映画評「マイ・ライフ・メモリー」
☆☆★(5点/10点満点中)
2013年アメリカ映画 監督ローリー・コルヤー
ネタバレあり
アメリカ映画にも「そこのみにて光輝く」ような物語はある。原題は"Sunlight Jr."で、ヒロインが勤めるコンビニの名前であるが、やはり人生における日光の意をこめている模様。
コンビニに勤めるナオミ・ワッツは下半身不随の恋人マット・ディロンと同棲している。しつこく店に現れる前夫ノーマン・リーダスは、今では母親テス・ハーパーが里子数人と暮らす家の家主である為必要以上にひどくは扱えない。
そんなある日彼女は妊娠、ディロンが収入を得る道を模索しても一向に拉致が明かない為、出勤の回数を増やすように店と交渉するが、副店長から夜のシフトに回されたのが原因で首になる。恋人同士は突発的に衝突することが増え、遂には堕胎せざるを得なくなる。
が、破局したかと思えても結局二人は互いの傷をなめ合う為に寄りを戻すしかない。
大々的に公開された映画ではないから他人の評価を目にすることは殆どできないが、もし色々な人が観る話題作であれば原体験の少ない若い方々が登場人物特にディロンに共感できないなどと浅はかなコメントをして酷評するところだろう。
しかし、一人で働き子供を設けようとして心配で病院に診察に行っただけでナオミに激昂する、人間失格のように見えるディロンにしても、自分が働けない忸怩たる思いが、彼女への攻撃に変化するに過ぎない。
さて、煎じ詰めれば「貧しければ子供も作れない」というお話である。
日本では、政府は高い出生率を目標に掲げる一方、先立つものがなければ結婚はできない、子供も作れない、という心理が働いている低所得者層を減らす為に明確な政策を取っていないように思う。
片や、アメリカでは低所得者層は高い医療費を払わなければならず、本作のディロン扮する人物によればちょっとした検診に$1500もかかる。日本の制度下なら$450で済むが、それでも馬鹿らしいまでに高い。アメリカでは貧乏人は病気にもなれない実態を捉えたマイケル・ムーアのドキュメンタリー「シッコ」を思い出す。
思うに、ディロンの怒りは内妻ではなく国への怒りだったのかもしれない。この点に関して日本はずっと良い。TPPにより日本の国民皆健康保険制度が崩れアメリカみたいになると予想する(した? 最近は余り聞かない)人もいるが、さすがにそれはないであろう。
閑話休題。
本作は、ケン・ローチほど庶民と国家との関係を見る社会派の立場ではなく、呉美保ほど人間を接写するという感じでもない。そういう意味では中途半端で、諦めの境地に終わる幕切れも自然体と言えば聞こえは良いが、何となく弱々しい。子供の居ない中年夫婦が罵詈雑言の交換の末に傷をなめ合う幕切れを迎える「バージニア・ウルフなんか怖くない」(1966年)の貧乏バージョンみたいな印象がないわけではないものの、貧乏だと夫婦喧嘩の迫力も出ないようである。
女性監督ローリー・コルヤーの作品。
またまた「後撰和歌集」のお話。指示代名詞“そこ”と“底”を掛詞にした歌を発見した。但し、この時代の“そこ”は“そなた”つまり“あなた”のこと。
2013年アメリカ映画 監督ローリー・コルヤー
ネタバレあり
アメリカ映画にも「そこのみにて光輝く」ような物語はある。原題は"Sunlight Jr."で、ヒロインが勤めるコンビニの名前であるが、やはり人生における日光の意をこめている模様。
コンビニに勤めるナオミ・ワッツは下半身不随の恋人マット・ディロンと同棲している。しつこく店に現れる前夫ノーマン・リーダスは、今では母親テス・ハーパーが里子数人と暮らす家の家主である為必要以上にひどくは扱えない。
そんなある日彼女は妊娠、ディロンが収入を得る道を模索しても一向に拉致が明かない為、出勤の回数を増やすように店と交渉するが、副店長から夜のシフトに回されたのが原因で首になる。恋人同士は突発的に衝突することが増え、遂には堕胎せざるを得なくなる。
が、破局したかと思えても結局二人は互いの傷をなめ合う為に寄りを戻すしかない。
大々的に公開された映画ではないから他人の評価を目にすることは殆どできないが、もし色々な人が観る話題作であれば原体験の少ない若い方々が登場人物特にディロンに共感できないなどと浅はかなコメントをして酷評するところだろう。
しかし、一人で働き子供を設けようとして心配で病院に診察に行っただけでナオミに激昂する、人間失格のように見えるディロンにしても、自分が働けない忸怩たる思いが、彼女への攻撃に変化するに過ぎない。
さて、煎じ詰めれば「貧しければ子供も作れない」というお話である。
日本では、政府は高い出生率を目標に掲げる一方、先立つものがなければ結婚はできない、子供も作れない、という心理が働いている低所得者層を減らす為に明確な政策を取っていないように思う。
片や、アメリカでは低所得者層は高い医療費を払わなければならず、本作のディロン扮する人物によればちょっとした検診に$1500もかかる。日本の制度下なら$450で済むが、それでも馬鹿らしいまでに高い。アメリカでは貧乏人は病気にもなれない実態を捉えたマイケル・ムーアのドキュメンタリー「シッコ」を思い出す。
思うに、ディロンの怒りは内妻ではなく国への怒りだったのかもしれない。この点に関して日本はずっと良い。TPPにより日本の国民皆健康保険制度が崩れアメリカみたいになると予想する(した? 最近は余り聞かない)人もいるが、さすがにそれはないであろう。
閑話休題。
本作は、ケン・ローチほど庶民と国家との関係を見る社会派の立場ではなく、呉美保ほど人間を接写するという感じでもない。そういう意味では中途半端で、諦めの境地に終わる幕切れも自然体と言えば聞こえは良いが、何となく弱々しい。子供の居ない中年夫婦が罵詈雑言の交換の末に傷をなめ合う幕切れを迎える「バージニア・ウルフなんか怖くない」(1966年)の貧乏バージョンみたいな印象がないわけではないものの、貧乏だと夫婦喧嘩の迫力も出ないようである。
女性監督ローリー・コルヤーの作品。
またまた「後撰和歌集」のお話。指示代名詞“そこ”と“底”を掛詞にした歌を発見した。但し、この時代の“そこ”は“そなた”つまり“あなた”のこと。
この記事へのコメント
総中流時代といわれた時代が懐かしい昨今であります。
打開策はあるんですかね?
>総中流時代
その時代に稼いだお金で糊口をしのいでおりますが。
>打開策
全員に良い施策というのはないものですが、金持ちと企業を税金を優遇しすぎではないかなあ。
昔、落合選手が年俸について「みんな税金で取られてしまうから、いくらだっていいじゃない」と言っていましたが、今ならそんなことは言えませんね。