映画評「キャバレー」(1972年)

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1972年アメリカ映画 監督ボブ・フォッシー
ネタバレあり

僕が映画ファンを自覚して程ない1972年に映画雑誌紙上でかなり話題になったのを憶えている。個人的にはリアルタイムではなく、70年代後半東京で生活をするようになって名画座で観た。

日本語でミュージカルと言うと“歌って踊って”を想像させるが、英語圏ではもっと幅広い概念で、これなども紛うことなきMusicalである。
 原作は三つあって、クリストファー・イシャウッドの「ベルリン短編集」、その舞台化「私はカメラ」、そのブロードウェイ・ミュージカル化版。形としては最後の舞台ミュージカルの映画版となるが、実際には前二者の要素を相当混ぜているらしい。「スイート・チャリティ」(1968年)で舞台振付から映画に進出したボブ・フォッシーは本作により映画ファンの記憶に残ることになる。

1930年代初めのベルリン、語学研修の為に英国から訪れたマイケル・ヨークが、同じ下宿に住むアメリカ人のキャバレーの女歌手ライザ・ミネリーと親しくなり、このカップルに、彼が英語を教えるドイツ人フリッツ・ヴェッパーやユダヤ富豪令嬢マリサ・ベレンソン、さらに退廃的な貴族ヘルムート・グリームが絡み合って進むうちに、不況をバネにナチスが台頭してくる。

キャバレーの司会者ジョエル・グレイは直接的に彼らに絡むわけではないが、そうした不穏な時代の訪れを感じさせる数々の演目を進行させ、登場人物の運命の傍観者・予言者として機能しているのが面白い。ヒロインの披露する歌曲はそのまま彼女の実生活と重なり、心情を反映する。当時としてはこの手法がかなり新鮮だったと思われる(昨今の作品ならそこをもっと強調するだろうから、今観ると淡白に映らないでもないが)。

グリーム以外の主要登場人物が英国人、米国人、或いはユダヤ人(ヴェッパーも実はユダヤ人)と、数年後にドイツ若しくはドイツ人と敵対する人々であるというのも皮肉な配置で、このお話終了後に起こることになる悲劇を匂わせながら終わっている。ガラス越しにナチス将兵が歪んで映る様子の何と不気味なことよ!

十代の頃は、純情にも、中絶を経てマイケルと別れたライザがキャバレーで懸命に歌う姿の切なさに涙を流したものだが、今回は最後に唄われるこの歌の「人生はキャバレーみたいなごった煮、気楽に生き(行き)ましょう」とでも言っているような感じに、胸を打たれるものがあった。この歌即ち「キャバレー」は正に名曲で、他にも良い曲や面白い曲が多い。

ライザはさすがに歌姫ジュディー・ガーランドの娘、芸も歌も達者。どちらかと言えば映画監督の父親ヴィンセント・ミネリに似ているが、母親に似ているところも結構ある。マイケル・ヨークは当時人気のあった英国俳優、ドイツのヘルムート・グリームは退廃美を買われてルキノ・ヴィスコンティに重用された。

久しぶりにジュディー主演の傑作「スタア誕生」(1954年)も再鑑賞しなければ。

この記事へのコメント

十瑠
2016年02月28日 09:13
再見したい作品リストの上位にあり続けていますが、いざとなると後回しになってる映画です。オスカー作品ですから何時でも観れる思ってるんでしょう。
かなり記憶は曖昧ですが、封切りに近い頃に観ましたね。
一番記憶に残っている曲は「マニー」。
♪money makes the world go around ~
コミカルな中にきわどい毒をまき散らして強烈でした。
ねこのひげ
2016年02月28日 15:36
ライザ・ミネリ・・・迫力ありましたね。
オカピー
2016年02月28日 18:51
十瑠さん、こんにちは。

>何時でも観れる
そういうものですよね。
しかし、この作品、最近は案外出て来ず、今回出たのもDVD程度の画質でした。これがハイビジョンになったところで特に感銘が増すこともないと思いますが。

>封切
これ、当方へ来たかなあ?
記憶ないなあ。

>「マニー」
諧謔度満点の可笑しい曲でした。
確かに、金で世の中回っていますなあ^^
オカピー
2016年02月28日 19:16
ねこのひげさん、こんにちは。

>ライザ・ミネリー
全身ミュージカルという感じでした。
母親のジュディー・ガーランドもそうでしたが。
mirage
2023年08月27日 08:56
こんにちは、オカピーさん。
私の大好きな、大好きな映画、ボブ・フォッシー監督、ライザ・ミネリ主演の「キャバレー」のレビューを書かれていますので、コメントしたいと思います。

この映画「キャバレー」は、退廃的なキャバレーのショーの陶酔感と、時代を見る透徹して、醒めた映像作家の眼で、ボブ・フォッシー監督が描いた不朽の名作ですね。
そして、この映画は、1972年度の第45回アカデミー賞にて「ゴッドファーザー」という強力なライバルを制して、主要8部門に輝いた名作ですね。

