映画評「大鹿村騒動記」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2011年日本映画 監督・阪本順治
ネタバレあり
阪本順治監督としては珍しいタイプと言える(群像)喜劇である。
舞台は、大鹿(おおしか)歌舞伎で知られる長野県大鹿村。
鹿肉料理の店(その名が「ディア・イーター」なのは「ディア・ハンター」のパロディーっぽい)を営む原田芳雄は、大鹿歌舞伎「六千両後日文章 重忠館の段」の平景清を演ずる素人役者でもある。そこへ18年前に駆け落ちされた妻・大楠道代と連れ出した岸部一徳が戻ってくる。
村はリニア新幹線誘致を巡って二分され、これが本来は関係ないはずの歌舞伎公演に影響が出、まとめ役の石橋蓮司が苦労する。原田は時にかなり重い認知症の症状を示す妻を抱えて役に身が入らない。しかも台風で景清の相手役である道柴を演じるバス運転手・佐藤浩市が負傷する。
しかし、役場の職員・松たか子の提案で、駆け落ち前に毎年演じていた道柴役の記憶は妙にしっかりしている大楠女史が同役を演じることで公演の問題は一石二鳥的に解決する。
期待通りにこの役を演じることで彼女が以前の様子に立ち返り、二人は昔同様の夫婦としてやれるような感じになる。
しかし・・・というお笑いの一幕で、無形文化財になっている大鹿歌舞伎の周囲で湧き起こる様々な騒動のうちに構成されるのは原初的な人間賛歌である。夫婦(勿論原田=大楠)や恋人(東京にいる恋人の誠実さが気になる松たか子、或いは郵便局員・瑛太を思慕する店の手伝い・冨浦智嗣)の関係が重ねられている。つまり、本作において人間賛歌は愛に立脚して寿がれる。
根本は熟年男女関係に根差す骨太な喜劇であるが、村を二分するリニア誘致問題、性同一性障害、認知症というデリケートな現代的トピックを枝葉に配しているところが、さすが現在の作品という印象を覚えさせる。
「六千両後日文章」の男女関係とこの変てこな夫婦の関係とに互いに重なる部分がないではないものの、強く共鳴し合う程ではない。終盤かなり時間を掛けてこの演目が見せられることを考えれば、ここが不満と言えば不満。
しかし、実際に存在する村の野趣溢れる歌舞伎に、一般俳優の原田芳雄や大楠道代が入り込んで演じるという、虚実の混淆が大いに面白味を醸成する。他方、大鹿歌舞伎なるものに興味を持てなければその魅力は大いに減退する。
景清のお話だったので一昨年読んだ「出世景清」か「壇浦兜軍記」と思ったものの両者共に道柴なる人物は出て来ないので調べたところ「六千両後日文章」と判った。この演目は大鹿歌舞伎にしか伝わっていないという。景清ものが結構あると知って個人的には非常に勉強になった。
本作公開直後に、まだまだ若い原田芳雄が亡くなった。画面で観る限りは元気そうに見えるが、死が近寄っていたのだねえ。その二年後に会長役の三國連太郎(佐藤浩市と親子共演)が死去する。古い映画ファンとしては失うに惜しい二人だった。
「出世景清」「仮名手本忠臣蔵」のように浄瑠璃から歌舞伎化したものを「丸本歌舞伎」と言います。
2011年日本映画 監督・阪本順治
ネタバレあり
阪本順治監督としては珍しいタイプと言える(群像)喜劇である。
舞台は、大鹿(おおしか)歌舞伎で知られる長野県大鹿村。
鹿肉料理の店(その名が「ディア・イーター」なのは「ディア・ハンター」のパロディーっぽい)を営む原田芳雄は、大鹿歌舞伎「六千両後日文章 重忠館の段」の平景清を演ずる素人役者でもある。そこへ18年前に駆け落ちされた妻・大楠道代と連れ出した岸部一徳が戻ってくる。
村はリニア新幹線誘致を巡って二分され、これが本来は関係ないはずの歌舞伎公演に影響が出、まとめ役の石橋蓮司が苦労する。原田は時にかなり重い認知症の症状を示す妻を抱えて役に身が入らない。しかも台風で景清の相手役である道柴を演じるバス運転手・佐藤浩市が負傷する。
しかし、役場の職員・松たか子の提案で、駆け落ち前に毎年演じていた道柴役の記憶は妙にしっかりしている大楠女史が同役を演じることで公演の問題は一石二鳥的に解決する。
期待通りにこの役を演じることで彼女が以前の様子に立ち返り、二人は昔同様の夫婦としてやれるような感じになる。
しかし・・・というお笑いの一幕で、無形文化財になっている大鹿歌舞伎の周囲で湧き起こる様々な騒動のうちに構成されるのは原初的な人間賛歌である。夫婦(勿論原田=大楠)や恋人(東京にいる恋人の誠実さが気になる松たか子、或いは郵便局員・瑛太を思慕する店の手伝い・冨浦智嗣)の関係が重ねられている。つまり、本作において人間賛歌は愛に立脚して寿がれる。
根本は熟年男女関係に根差す骨太な喜劇であるが、村を二分するリニア誘致問題、性同一性障害、認知症というデリケートな現代的トピックを枝葉に配しているところが、さすが現在の作品という印象を覚えさせる。
「六千両後日文章」の男女関係とこの変てこな夫婦の関係とに互いに重なる部分がないではないものの、強く共鳴し合う程ではない。終盤かなり時間を掛けてこの演目が見せられることを考えれば、ここが不満と言えば不満。
しかし、実際に存在する村の野趣溢れる歌舞伎に、一般俳優の原田芳雄や大楠道代が入り込んで演じるという、虚実の混淆が大いに面白味を醸成する。他方、大鹿歌舞伎なるものに興味を持てなければその魅力は大いに減退する。
景清のお話だったので一昨年読んだ「出世景清」か「壇浦兜軍記」と思ったものの両者共に道柴なる人物は出て来ないので調べたところ「六千両後日文章」と判った。この演目は大鹿歌舞伎にしか伝わっていないという。景清ものが結構あると知って個人的には非常に勉強になった。
本作公開直後に、まだまだ若い原田芳雄が亡くなった。画面で観る限りは元気そうに見えるが、死が近寄っていたのだねえ。その二年後に会長役の三國連太郎(佐藤浩市と親子共演)が死去する。古い映画ファンとしては失うに惜しい二人だった。
「出世景清」「仮名手本忠臣蔵」のように浄瑠璃から歌舞伎化したものを「丸本歌舞伎」と言います。
この記事へのコメント
>自分の歳を感じますですよ。
右に同じです。
野球の監督やコーチの大半が年下になっているのもね^^;