映画評「柘榴坂の仇討」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2014年日本映画 監督・若松節朗
ネタバレあり
浅田次郎の短編小説を若松節朗が映画化した時代劇。
安政6(1860)年、大老・井伊直弼(中村吉右衛門)が水戸藩士ら18名に殺される。桜田門外の変である。警護の役についていた彦根藩士・志村金吾(中井貴一)は両親の自害の後も切腹することを許されず、逃亡したうちの誰か一人に仇討することを厳命される。
しかし、次々と関係者が処分され彼自身が使命を果たせないまま時間が過ぎていき、明治6(1873)年の冬を迎え、遂に仇討禁止令が発布される。
文明開化でざんぎり頭に溢れる世の中にあり、彼のちょんまげに帯刀する旧態依然に拘る風体は目立つ。官憲の要人・秋元(藤竜也)との面会の後、雪の降り出した夕刻、彼は一人の車引きを雇う。直吉(阿部寛)と名乗るその男が自分の追う元侍であることに気づき、仇討騒動の末に、金吾は大老と秋元の発言を合わせて考えを修正、生を捨てようとしている直吉に生きるよう説得する。
井伊大老を崇拝するが故に、その「死を賭して訴えてくる者をないがしろにするな」という意見が、秋元の「時代の垣根を乗り越えて生きろ」という意見と混じり合い、13年間殺そうとしてきた相手に「生きろ」と説教する主人公自身の考えとして結実する。つまり、封建的思想の持主で主君の思想に順ずるが故に封建制度ならではの考えを捨てることができたのである。実に面白い着想と言うべし。
また、映画としては立派であるが「蜩ノ記」が僕に苦味を残したのに対し、こちらの後味が甚だ清々しいのは関係者が封建制度を乗り越えていく展開故に無意味な被害者が一人も出て来ないからである。
映画芸術的観点では「蜩ノ記」に一歩譲るが、現代人の普遍的生活感情を満足するのは断然こちらのほうだ。その意味で敵味方双方が迎える現代的とも言いたくなる幕切れは、あれで正解なのである。
時代劇でよく取り沙汰される時代考証は、100%正確であるには及ばず。例えば、「七人の侍」に対する「当時の女性は胸を隠さない」という指摘は現在の我々が見る上では無粋であるし、殆どの時代劇が避けている鉄漿(おはぐろ)なども、それが物語の展開上不可欠である場合を除き、時代的事実に沿わなくて全く構わない。何故時代劇を現代に生きる我々が観るのか考えれば、理由は自明の理であろう。
甲子園にてわが群馬代表・健大高崎が延長10回で惜敗。勝てる試合だったが、数か月前に対戦したらしい秋田商に仇討されてしまった。
2014年日本映画 監督・若松節朗
ネタバレあり
浅田次郎の短編小説を若松節朗が映画化した時代劇。
安政6(1860)年、大老・井伊直弼(中村吉右衛門)が水戸藩士ら18名に殺される。桜田門外の変である。警護の役についていた彦根藩士・志村金吾(中井貴一)は両親の自害の後も切腹することを許されず、逃亡したうちの誰か一人に仇討することを厳命される。
しかし、次々と関係者が処分され彼自身が使命を果たせないまま時間が過ぎていき、明治6(1873)年の冬を迎え、遂に仇討禁止令が発布される。
文明開化でざんぎり頭に溢れる世の中にあり、彼のちょんまげに帯刀する旧態依然に拘る風体は目立つ。官憲の要人・秋元(藤竜也)との面会の後、雪の降り出した夕刻、彼は一人の車引きを雇う。直吉(阿部寛)と名乗るその男が自分の追う元侍であることに気づき、仇討騒動の末に、金吾は大老と秋元の発言を合わせて考えを修正、生を捨てようとしている直吉に生きるよう説得する。
井伊大老を崇拝するが故に、その「死を賭して訴えてくる者をないがしろにするな」という意見が、秋元の「時代の垣根を乗り越えて生きろ」という意見と混じり合い、13年間殺そうとしてきた相手に「生きろ」と説教する主人公自身の考えとして結実する。つまり、封建的思想の持主で主君の思想に順ずるが故に封建制度ならではの考えを捨てることができたのである。実に面白い着想と言うべし。
また、映画としては立派であるが「蜩ノ記」が僕に苦味を残したのに対し、こちらの後味が甚だ清々しいのは関係者が封建制度を乗り越えていく展開故に無意味な被害者が一人も出て来ないからである。
映画芸術的観点では「蜩ノ記」に一歩譲るが、現代人の普遍的生活感情を満足するのは断然こちらのほうだ。その意味で敵味方双方が迎える現代的とも言いたくなる幕切れは、あれで正解なのである。