最優秀監督賞(ボブ・フォッシー)、最優秀主演女優賞(ライザ・ミネリ)、最優秀助演男優賞(ジョエル・グレイ)、最優秀撮影賞(ジェフリー・アンスワース)、その他、最優秀美術賞・編集賞・編曲賞・録音賞を受賞しています。

また、同年のゴールデン・グローブ賞のミュージカル/コメディ部門の最優秀監督賞(ボフ・フォッシー)と最優秀主演女優賞(ライザ・ミネリ)、最優秀助演男優賞(ジョエル・グレイ)を受賞しており、ジョエル・グレイは同年のニューヨーク映画批評家協会の最優秀助演男優賞も受賞と、その年の映画賞を総なめにしていますね。
そして、ジョエル・グレイは、ブロードウェイの舞台でも、映画と同じ司会者の演技でトニー賞の最優秀助演男優賞も受賞しています。

この映画「キャバレー」は、原作がイギリスのクリストファー・イシャーウッドの「ベルリン日記」で、ベルリンでのナチス台頭期の人々を冷徹に見つめた、ドキュメント・タッチの小説を基にしています。

1930年代初頭のベルリンは、左右勢力の対立、インフレと社会不安の中、ファシズムの暗雲漂う政治状況に背を向け、デカダンス的な生活を追い求める人々の姿が風刺的に描かれ、その背後にひたひたと忍び寄って来る、ナチスの足音を不気味に再現しています。

そのデカダンスと倦怠のムードに包まれた時代に生きた、一群の人々の悲哀を描き、ミュージカルの場面とドラマの場面が巧みに融合され、いかにも退廃的なキャバレーのショーの場面の陶酔感と、時代を見る透徹して、醒めたボブ・フォッシー監督の眼が、この映画を質の高い、ミュージカルと人間ドラマの融合した優れた映画にしていると思います。

もちろん、この映画でブレイクし、大スターとなったライザ・ミネリのあけっぴろげで、向日葵のように底抜けに明るいサリーという歌姫のヒロイン像。

司会者役のジョエル・グレイの見せる、スタンダップ・コメディアン的な悪魔的とも言える、風刺と皮肉を駆使した本物の芸のうまさも忘れられない映画です。

歌とダンスのミュージカルが、ジョエル・グレイの司会で、並行するドラマの進行と混然一体となり、舞台から映画への拡がりに成功していると思います。

その画面は、撮影の名手ジェフリー・アンスワースの感覚的で官能的なカメラの眼によって、優れて絵画的なものになっていて、痺れるような陶酔感を味わえます。

タイトル・バックの凹凸のある模様ガラスを通して見える客席は、映画のラストシーンにも再び現われて、場内のざわめきを我々観る者に伝えますが、そのボブ・フォッシー監督の画家的な感覚には、"時代と社会に対する痛烈な風刺と批判"が込められているように思います。

そして"客席の中にいるナチスのカーキ色の制服が、その時代の暗さを象徴する不気味な感じ"をよく表現していて、見事なラストであったと思います。

ボブ・フォッシー監督は、この映画の製作意図を「映画の可能性は無限であると思う。
限界があるのは監督の頭である。私は今迄、欲求不満の画家といった存在であった。
カメラが初めて私に多少"絵を描く"チャンスを与えてくれた。
----ダンスは環境、雰囲気、特定の場所、そして人物の性格を示すべきである」と語っています。

この映画の主人公の歌姫サリーを圧倒的な存在感と、そのダイナミックで情感溢れる歌声で、我々観る者を魅了したライザ・ミネリは、「巴里のアメリカ人」、「恋の手ほどき」等の名匠ヴィンセント・ミネリ監督と大歌手のジュディー・ガーランドを両親に持ち、すれっからしと純情が紙一重のサリーというキャバレーの歌姫を心憎い程、見事に演じ切り、その大きな瞳と張りのある素敵な歌声は、鮮烈でまさにスター誕生そのものでした。

"人生はキャバレーそのもの----"と歌うサリーの歌には、芸人の儚い一途な自由への叫びが込められていて、何度聴いても魂を震わせ、心の襞に染み込む名曲として、私の脳裏に焼き付いて離れません。

ライザ・ミネリが、アカデミー賞の授賞式で「これは亡き母の生涯の夢でした。
今、私は母が果たせなかった夢を満たしたのです。
このオスカーは母のものです」と語っていて、彼女の母ジュディー・ガーランドに対する思い、愛情の深さを知る事が出来ます。
オカピー
2023年08月27日 20:54
mirageさん、こんにちは。

>ナチスの足音を不気味に再現しています。

1960年代末から70年代前半にかけて、何故か、ナチスの退廃を描いた話題作が作られましたね。
「地獄に堕ちた勇者とも」とか「愛の嵐」とか。この「キャバレー」も遠回しながら、そんな作品の一つに数えて良いのでしょう。

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