映画評「悪童日記」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2013年ハンガリー=独=オーストリア=フランス合作映画 監督ヤーノシュ・サース
ネタバレあり
ハンガリーからスイスへ亡命した女流作家アゴタ・クリストフが1988年にフランス語で発表した同名小説をハンガリーの監督ヤーノシュ・サースが映画化した純文学映画。
第2次大戦末期、何処と特定されていないものの、明らかに、ナチスに協力していたハンガリー王国が舞台。
「双子は目立つ」と父親(ウルリッヒ・マテス)に言われた双子の息子(ラースロー・ギマント、アンドラーシュ・ギマント)が日記帳を持たされただけで母(ジョンジェベール・ボグナール)方の祖母(ピロシュカ・モルナール)の家に預けられ、連れてきた母親はいなくなる。「魔女」と噂される太った祖母は子供二人を母屋に入れず只管冷たくこき使う。
双子は、近所と言っても隣に家が一軒あるだけの寒村で、生きる為に「暴力」「空腹」「残虐」に抗し切るだけの訓練を自らに課し、観たことを日記に綴るうちに確かに強い人間になり、自ら作り上げた基準で善悪を判断し対処する。
内容はまるで違うものの子供と太った老婆の描写からフランス映画の秀作「これからの人生」(1977年)を思い出しながら観ていたが、厳しい画面(撮影監督クリスティアン・ベルナー)の点出する数々の野趣溢れる場面と、生命に対する即実的な扱いが大いに気に入り、高く評価する気になった。
作者は、少年たちが「残虐」に耐える為に殺した虫たちの標本を見せるのと同等の扱いで、人々が呆気なく死んでいくのを捉える。異父妹を連れて迎えに来た母親は少年たちが抗っているうちに空襲で死に、亡命しようと鉄条網を超えた父親も地雷で死ぬ。正に一瞬に人間がいなくなる感覚で死がドライ千万に捉えられている。隣の泥棒娘もソ連兵と楽しんだ後何故か死体で登場、双子は「死にたい」と言ったその母親の居る家に火を放ち、脳梗塞を連発している祖母の「安楽死」の要求にも応える。
数多く出て来る死にも色々な様相があり、少年たちが恐怖感を伴わずに死を見つめる様子に凄みを感じる。それでいて映画全体に無機質な印象を僕が覚えなかったのは、日記などに見られる野趣のおかげである。
「(聖書は)『汝、殺す勿れ』というけれど、皆、殺している」という少年の言葉は終戦時10歳だった原作者が戦争を通して覚えた無力なキリスト教的教条への反感であろう。双子の一人が父親の死(体)を踏み台に鉄条網の向こうに消えることから、作家としての彼女は、恐らく、ハンガリー人としての自分、そして、スイスに亡命した自分という二つの自分を持っていると自覚し、それが双子という設定を用意した理由ではないかと想像されて興味深い。
戦争の彼方に・・・
2013年ハンガリー=独=オーストリア=フランス合作映画 監督ヤーノシュ・サース
ネタバレあり
ハンガリーからスイスへ亡命した女流作家アゴタ・クリストフが1988年にフランス語で発表した同名小説をハンガリーの監督ヤーノシュ・サースが映画化した純文学映画。
第2次大戦末期、何処と特定されていないものの、明らかに、ナチスに協力していたハンガリー王国が舞台。
「双子は目立つ」と父親(ウルリッヒ・マテス)に言われた双子の息子(ラースロー・ギマント、アンドラーシュ・ギマント)が日記帳を持たされただけで母(ジョンジェベール・ボグナール)方の祖母(ピロシュカ・モルナール)の家に預けられ、連れてきた母親はいなくなる。「魔女」と噂される太った祖母は子供二人を母屋に入れず只管冷たくこき使う。
双子は、近所と言っても隣に家が一軒あるだけの寒村で、生きる為に「暴力」「空腹」「残虐」に抗し切るだけの訓練を自らに課し、観たことを日記に綴るうちに確かに強い人間になり、自ら作り上げた基準で善悪を判断し対処する。
