映画評「失われた週末」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1945年アメリカ映画 監督ビリー・ワイルダー
ネタバレあり
最近はアルコール依存症などと言われるが、我が世代にはアルコール中毒(アル中)と言った方がピンと来る。
本作は、ブレイク・エドワーズ監督「酒とバラの日々」(1962年)と並び称される、アルコール禍を描いたビリー・ワイルダーの秀作だが、二人とも後年コメディーに進んでいくのは興味深い。尤も、ワイルダーは戦前脚本家としてエルンスト・ルビッチなどに喜劇を提供していたわけだから、当然の成り行きだった。
この時代の作品らしくニューヨークの遠景から、パンして窓から何かが吊り下げられている部屋に入り、週末の旅の準備をしているレイ・ミランドを捉える。アル中の彼の療養を主眼に兄フィリップ・テリーが計画したものである。窓から吊り下げられていたのが酒瓶と判る辺りはちょっとしたミステリー・サスペンス的な細工で楽しめるが、彼は病院を退院したばかりで、恋人ジェーン・ワイマンが小物を持って見送りに訪れる。
彼女が持っていた演奏会の切符を無駄にしない為に彼女と兄は劇場へ出かけ、彼はその間に偶然知った掃除婦の給金をネコババ、兄の通達によりツケの利かなくなった酒場でグラスを空け、ボトルを買って帰宅する。
酒場の場面で、彼が売れない作家で、酒に逃れてイメージを湧かそうとするうちに悪循環に陥ったことが語られ、上流階級の恋人とのなりそめが回想で紹介される。
かくして週末の旅行をオミットした彼は、(質屋が尽くユダヤ人である為ユダヤ教の休日である)土曜日故に愛用のタイプを質に出せず、酒場で馴染みになった女性ドリス・ダウリングからお金を借りたその場で昏倒、病院に担ぎ込まれる。病院で予告されたようにアル中の後期に入った彼はネズミや蝙蝠の幻覚に襲われる。
遂に自殺を決断した彼は、恋人のコートを質にピストルを取り戻すが、彼女に留められる。そこへ酒場のバーテン兼主人ハワード・ダ・シルヴァが置き忘れたタイプを持ってきた為、自分の経験を小説にすることを決意する。
このお話自体が彼の書いた私小説の中の出来事と解釈できないこともない幕切れで、主人公がそれまで苦労したのが何だったのかと思えるほど呆気なく立ち直ってしまうのが作劇的には弱いが、恐らく、現在と違って非常に保守的であったアメリカ映画界の要求に沿ったものだろう。だから、17年後の「酒とバラの日々」に厳しさや現実味で劣るのは仕方がなく、僕は映画史を無視した比較はしたくない。
サスペンスも巧いワイルダーだから、前半のうちはミステリー的な小道具の使い方やサスペンスを思わせるミランドの流し目が映画的に面白く楽しんでいるうち、次第にアルコール禍の恐怖を打ち出してアルコールには縁のない僕をもゾッとさせる。ワイルダーは大半の映画で回想形式を用いているが、本作のように途中で部分的に使われるのは少し珍しい。しかし、本作が小説内の出来事であれば、最初から回想ということになる。
ミランドは好演というより熱演で、アカデミー主演男優賞を受賞。多分この時くらいからアカデミー賞は中毒や精神病の人を演ずると有利であると言われるようになったのではないだろうか(全くの想像)。ジェーン・ワイマンはロナルド・レーガンの元夫人、彼が大統領になった時に紹介された記憶がある。
他に、作品賞、監督賞、脚色賞も受賞した。その他僕がアカデミー賞より重視しているNY批評家協会賞作品賞・監督賞・男優賞、ゴールデン・グローブ作品賞・監督賞・男優賞、カンヌ映画祭グランプリ(当時はパルムドールがなくこれが最高賞)・男優賞、ワイルダーとしてはホクホクだったでしょう。
そのままの横文字邦題が流行っていた1990年代にリバイバルされた時邦題が「ロスト・ウィークエンド」となっていて大いにズッコケた。
1945年アメリカ映画 監督ビリー・ワイルダー
ネタバレあり
最近はアルコール依存症などと言われるが、我が世代にはアルコール中毒(アル中)と言った方がピンと来る。
本作は、ブレイク・エドワーズ監督「酒とバラの日々」(1962年)と並び称される、アルコール禍を描いたビリー・ワイルダーの秀作だが、二人とも後年コメディーに進んでいくのは興味深い。尤も、ワイルダーは戦前脚本家としてエルンスト・ルビッチなどに喜劇を提供していたわけだから、当然の成り行きだった。
この時代の作品らしくニューヨークの遠景から、パンして窓から何かが吊り下げられている部屋に入り、週末の旅の準備をしているレイ・ミランドを捉える。アル中の彼の療養を主眼に兄フィリップ・テリーが計画したものである。窓から吊り下げられていたのが酒瓶と判る辺りはちょっとしたミステリー・サスペンス的な細工で楽しめるが、彼は病院を退院したばかりで、恋人ジェーン・ワイマンが小物を持って見送りに訪れる。