時代劇でよく取り沙汰される時代考証は、100%正確であるには及ばず。例えば、「七人の侍」に対する「当時の女性は胸を隠さない」という指摘は現在の我々が見る上では無粋であるし、殆どの時代劇が避けている鉄漿(おはぐろ)なども、それが物語の展開上不可欠である場合を除き、時代的事実に沿わなくて全く構わない。何故時代劇を現代に生きる我々が観るのか考えれば、理由は自明の理であろう。
甲子園にてわが群馬代表・健大高崎が延長10回で惜敗。勝てる試合だったが、数か月前に対戦したらしい秋田商に仇討されてしまった。
この記事へのコメント
納得させる映画でありました。
>浅田次郎さん
原作は知りませんが、「鉄道員(ぽっぽや)」も予想外の展開でしたねえ。
さて、この作品。
第2次世界大戦終了後に、(戦前・戦中は)同じ日本人ながら敵同士だった二人が出合ってしまったような感じを思い浮かべました。
>同級生などに思いがけずになくなっている人もいて
僕は同窓会には一切出席しない事にしています。
でも、同級生の○○が既に故人と言う話を誰かから聞いて唖然とする事もあります。
>(戦前・戦中は)同じ日本人ながら
刑事VS思想犯といった関係なんてそれに当たりましょうか。実際、特高の刑事の中には、自分の逮捕した、若しくは追いかけていた思想犯に出会うと、面目ない思いを抱く人が多かったようですよ。
>同窓会には一切出席しない
何故ですか?
僕の義兄(姉の夫君)もそう。学校卒業後の進路に問題を感じているらしい。
>既に故人
以前、高校時代のメーリング・リスト内における連絡で、訃報を聞いてびっくりしたこともあります。また、中学時代のクラスメートに40前に夭逝した人が何故か多い。
逆に思想犯はいつまでも恨みを忘れない
>面目ない思いを抱く
バカにされていましたから
>40前に夭逝
早過ぎです
僕のクラスメートだと25歳で亡くなった女性がいました。
告別式で婚約者が号泣したそうです。
>思想犯はいつまでも恨みを忘れない
交通事故でも、国と国との関係でも、被害者側は常にそうですよね。
国と国との関係で言えば、韓国・中国は日本を加害者と言い、東南アジアの各国は言わないと言う人々(多くはネトウヨ)がいますが、歴史を考えると、僕は当たり前と思わざるを得ませんね。
彼らは、韓国・中国がいつまでも日本を加害者視するから、それに反論する為に様々な事件等を捏造と言う(証拠写真等に捏造があるのは確か)のか、それともそれらが本当に捏造と信じているから日本は加害者でないと言っているのか、その精神性はどちらにあるのでしょうかねえ。
>バカにされていましたから
それはまた。
小学校など80名しかいませんから解りやすいのですが、確かに絶対来ない人がいますね。多くはいじめに近いことがあった生徒と思われます。40前で亡くなったのは殆ど小学生時代の同級生です。
>25歳で
中学の時にある女の子に正しい読み方を教えたのに、先生がわざと違う読み方をしたので、僕が嘘つきと思われた小事件(笑)がありました。その女の子は、僕の冤罪を解かぬまま、僕の大学時代か社会人の初めくらいに、亡くなっていますよ。癌でしたね。
帰省した際に母親が教えてくれたのですが、同じ地区でもないのによく知り得たものだと思ったものです。
日本国内の思想犯より広い範囲です
>絶対来ない人がいますね
「人数合わせの為にお前も来い!」なんて電話が来ると余計に行く気がなくなります
>同じ地区でもないのによく知り得たものだと思ったものです。
そこが噂の怖さです。
僕が話題にした25歳の女性のお兄さんもその後ボート事故(アメリカの湖)で奥さんと共に非業の死
地元では知られた富豪(名門)の兄妹が共に跡継ぎもなく死去。すぐにその情報が来ました。
>「人数合わせの為にお前も来い!」なんて電話が来ると
それが青春ならぬ、それが人情ですね。
>噂の怖さ
お母さん方の井戸端会議の凄さを感じますね。
>25歳の女性
地元の名士だったですか。お金を持っていても死ぬ時は死にます。
こちらの亡くなった女性の父親は、統合されて生まれた新中学のスクールバスの運転手でした。市役所の職員だったのでしょうね。僕は彼女が亡くなって初めて知ったのですが。
合併した結果、以前色々と製品を買った電気店の娘が偶然にも同級生になったり(TKさん)、中学の統合は思いがけず良かったなあ。