教への信心故とも言える強烈な選民意識を持つマイケル・ファスベンダーに売られ、遥かに苛酷な目に遭わされ続け、妻子との再会を夢見るうちに12年の月日が経つ。
そこへ現れたカナダ出身の移動労働者ブラッド・ピットが協力してくれたおかげで遂に妻子と再会を果たし、その結果この出来事を綴った自叙伝(本作の原作)が発表されることになる。
本作一番の収穫は“自由黒人”の存在を教えてくれたことである。聞いたことがあったが具体的に触れるのは記憶している限り初めてで、極論すれば、主人公が奴隷ではなく自由黒人であるが故に、人間がいつ奴隷になるか解らない現在における誘拐ビジネスに通ずる社会性や恐怖が生まれるのである。
しかし、少なくとも、150年以上前のアメリカにおける奴隷制を扱った映画の中では世評ほど強烈ではなく、品が良すぎる気がして不満が残る。良いか悪いか単純に決めつけられないが、一貫して主人公の内面に迫ろうとしない作者の姿勢が原因であると思う。
もう少し細かい点では、時間の流れが感じられないのが少し気になる。但し、意識してのことである可能性が高く、これをもってマイナスと見なすことはできない。12年後に再会する子供たちが一見して大きくなっていることで時間の流れが表現されているので、その効果を強く感じさせる為にそこに至るまで時間を感じさせないように演出しているのだろう、と好意的に解釈できるわけである。
“夜”は“よる”と読むのだろうが、“よ”と読むほうが“明ける”と合わせると5音になり、日本人には落ち着く。
2013年アメリカ=イギリス合作映画 監督スティーヴ・マックィーン
ネタバレあり
1970年代後半にアメリカにおける奴隷の始まりを描いた「ルーツ」というTVミニ・シリーズがあった。主人公の名前クンタ・キンテは日本でも流行語になった。その少し前「マンディンゴ」という格闘奴隷が出て来る力作映画もあった。恐らくこの作品が奴隷制があった時代の不条理なアメリカ社会を本質的な意味で酷烈に描いた最初の映画作品であると思う。それをもっと波乱万丈に作り直したような作品がクエンティン・タランティーノの「ジャンゴ 繋がれざる者」である。
「SHAME-シェイム-」で一躍注目監督になったスティーヴ・マックィーンが発表し、2013年度アカデミー作品賞を受賞した本作は奴隷の過酷な環境を描いているが、時代差があるので一概に比較できないにしても、あの時代における「マンディンゴ」の衝撃に大分及ばないのではないか?
しかし、奴隷をテーマにした作品が続くのは注目に値する。アメリカで依然続く黒人差別の問題だけでなく、世界的に物凄い数で行われているという人身売買の問題を訴える狙いが特に英米映画人にあるのであろう。
ニューヨーク州の自由黒人キウェテル・エジョフォーが、得意なバイオリンで興行させると騙されて奴隷市場に売られてしまう。最初の所有者ベネディクト・カンバーバッチは比較的良心的だが力不足、借金に追われている為、結局キリスト教への信心故とも言える強烈な選民意識を持つマイケル・ファスベンダーに売られ、遥かに苛酷な目に遭わされ続け、妻子との再会を夢見るうちに12年の月日が経つ。
そこへ現れたカナダ出身の移動労働者ブラッド・ピットが協力してくれたおかげで遂に妻子と再会を果たし、その結果この出来事を綴った自叙伝(本作の原作)が発表されることになる。
本作一番の収穫は“自由黒人”の存在を教えてくれたことである。聞いたことがあったが具体的に触れるのは記憶している限り初めてで、極論すれば、主人公が奴隷ではなく自由黒人であるが故に、人間がいつ奴隷になるか解らない現在における誘拐ビジネスに通ずる社会性や恐怖が生まれるのである。
しかし、少なくとも、150年以上前のアメリカにおける奴隷制を扱った映画の中では世評ほど強烈ではなく、品が良すぎる気がして不満が残る。良いか悪いか単純に決めつけられないが、一貫して主人公の内面に迫ろうとしない作者の姿勢が原因であると思う。
もう少し細かい点では、時間の流れが感じられないのが少し気になる。但し、意識してのことである可能性が高く、これをもってマイナスと見なすことはできない。12年後に再会する子供たちが一見して大きくなっていることで時間の流れが表現されているので、その効果を強く感じさせる為にそこに至るまで時間を感じさせないように演出しているのだろう、と好意的に解釈できるわけである。
“夜”は“よる”と読むのだろうが、“よ”と読むほうが“明ける”と合わせると5音になり、日本人には落ち着く。
この記事へのコメント
アメリカの黒人は日本に来るとホッとするそうであります。
日本人のは差別ではなく区別だそうです。
外から来た人間に対する驚きや戸惑いのようであると言っておりましたね。
イスラム教徒の外国人も日本は差別がなくて良いと仰るようですね。
“イスラム国”によりその風向きが変わらなければ良いと思います。