彼女が持っていた演奏会の切符を無駄にしない為に彼女と兄は劇場へ出かけ、彼はその間に偶然知った掃除婦の給金をネコババ、兄の通達によりツケの利かなくなった酒場でグラスを空け、ボトルを買って帰宅する。
酒場の場面で、彼が売れない作家で、酒に逃れてイメージを湧かそうとするうちに悪循環に陥ったことが語られ、上流階級の恋人とのなりそめが回想で紹介される。
かくして週末の旅行をオミットした彼は、(質屋が尽くユダヤ人である為ユダヤ教の休日である)土曜日故に愛用のタイプを質に出せず、酒場で馴染みになった女性ドリス・ダウリングからお金を借りたその場で昏倒、病院に担ぎ込まれる。病院で予告されたようにアル中の後期に入った彼はネズミや蝙蝠の幻覚に襲われる。
遂に自殺を決断した彼は、恋人のコートを質にピストルを取り戻すが、彼女に留められる。そこへ酒場のバーテン兼主人ハワード・ダ・シルヴァが置き忘れたタイプを持ってきた為、自分の経験を小説にすることを決意する。
このお話自体が彼の書いた私小説の中の出来事と解釈できないこともない幕切れで、主人公がそれまで苦労したのが何だったのかと思えるほど呆気なく立ち直ってしまうのが作劇的には弱いが、恐らく、現在と違って非常に保守的であったアメリカ映画界の要求に沿ったものだろう。だから、17年後の「酒とバラの日々」に厳しさや現実味で劣るのは仕方がなく、僕は映画史を無視した比較はしたくない。
サスペンスも巧いワイルダーだから、前半のうちはミステリー的な小道具の使い方やサスペンスを思わせるミランドの流し目が映画的に面白く楽しんでいるうち、次第にアルコール禍の恐怖を打ち出してアルコールには縁のない僕をもゾッとさせる。ワイルダーは大半の映画で回想形式を用いているが、本作のように途中で部分的に使われるのは少し珍しい。しかし、本作が小説内の出来事であれば、最初から回想ということになる。
ミランドは好演というより熱演で、アカデミー主演男優賞を受賞。多分この時くらいからアカデミー賞は中毒や精神病の人を演ずると有利であると言われるようになったのではないだろうか(全くの想像)。ジェーン・ワイマンはロナルド・レーガンの元夫人、彼が大統領になった時に紹介された記憶がある。
他に、作品賞、監督賞、脚色賞も受賞した。その他僕がアカデミー賞より重視しているNY批評家協会賞作品賞・監督賞・男優賞、ゴールデン・グローブ作品賞・監督賞・男優賞、カンヌ映画祭グランプリ(当時はパルムドールがなくこれが最高賞)・男優賞、ワイルダーとしてはホクホクだったでしょう。
そのままの横文字邦題が流行っていた1990年代にリバイバルされた時邦題が「ロスト・ウィークエンド」となっていて大いにズッコケた。
この記事へのコメント
あっけない幕切れは博士と同じように当時の映画界の諸事情がさせたのだろうとおもいましたです。
>ジェーン・ワイマンはロナルド・レーガンの元夫人
最初の奥さんでしたか。
翌年出演した「仔鹿物語」で覚えた女優でした。
思って今ね十瑠さんちに行って調べたら、
なかったですね。
あれは、アル中のパイロットのお話ですわ。
時代も、さま変わり。
本作みたいに作家さんだったら、本人がどうこう
なれば〜・・・ですけど、パイロットだったら
飛行機、落ちますからね。ひとごと、でないです。
アル中が主人公の映画って検索したら、
出て来る、出て来る。^^;
インパクトありますもの。
その中でも本作は秀作ですね。
>カテゴリー
僕も今日うっかりサスペンス/スリラーに入れかけて、ドラマに変えたのでした。
幻覚を見るところは、当時の感覚ならホラーにも近いですね。
>あっけない幕切れ
当て推量ですが、本作に限らずそんなことが多かったのではないでしょうかねえ。
>ジェーン・ワイマン
最初の奥さんですね。
彼女自身は3度目の結婚だったらしいです。
確かに「仔鹿物語」も代表作。子供の頃観て感激しました。
>「フライト」
見ておりますよん。良い映画でしたねえ。
軽く「酒とバラの日々」を引用しております。
実は、姐さんもコメントを寄せていらっしゃいますよ。
以下、URLです。
何故か検索エンジンでは全く引っかからない。
作品名では勿論、デンゼル・ワシントンでもロバート・ゼメキスでも引っかからない。
どうなっているんでしょ(苦笑)
http://okapi.at.webry.info/201401/article_29.html
コメントしてましたねぇ、、、恥の上塗り状態。(ーー);
長きのおつきあいで、もう、忘れまくりでしたわ。
