映画評「トリシュナ」
☆☆★(5点/10点満点中)
2011年イギリス映画 監督マイケル・ウィンターボトム
ネタバレあり
「日蔭者ジュード」を映画化(「日蔭のふたり」)したことのあるマイケル・ウィンターボトムが再び(厳密には三度目)トーマス・ハーディを取り上げた悲劇。
題名からは解りにくいが、ロマン・ポランスキーの映画版でお馴染み「ダーバヴィル家のテス」の現代インド翻案版である。東京国際映画祭で紹介されているが、きちんした形では日本では封切されていない。
フリーダ・ピント扮する田園地帯の娘トリシュナが、英国から父親の祖国インドを訪れた青年ジェイ(リズ・アーメッド)と懇意になる。自営業の父親が仕事中に事故を起こして重傷を負い、その為に暫くの間19歳の彼女がただ一人で家の生活費を稼ぐ羽目になると、ジェイはそんな彼女に父親の経営するホテルの従業員として働かせつつ、経営学の勉強もさせ、遂に男女の関係になるが、居たたまれない彼女は帰郷しおじさんの工場で働くことにする。
しかし、そこへジェイが訪れ、大都市ボンベイへ駆け落ちと相成る。トリシュナはボリウッドのプロデューサーの真似事を始めた彼の庇護の下芸能の勉強を始めるが、彼は彼女が堕胎したことをずっと後になって知らせたことに失望、体調思わしくない父親の様子を見ると言って出て行ってしまう。
やがて彼女が生活に苦労していると、ジェイから連絡があり、今度は別のホテルで仕事をあてがってくれるが、以前の優しさはどこへやら男性の欲望を爆発させて彼女を苦しめる。彼女はジェイを殺し、家族の様子を確認した後、山で自殺する。
ウィンターボトムとしては「テス」をインド版に翻案したかったのではなく、カースト制が残るインドの構造的不条理を描く為に、英国に激しい階級差があった時代の「テス」の要素を取り込んだといったのではないかと想像されるが、一番大きな変更は原作ではヒロインのテスに絡んで来る二人の男性即ち優しいエンジェル・クレアと獣のような上流男アレックをジェイという一人の男性に集約し、二番目のホテル前後でその性格を分けている点である。しかし、為に狙いがよく解らなくなった気がする。
カースト制、田園地帯と都市圏における様々な対照を単に描くだけでなく、男性のエゴイズムを浮き彫りにすることでその問題を強調したかったのかという印象もないではないが、彼の豹変の理由が僕には皆目理解できない。原作でエンジェルは他人の子供を設けて死なせたのを知って出奔するのに比べ、自分の子供を始末されたことを知ったジェイが家を出る理由が日本人には甚だ曖昧に映る。黙っていたことに怒ったのか、始末したことに怒ったのか、よく解らない。その前に二人が懇ろになった直後に彼女が突然ホテルを辞めて帰郷する件もよく解らない。
恐らくは全てカースト制が絡んでいると想像するのであるが、余りに非説明的な展開ぶりで、いくら観照的なスタイルをモットーとするセミ・ドキュメンタリーの監督とは言え、もう少し観客に寄り添って欲しいと思う次第。
ホテルでジェイがエゴを強めていく過程を描く箇所はくどいまでに同じようなシーンを積み重ねるという手法を取っていて面白いが、全体としては「日蔭のふたり」に比べて散文的すぎて物足りない。
現代と近代以前が同居しているような感じだったなあ。
2011年イギリス映画 監督マイケル・ウィンターボトム
ネタバレあり
「日蔭者ジュード」を映画化(「日蔭のふたり」)したことのあるマイケル・ウィンターボトムが再び(厳密には三度目)トーマス・ハーディを取り上げた悲劇。
題名からは解りにくいが、ロマン・ポランスキーの映画版でお馴染み「ダーバヴィル家のテス」の現代インド翻案版である。東京国際映画祭で紹介されているが、きちんした形では日本では封切されていない。
フリーダ・ピント扮する田園地帯の娘トリシュナが、英国から父親の祖国インドを訪れた青年ジェイ(リズ・アーメッド)と懇意になる。自営業の父親が仕事中に事故を起こして重傷を負い、その為に暫くの間19歳の彼女がただ一人で家の生活費を稼ぐ羽目になると、ジェイはそんな彼女に父親の経営するホテルの従業員として働かせつつ、経営学の勉強もさせ、遂に男女の関係になるが、居たたまれない彼女は帰郷しおじさんの工場で働くことにする。
しかし、そこへジェイが訪れ、大都市ボンベイへ駆け落ちと相成る。トリシュナはボリウッドのプロデューサーの真似事を始めた彼の庇護の下芸能の勉強を始めるが、彼は彼女が堕胎したことをずっと後になって知らせたことに失望、体調思わしくない父親の様子を見ると言って出て行ってしまう。
やがて彼女が生活に苦労していると、ジェイから連絡があり、今度は別のホテルで仕事をあてがってくれるが、以前の優しさはどこへやら男性の欲望を爆発させて彼女を苦しめる。彼女はジェイを殺し、家族の様子を確認した後、山で自殺する。
ウィンターボトムとしては「テス」をインド版に翻案したかったのではなく、カースト制が残るインドの構造的不条理を描く為に、英国に激しい階級差があった時代の「テス」の要素を取り込んだといったのではないかと想像されるが、一番大きな変更は原作ではヒロインのテスに絡んで来る二人の男性即ち優しいエンジェル・クレアと獣のような上流男アレックをジェイという一人の男性に集約し、二番目のホテル前後でその性格を分けている点である。しかし、為に狙いがよく解らなくなった気がする。
カースト制、田園地帯と都市圏における様々な対照を単に描くだけでなく、男性のエゴイズムを浮き彫りにすることでその問題を強調したかったのかという印象もないではないが、彼の豹変の理由が僕には皆目理解できない。原作でエンジェルは他人の子供を設けて死なせたのを知って出奔するのに比べ、自分の子供を始末されたことを知ったジェイが家を出る理由が日本人には甚だ曖昧に映る。黙っていたことに怒ったのか、始末したことに怒ったのか、よく解らない。その前に二人が懇ろになった直後に彼女が突然ホテルを辞めて帰郷する件もよく解らない。
恐らくは全てカースト制が絡んでいると想像するのであるが、余りに非説明的な展開ぶりで、いくら観照的なスタイルをモットーとするセミ・ドキュメンタリーの監督とは言え、もう少し観客に寄り添って欲しいと思う次第。
ホテルでジェイがエゴを強めていく過程を描く箇所はくどいまでに同じようなシーンを積み重ねるという手法を取っていて面白いが、全体としては「日蔭のふたり」に比べて散文的すぎて物足りない。
現代と近代以前が同居しているような感じだったなあ。
この記事へのコメント
それが貧困を生み出しテロを生み出すことの元凶でもありますな。
教祖様がベンツを乗り回しているのを見ると信仰心なんて消えてしまうと思うがね。
彼らに怒られるでしょうが、自分たちのドグマ固執が貧困やその他の弊害を生んでいる(と思われる)のに、それを西洋文明のせいにしている。
ダメですよ、これじゃ。
しかし、テロリストは難民が先進国に移住することを面白く思っていないわけで、先進国が難民を受け入れなくなればそれこそ「してやったり」。
だから、簡単に方針を変えてはいけないと思いますね。