内容はまるで違うものの子供と太った老婆の描写からフランス映画の秀作「これからの人生」(1977年)を思い出しながら観ていたが、厳しい画面(撮影監督クリスティアン・ベルナー)の点出する数々の野趣溢れる場面と、生命に対する即実的な扱いが大いに気に入り、高く評価する気になった。
作者は、少年たちが「残虐」に耐える為に殺した虫たちの標本を見せるのと同等の扱いで、人々が呆気なく死んでいくのを捉える。異父妹を連れて迎えに来た母親は少年たちが抗っているうちに空襲で死に、亡命しようと鉄条網を超えた父親も地雷で死ぬ。正に一瞬に人間がいなくなる感覚で死がドライ千万に捉えられている。隣の泥棒娘もソ連兵と楽しんだ後何故か死体で登場、双子は「死にたい」と言ったその母親の居る家に火を放ち、脳梗塞を連発している祖母の「安楽死」の要求にも応える。
数多く出て来る死にも色々な様相があり、少年たちが恐怖感を伴わずに死を見つめる様子に凄みを感じる。それでいて映画全体に無機質な印象を僕が覚えなかったのは、日記などに見られる野趣のおかげである。
「(聖書は)『汝、殺す勿れ』というけれど、皆、殺している」という少年の言葉は終戦時10歳だった原作者が戦争を通して覚えた無力なキリスト教的教条への反感であろう。双子の一人が父親の死(体)を踏み台に鉄条網の向こうに消えることから、作家としての彼女は、恐らく、ハンガリー人としての自分、そして、スイスに亡命した自分という二つの自分を持っていると自覚し、それが双子という設定を用意した理由ではないかと想像されて興味深い。
戦争の彼方に・・・
この記事へのコメント
戦争ではなくても現代でも生きがたいですからね。
少子化していくわけでありますね。
>悪童
敢えて言えば、彼らは天邪鬼ですかね。
>少子化
貧乏でなくても、「この汚濁の世に子供を放り出したくない」という映画の登場人物のような人もいるでしょうね。
政府は、出生率を1.8にするなどと息巻いていますが、日本人がオリンピックの100mで優勝するくらい難しいでしょう。
「悪童日記」があんなに話題になったのはタイトルの勝利でしょうね。原題は「大きなノート」かな? これじゃあんまり惹かれませんよね。
映画の原題はどうなってるんでしょう。続きの2作目のタイトルが「ふたりの証拠」で
つまり一作目のラストでふたりは別れるんですが、本当に双子だったのか?という疑問が残るんですよね。信用できない書き手ってやつです。(お話はおおきなノートに書いている日記)だから映画になったと知った時、えぇ、どうするの~双子だすの~と思いました。ちゃんと双子出てましたね。悪くない映画ですけど、原作が面白すぎるんで較べると妙に平凡な作品になってしまってて残念です。あの面白さは言語芸術(ちょっと大げさですが)の面白さなので較べるべきではないですけど。
アゴタクリストフが慣れないフランス語で書いているので、非常に簡潔というかそっけない言葉使いで、堀さんがそれを上手に翻訳しているので、嬉しいとか悲しいとかいうような感情の入り込むすきがなくて、それが彼ら?の困難な状況をシビアに表現していて一気読みでした。これはほんとに映画の事は忘れて未読の方には読んでいただきたいと思います。
>映画の原題
小説と同じようです。
>アゴタ・クリストフ
僕の持っている世界文学事典にも載っているので、重要な作家のようですが、比較的最近の作家は弱いので、殆ど知らない状態。
図書館にも日本で読める作品は全てあるようです。モカさんがお薦めなので、早いうちに読まないといけませんね。
今借りられているので、すぐにとは行かないようですが。人気があるんだなあ。
>言語芸術
長年本を読んできた経験から言うと、概して本の方が映画より面白いです。やはり映像として提示されず多くを想像に任すところに面白さを増幅させる因子がある。余りに長い大河小説なのは、コンパクトにまとめられた映画のほうが早く済んでいいやと思いますが、小説の面白さと映画の面白さは本質的に違うものがありますね。