映画評「真夜中の五分前」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2014年日本=中国合作映画 監督・行定勲
ネタバレあり
コンスタントにドラマ系映画を撮ることができている行定勲監督が、本多孝好の同名小説を、舞台を上海に移して翻案映画化した中国との合作映画。
上海で時計修理屋を手伝っている日本人の青年職人・良(三浦春馬)が、プールでフリーライターの美人ルオラン(リウ・シーシー)と知り合い、プレゼントの買い物のお手伝いをすることになる。後日プレゼントの相手である、彼女とそっくりな一卵性双生児の妹ルーメイ(シーシー二役)を紹介される。
彼はルオランと恋仲になっていくが、姉妹は揃って出かけたモーリシャスで海難事故に遭遇、女優のルーメイだけが生還する。しかし、一年後夫の映画プロデューサー(チャン・シャオチュアン)は彼女の正体をルオランと疑い、良に正体を探らせる。彼は夫君に「彼女はルーメイである」と告げるが、果たして真相は・・・。
僕は途中まで他人の存在の中に自分を、自分の中に他人を見出す自我(ヘーゲル「精神現象学」参照)を描く哲学映画なのだろうとそういう面に着目して観ていたが、最後まで観るとミステリアスな恋愛成就映画であることが理解できるように作られている。
つまり、妹ルーメイに自分の人生(哲学的に言えば“自我”)を奪われたと考えていたルオランが、モーリシャスで死んでしまったルーメイに成り済まし金持ちの映画プロデューサーと結ばれるが、やはり好きなのは良であると気付くお話である。
何故か彼女がルオランであるかと言えば、彼女は良から貰った腕時計を取り戻す為に彼女自ら置いてきたモーリシャスの教会に出かけるからである。先に祭壇を離れたルーメイは彼女が祭壇に時計を置いてきたこと(=良を捨てる寓意=)を知らないのだ。取り戻したその時計を彼の部屋に置くことは良への愛情の告白に他ならない。
従って、意地悪く見れば、或いは泳げるルオランが泳げないルーメイを見殺しにした可能性があり(どころか、かなり高いかもしれない)犯罪映画的な見地でも観られないこともなく、案外見応えのある作品となっている。
が、逆に、形而上学的な自我の問題を絡めすぎた為に途中(というより後半の後半くらい)まで捉えどころがないと言えないこともなく、両手(もろて)を挙げて褒める気になりにくいのはご愁傷さま。
因みに、良は部屋における置時計の部屋での存在から彼女がルオランであることは最初から気付いていた、というのが実際であろう。最後のプールの件は解りにくいが、彼女の演技に違いない。
少女時代にまで遡って考えると、本人たちも自分がどちらか解らない。小説や映画だけの世界でしょうけどね。
2014年日本=中国合作映画 監督・行定勲
ネタバレあり
コンスタントにドラマ系映画を撮ることができている行定勲監督が、本多孝好の同名小説を、舞台を上海に移して翻案映画化した中国との合作映画。
上海で時計修理屋を手伝っている日本人の青年職人・良(三浦春馬)が、プールでフリーライターの美人ルオラン(リウ・シーシー)と知り合い、プレゼントの買い物のお手伝いをすることになる。後日プレゼントの相手である、彼女とそっくりな一卵性双生児の妹ルーメイ(シーシー二役)を紹介される。
彼はルオランと恋仲になっていくが、姉妹は揃って出かけたモーリシャスで海難事故に遭遇、女優のルーメイだけが生還する。しかし、一年後夫の映画プロデューサー(チャン・シャオチュアン)は彼女の正体をルオランと疑い、良に正体を探らせる。彼は夫君に「彼女はルーメイである」と告げるが、果たして真相は・・・。
僕は途中まで他人の存在の中に自分を、自分の中に他人を見出す自我(ヘーゲル「精神現象学」参照)を描く哲学映画なのだろうとそういう面に着目して観ていたが、最後まで観るとミステリアスな恋愛成就映画であることが理解できるように作られている。
つまり、妹ルーメイに自分の人生(哲学的に言えば“自我”)を奪われたと考えていたルオランが、モーリシャスで死んでしまったルーメイに成り済まし金持ちの映画プロデューサーと結ばれるが、やはり好きなのは良であると気付くお話である。
何故か彼女がルオランであるかと言えば、彼女は良から貰った腕時計を取り戻す為に彼女自ら置いてきたモーリシャスの教会に出かけるからである。先に祭壇を離れたルーメイは彼女が祭壇に時計を置いてきたこと(=良を捨てる寓意=)を知らないのだ。取り戻したその時計を彼の部屋に置くことは良への愛情の告白に他ならない。
従って、意地悪く見れば、或いは泳げるルオランが泳げないルーメイを見殺しにした可能性があり(どころか、かなり高いかもしれない)犯罪映画的な見地でも観られないこともなく、案外見応えのある作品となっている。
が、逆に、形而上学的な自我の問題を絡めすぎた為に途中(というより後半の後半くらい)まで捉えどころがないと言えないこともなく、両手(もろて)を挙げて褒める気になりにくいのはご愁傷さま。
因みに、良は部屋における置時計の部屋での存在から彼女がルオランであることは最初から気付いていた、というのが実際であろう。最後のプールの件は解りにくいが、彼女の演技に違いない。
少女時代にまで遡って考えると、本人たちも自分がどちらか解らない。小説や映画だけの世界でしょうけどね。
この記事へのコメント
双子が片一方になりすますというのはよくある話なのでありますけどね。
双生児は、喜劇・冒険ものに活用しやすいですね。
片一方になりすます代表は、アラン・ドロンがかつて主演した冒険もの「黒いチューリップ」。