映画評「グレート・ビューティー/追憶のローマ」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2013年イタリア=フランス合作映画 監督パオロ・ソレンティーノ
ネタバレあり
最初の詩情溢れる一連の描写の後ディスコでの大騒ぎになって、現在は趣味的に美術ジャーナリストみたいなことをしている元作家の主人公トニ・セルヴィッロが現れて暫くすると、監督のパオロ・ソレンティーノが母国の大先輩フェデリコ・フェリーニ「甘い生活」(1960年)の現代中年版を作ろうとしたということがよく解る。
「甘い生活」でマルチェッロ・マストロヤンニ扮する主人公は怠惰な生活にうんざりしてもがく若いジャーナリストだった。全編を覆う猥雑なイメージや、突然現れるキリンといった場違いの存在物、ローマにおける彷徨ぶりなどそっくり。ローマの彷徨に関しては「フェリーニのローマ」にも通ずるものがあり、フランス女優ファニー・アルダンが本人役で出て来る場面は何だかパロディーみたい。
「フェリーニのローマ」はオートバイがローマの街並みを爆走して終わったが、こちらは静かにローマが捉えられて終わる。自身カトリックの影響下にありながら、それに皮肉な目を注ぐのもフェリーニに似た心境を感じる。
それに加えて、ソレンティーノは20世紀前半の文学にも多大な興味を持っているようで、セリーヌ「夜の果てへの旅」、プルースト「失われた時を求めて」、ブルトン「ナジャ」から引用して、この三作の共通記号であると思われる“人生の彼岸”“魂の彷徨”を描いてみせる。「ナジャ」は完全に自己言及的な小説(メタフィクション)であり、或いは「失われた時を求めて」にもそういう側面があったかもしれず、本作も主人公のナレーションを以って自己言及する。
この辺りになると難渋で理解に苦労するが、その辺は撮影に腐心したであろう美しい画面に酔わせてもらえば良いと、お茶を濁しておく(笑)。
配給会社に洒落っ気があれば、「ソレンティーノのローマ」としたであろうに。
2013年イタリア=フランス合作映画 監督パオロ・ソレンティーノ
ネタバレあり
最初の詩情溢れる一連の描写の後ディスコでの大騒ぎになって、現在は趣味的に美術ジャーナリストみたいなことをしている元作家の主人公トニ・セルヴィッロが現れて暫くすると、監督のパオロ・ソレンティーノが母国の大先輩フェデリコ・フェリーニ「甘い生活」(1960年)の現代中年版を作ろうとしたということがよく解る。
「甘い生活」でマルチェッロ・マストロヤンニ扮する主人公は怠惰な生活にうんざりしてもがく若いジャーナリストだった。全編を覆う猥雑なイメージや、突然現れるキリンといった場違いの存在物、ローマにおける彷徨ぶりなどそっくり。ローマの彷徨に関しては「フェリーニのローマ」にも通ずるものがあり、フランス女優ファニー・アルダンが本人役で出て来る場面は何だかパロディーみたい。
「フェリーニのローマ」はオートバイがローマの街並みを爆走して終わったが、こちらは静かにローマが捉えられて終わる。自身カトリックの影響下にありながら、それに皮肉な目を注ぐのもフェリーニに似た心境を感じる。
それに加えて、ソレンティーノは20世紀前半の文学にも多大な興味を持っているようで、セリーヌ「夜の果てへの旅」、プルースト「失われた時を求めて」、ブルトン「ナジャ」から引用して、この三作の共通記号であると思われる“人生の彼岸”“魂の彷徨”を描いてみせる。「ナジャ」は完全に自己言及的な小説(メタフィクション)であり、或いは「失われた時を求めて」にもそういう側面があったかもしれず、本作も主人公のナレーションを以って自己言及する。
この辺りになると難渋で理解に苦労するが、その辺は撮影に腐心したであろう美しい画面に酔わせてもらえば良いと、お茶を濁しておく(笑)。
配給会社に洒落っ気があれば、「ソレンティーノのローマ」としたであろうに。
この記事へのコメント
感動しました。
それに迫ろうという美しい画面でありました。
テレビが壊れて大画面の液晶テレビに買い換えたのでひとしお感激しております。
画面による感動は、画面の大きさの平方根に比例する、というのは、亡きオーディオ評論家・長岡鉄男氏の発言でありますが、まして当時よりTVの画質が上がっていますからねえ。