(いや、それは認知ではないかと、誰かの声がする)^^;
URLのご紹介、感謝です。(ぺこり)
そりゃこれだけ情報の洪水ですから、忘れることも多いですよねえ。
全部憶えていたら頭がパンクしちまいます^^
それにしても本作のアクセス、近頃になく、多いなあ。
そんなに注目作ですか。
酒を飲んですぐに赤くなる人は、その体質だそうで、無理して飲み続けると喉頭ガンになる確率が100倍になるそうであります。
どちらにしろアル中はゾッとしますね。
同僚にもすぐ真っ赤になる人がいました。
僕は全く顔に出ないので、宴会などではどんどん注がれるので困りましたよ。
今は、膵炎なので、酒はご法度ですが、懐かしいデス。
>喉頭ガン
アルコールで喉頭ガンとはびっくり。
>アル中
アル中とまでは言わないまでも、数人に一人はいるであろう酒癖の悪い人には難儀しますよね。
会社時代も困った記憶があります。
ビリー・ワイルダー監督というと、どうしてもコメディ映画の監督という印象があります。
意外なことに、アル中の男の苦悩という、思い切り暗いテーマのシリアスな映画も撮っていたんですね。
実際、この映画の主演をオファーされたレイ・ミランドは、自分が泥酔者の役をこなせる自信がなかったので、コメディ映画の監督であるビリー・ワイルダーに、シリアスな映画は撮れないだろうと思って、出演を躊躇したそうです。
でも、映画関係者や妻の勧めで、出演を承諾したとのエピソードが残っています。
アル中というのは、本人も苦しいですが、周囲に及ぼす影響も甚大です。
酩酊して人様に迷惑をかけている人を、よく見かけたものです。
深夜の街角、電車の中、レストランや飲み屋の片隅--------。
お酒で身を滅ぼしたり、人生を棒に振ったりする人は、この世の中にたくさんいるに違いありません。
お酒に依存し、止められなくなるその理由は、人それぞれ違うでしょうけれど、作家や音楽家などの芸術家に多く見られるのは、やはり"プレッシャー"が原因なのでしょう。
主人公のレイ・ミランドは、売り出し中の作家で、兄のアパートに居候しています。
終末に兄と一緒に田舎に帰る予定だったのですが、お酒が飲みたい一心で嘘をつき、部屋に残って密かに隠していたウイスキーを飲み、それがなくなると、バーに行って飲み、お金がなくなると、タイプライターを質入れしようとするのだが--------。
一人の男が、どん底まで堕ちていく様は、見ているのが辛くなるほど悲惨です。
立派な兄と素晴らしい恋人がいながら、彼らの説得にも耳を貸さない主人公の男。
たった一つの生活の源であるはずのタイプライターを持って、質屋を探してニューヨークの街をさまようシーンが、一番印象に残りましたね。
撮影裏話として、カメラをトラックに隠して、通行人に悟られないようにしながら、ゲリラ的に撮影をしたそうです。
もし主演俳優が、大物のスターだったら、こうはいかなかったでしょうね。
この主人公の男は、酩酊して病院に運ばれますが、病院も実際にある、ベルビュー病院のアル中患者用の病棟で撮影をしたそうです。
脚本の通りだと許可が下りないだろうと思ったビリー・ワイルダー監督は、病院側には嘘の脚本を渡して、まんまと撮影に成功したのだそうです。
この話には落ちがあり、後に完成された映画を観て驚いたのは、このベルビュー病院で、その後一切、病院内での撮影を許可しなかったそうです(笑)。
この映画は、アカデミー賞の4部門(作品、監督、脚本、主演男優)を受賞、ニューロティツクな映画、つまり"異常心理映画"の先駆けとなりましたね。
レイ・ミランドは、この映画でアカデミー賞の主演男優賞を受賞しましたが、それまでは大根役者と言われていたのに、オスカーを獲ったのですから、俳優人生も180度変わってしまったことでしょう。
この後、アル中患者や精神異常者、身障者などを演じれば、オスカーを獲れると、まことしやかに言われるようになりましたね。
実際、そのようになりましたが--------。
この映画は、シリアスなテーマながら、コートを取り違えたことで出会う、主人公と恋人とのロマンスが織り込まれていて、ロマンティックな面もあり、主人公が最後には、アル中から立ち直るという、明るいエンディングになっていますね。
この映画を製作された時代から考えて、とことん暗くすることは出来なかったということでしょう。
そういう点が、とてもアメリカ映画らしいなと思いましたね。
>この映画を製作された時代から考えて、とことん暗くすることは出来なかったということでしょう。
それもありますが、後年の「酒とバラの日々」がそうであったように、余り厳しい幕切れは観客を鬱屈させてしまうという考えもあったのかもしれません。