映画評「キッチン」

☆☆★(5点/10点満点中)
1989年日本映画 監督・森田芳光
ネタバレあり

吉本ばななの同名小説を森田芳光が映画化したドラマ。彼の監督作品は全部観ているつもりでいたが、本作は未鑑賞であった。

両親がなく一緒に暮らしていた祖母に死なれて一人ぼっちになった少女・川原亜矢子が、祖母の知り合いという青年・松田ケンジのマンションに居候することになる。母親を自称する父親・橋爪功が一緒に暮らしている。料理教室でアシスタントをしている少女は、この風変わりな親子に得意な料理を振る舞い、疑似親子を暫し演ずることになる。
 やがて、彼女がマンションを出て料理友達とルームシェアを始めると、そのショックで(?)橋爪がセラピーの施設に逃げ出し、この事件を契機に彼女と松田の友達的な関係が男女の思いへと変化し始める。

至って乱暴にお話をまとめるとこんな感じになると思うが、疑似親子関係を交えて進む変則的な恋愛映画と言うべきだろう。
 まず、父親が母親になるという設定。本当の親子なのに疑似親子を演じていることになり、原作由来であるとは言え、なかなか興味深い。最初にヒロインが家を出ること、父親=母親が家出をした後恋人を作って家に戻ることを以って疑似親子関係を脱却した時に二人は互いを純粋なる恋愛対象と意識し始める。

原作は家族をテーマにした作品らしいから、映画は大分違うことになるが、原作を読まない僕には関係がない。機械的とも言いたくなる無機質な台詞回しは余り現実に即しない実験的な人物の配置やキャラクター造形に沿った一種の幻想的世界を感じさせるための演出であろうと思う。現代純文学の世界を構築するには余りの生々しさは似つかわしくなく、これはこれで僕は気に入った。

にも拘わらず採点を水準に留めたのは、一回鑑賞しただけの現時点では琴線に触れるところが全くなかったからである。そんな中で印象に残ったのは、青年を思う女性がヒロインに言う、「あなたは男女関係の(きつい部分を避け)楽しい部分だけを味わっている」という台詞。多分これがヒロインをして別居を考え始める動機であったのだろう。

今でも活躍中の川原亜矢子の人間離れしたスタイルはまるで少女漫画のヒロインのようで、実験的生活ファンタジーと言うべき作品世界の構築に大いに貢献している。顔は素朴な子供のようなのにロングショットになるとその長身と顔の小ささにビックリさせられる。これが実に効果的なのである。

流行を追う人にはもう昔扱いとなる30年近く前に発表された原作なれど、図書館に二種類あった原作はどちらも借りられていた。人気なのね。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2016年01月24日 12:43
30年前観ましたけどね。
主役の二人が棒読みでありました。
当時、川原亜矢子さんは、モデルとして絶大な人気を誇っておりましたから使ったんだろうな~と思っておりました。
オカピー
2016年01月24日 21:39
ねこのひげさん、こんにちは。

>30年前
おおっ、当時ご覧になっている!

当方、小説も映画も題名は聞いたことがあり、観たと思っていましたが、1万本以上記録されている筈のIMDbに僕の採点が記されなかったので、観ていないと解りました(笑)
最近記憶が曖昧で・・・

>棒読み
でしたね^^
でも、それが本作には必要でした。
川原亜矢子の十頭身も作品世界の構築に必要だったのでしょう。

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