映画評「証人の椅子」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1965年日本映画 監督・山本薩夫
ネタバレあり
1953年に起きた徳島ラジオ商殺しにより起きた冤罪事件を扱った開高健の小説「片隅の迷路」を社会派監督の山本薩夫が映画化したドラマ。同監督は「松山事件」(1961年)でも実際の冤罪事件を映画化しているが、こちらのほうが作品としてスマートで出来栄えはずっと良い。
徳島でラジオ店店主が殺され、住み込み店員二人(樋浦勉、麦人)の証言により、店主の妻・奈良岡朋子が真犯人として告訴され、二審の控訴棄却の後本人自ら最高裁への控訴を断念する。
陶器店を経営する甥・福田豊士は叔母の無実を信じ、真犯人を名乗る男の無罪放免の後、弁護士・浜田寅彦や法務局の加藤嘉と連携して、店員二人から偽証の自白を引き出すが、新田昌玄の検事に代表される検察側はこれを強迫と断定して再審の動きを封じ込めてしまう。
結論から言えば、1979年に実名・冨士茂子さんが亡くなった後1985年の再審の結果無罪が確定する。本作が作られてから20年後のことである。この再審で裁かれたのは、警察のずさんな捜査と検察の偽証への誘導である。
本作では特に検察の偽証への誘導を重要視し、冤罪で服役した冨士さんだけでなく、偽証した店員の人生をも狂わせた官憲の大罪に重心を置いてドラマ構成している。実際のことは解らないものの、映画は、強引さが上司から嫌われた新田検事を左遷させるという落着を用意して僅かながら善良なる観客の溜飲を下がらせる。
作品として好印象を覚えるのは、型通りに官憲が悪いという糾弾に走る代わりに、容疑者の甥を探偵役として活躍させ、偽証した若い店員の苦悩を描く人生ドラマ風に進行したこと。官憲に対する義憤を起こさせる力も十分にあり、秀作と言うべし。
店主夫人が“商人の椅子”を奪われるお話でもあります。
1965年日本映画 監督・山本薩夫
ネタバレあり
1953年に起きた徳島ラジオ商殺しにより起きた冤罪事件を扱った開高健の小説「片隅の迷路」を社会派監督の山本薩夫が映画化したドラマ。同監督は「松山事件」(1961年)でも実際の冤罪事件を映画化しているが、こちらのほうが作品としてスマートで出来栄えはずっと良い。
徳島でラジオ店店主が殺され、住み込み店員二人(樋浦勉、麦人)の証言により、店主の妻・奈良岡朋子が真犯人として告訴され、二審の控訴棄却の後本人自ら最高裁への控訴を断念する。
陶器店を経営する甥・福田豊士は叔母の無実を信じ、真犯人を名乗る男の無罪放免の後、弁護士・浜田寅彦や法務局の加藤嘉と連携して、店員二人から偽証の自白を引き出すが、新田昌玄の検事に代表される検察側はこれを強迫と断定して再審の動きを封じ込めてしまう。
結論から言えば、1979年に実名・冨士茂子さんが亡くなった後1985年の再審の結果無罪が確定する。本作が作られてから20年後のことである。この再審で裁かれたのは、警察のずさんな捜査と検察の偽証への誘導である。
本作では特に検察の偽証への誘導を重要視し、冤罪で服役した冨士さんだけでなく、偽証した店員の人生をも狂わせた官憲の大罪に重心を置いてドラマ構成している。実際のことは解らないものの、映画は、強引さが上司から嫌われた新田検事を左遷させるという落着を用意して僅かながら善良なる観客の溜飲を下がらせる。
作品として好印象を覚えるのは、型通りに官憲が悪いという糾弾に走る代わりに、容疑者の甥を探偵役として活躍させ、偽証した若い店員の苦悩を描く人生ドラマ風に進行したこと。官憲に対する義憤を起こさせる力も十分にあり、秀作と言うべし。
店主夫人が“商人の椅子”を奪われるお話でもあります。
この記事へのコメント
気の弱い人は、身に覚えがなくても認めてしまいますよね。
本稿をUPした日に、娘を焼死させたというカドで20年服役していた内縁の夫婦がほぼ釈放で決まりというニュースが届きました。
真相は解りませんが、ここまで来たら冤罪でしょうねえ。