映画評「ハッピーエンドが書けるまで」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2012年アメリカ映画 監督ジョシュ・ブーン
ネタバレあり

きっと、星のせいじゃない。」という死病映画でなかなか感覚の良いところを見せたジョシュ・ブーンが自ら書き下ろした脚本を映像に移した第一作。総合的にはこちらのほうが勝るくらい。

2年前に出て行った妻ジェニファー・コネリーに未練たらたらで待ち続け、時にはストーカーまがいの行為もしている有名作家グレッグ・キニア。
 その娘リリー・コリンズは彼の才能を引き継ぎ、大学生にして文壇デビューが決定するが、父を置いて出て行った母を憎み、同じ文学専攻の学生ローガン・ラーマンと交際を始める。高校生の息子ナット・ウルフは父親から半強制されて書き続けている日記にクラスメイトの美人リアーナ・リベラートへの思慕を綴るが、彼女は麻薬中毒を治す為に病院に入ることになる。
 そうこうするうちに、母親はクリスマスの日に自分の非を認め自らの気持ちに正直になって戻ってくる。

愛憎渦巻く一家族の再生を、なかなか丁寧に扱われる3つのロマンス(父親と母親との関係もロマンスじゃろ)の進行に交えながら半ばコミカルに描出する内容で、息子の短編小説もスティーヴン・キング(本人役で声の出演)に認められて雑誌掲載が決まる、というおまけまで付くハッピー・エンド。

IMDbの投票で7.3というホームドラマ、ロマンス系としてはなかなか高い評価。
 ただ僕のように作者の感覚を評価したというよりは、麻薬や汚い言葉などアメリカでは現実にあふれている要素を素直に扱うと親近感が湧き、良い評価に繋がった、といったところだろう。日本なら犯罪行為になる麻薬所持や吸引を高校生が平気でやっている。ひどい場合は麻薬が学校で取引されている。大麻は煙草より害が少ないくらいと聞いたことがある(信憑性は低い)が、煙草にすら興味が持てず生まれてこの方未だに一本も吸ったことがない僕には、アメリカ人の生態が全く信じられない。

そうした風俗自体はもう嫌になるほど見てきたので何のプラスにもならないものの、アメリカの人々と違う意味で気取りない描出と率直なタッチに好感を覚える。捻りのなさを指摘する人が多いが、捻りがないのが捻りという作品もあるのである。
 ジャンル映画と違い、99%同じでも1%の違いが大きな差になり得る(小津作品を見よ!)のがドラマやロマンスであると考える僕には、父子が全員作家もしくは作家志望というのが面白く、かなり楽しめた。リリーの、母親に対する憎しみが強い愛情の裏返しであることが解る部分の扱いも良い。

個人的には、ビートルズの「夢の人」I've Just Seen a Faceと「ポリシーン・パン」Polythene Panという実に渋い曲の題名が出てきたのが予期せぬ嬉しさ。どちらもちょっと捻りのあるラブ・ソングで、ブーン氏はビートルズ・ファンなのだろう。

そうそう、ジェニファー・コネリーとリリー・コリンズの母娘は正に親子に見える。本当の親子共演を別にするとこんなにぴったり来る配役はなかなかない。勿論太い眉毛のおかげでござる。

日本の捕虜収容所が出てくる「アンブロークン」という映画を日本で公開させまいとする国粋主義者が監督をしたアンジェリーナ・ジョリーを「刺青をしている、麻薬歴がある」と個人攻撃。内に籠って米国の実態を知らないのだな。アメリカ人の殆どがしていることを以って個人攻撃するなんて頭の程度を疑うしかない。例えば、大リーガーで刺青をしていないのはほぼ日本人若しくはアジア系だけだろうよ。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2016年03月20日 13:22
タイトルが気に入りました。
リリー・コリンズはフィル・コリンズの娘さんですが、ジェニファー・コネリーによく似てますね。
『アンブロークン』・・・なんでもかんでもケチをつける偏執狂的な人間は観る目が狭いですからね。
たぶん、映画も観ていないでしょう。
オカピー
2016年03月20日 20:20
ねこのひげさん、こんにちは。

>リリー・コリンズ、ジェニファー・コネリー
夫がのぞき見している場面で、女性はリリーかと思いきや、ジェニファーなのでした。

>『アンブロークン』
確か2014年の暮れくらいから騒ぎ始めて、彼らのせいで1年くらい遅れましたが、やっと公開される運びになったようで、映画ファンとしてはめでたしめでたし。
そもそも表現上のレトリックは映画にはいっぱいありまして、事実と違うこともありますが、そんなものは頭を使えば解ることで、観てもいない映画にケチをつけて、全く阿呆らしいたらありゃしない。

青山繁晴氏が「硫黄島からの手紙」で“日本の兵隊は上官の前では煙草を吸わない”と指摘したようですが、この“上官の前での煙草”も実はレトリック。
“個から種を、種から個を判断する危険性”をテーマにした映画の主題を理解すれば、それ自体がそのテーマを実現する手段の一つ(つまり、かの上官はそうした日本人観と違う人物であったという設定)であるわけなので、決して出てこない指摘です。青山氏の場合は批判ではなかったようですが。

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