映画評「ランダム 存在の確率」

☆☆★(5点/10点満点中)
2013年アメリカ=イギリス合作映画 監督ジェームズ・ウォード・バーキット
ネタバレあり

彗星が見られる日、エミリー・フォクスラーとその恋人モーリー・スターリング以下8人の男女がパーティーをする為に、メンバー夫婦の家に集合する。彗星の影響か、携帯電話が次々と壊れ、固定電話も壊れ、停電も起きる。が、メンバーの一人が2ブロック離れた家では明かりが点いていたと証言、それを頼りに二人の男性が家を離れる。が、帰ってきた二人は「窓から中を覗くと、自分たちと同じ人々がいた」と言い、そこから持ち逃げして来た箱を皆に見せる。箱を開けると中には何故か自分たちの写真が入っていて、疑問が湧き始める。

and so on and on...というミステリアスなお話で、ごく部分的にではあるが、着想は隠れたSF的ドラマの佳作「アナザー・プラネット」と非常に似ている。つまり、タイム・スリップとは全く関係のない次元で語られるパラレル・ワールドものということである。

全く理系ではない僕は、映画は生活感情をベースにして観るから、SFと言えども生活感情に訴えない作品を観ると腹応えを覚えないことが多く、本作はそうした部類に入る。つまらなくはないものの、「LUCY/ルーシー」のような生活に立脚した哲学的興味のようなものが湧出してこない。
 そもそも彼らがパラレル・ワールドの自分たちを敵視する理由がよく解らない。心理学的に正しい行動なのかどうか判断できず、他人のやる高級なゲームを外野席から見ている気分に終始する。

無数のパラレル・ワールドの住人が或る空間を通ると元の世界には戻れないことに気付き、同じ家にいる8人が微妙に運命を異にするバラバラの住人であったことが解っても、結論らしきものはない。主題が抽象的である(例えば、幸福とは何か)ならば、結論や幕切れを観客に任すという手も悪くはないが、本作の如く具体的なものでこれをやられると無責任のような気がして僕は余り好かない。

シネフィルが使うのとは違う意味での“実験映画”じゃね。“シュレディンガーの猫”の猫を人に変えたと言えば、物理学専攻の方は凡そ見当がつくじゃろ。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2015年08月23日 17:20
SF小説ではこの手の話は多いですね。
SF好きにはいいですけど一般向きとは言えませんです。
映画の題材向きではありませんね。
オカピー
2015年08月23日 20:35
ねこのひげさん、こんにちは。

>一般向き
映画は知能指数を測るツールではありませんからね(笑)

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  • 15-081「ランダム 存在の確率」(アメリカ)

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