映画評「紀ノ川」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1966年日本映画 監督・中村登
ネタバレあり

有吉佐和子の映画化では「華岡青洲の妻」もなかなか良かったが、僕は、中村登監督による本作がベストと思う。若い時に映画館で観たと記憶していたが、映画館での鑑賞記録(1980年代半ばまでは映画館とTVとで違うノートに分けて記録していた)に見当たらなかった。TVであったとしても、完全版を観ていることは確か。

明治32(1899)年の和歌山県、紀ノ川に程近い旧家の真谷(またに)家に嫁いだ花子(司葉子)は、嫁いだ家を守ろうと必死に政治家の才覚のある夫・敬策(田村高広)を支え、彼は次第に地元代議士として台頭していく。彼女の勧めで紀ノ川の治水工事を始めた時に長男が生まれ、数年後に長女・文緒(岩下志麻)が生まれる。
 女学生時代民権運動に影響された文緒は、父親に従っているだけに見える母親に反感を覚えて反抗の限りを尽くし東京の学校へ進学してしまう。しかし、彼女が自発的に結婚相手として選んだ相手は、実は親たちが手配した男性である。親もしたたかである。その彼女が最初に産んだ子供は叔父(丹波哲郎)の娘の事故死に合わせるかのように上海で急死、次に生んだ娘・華子(有川由紀)は母親より祖母に似た穏やかな(しかし恐らく芯の強い)性格に育つ。その間に敬策は死ぬ。
 敗戦と妻の死により息子は無気力になって家に戻り、台風で堤防が決壊するやという時も動かない。堤防を作り始めた日に生まれたというのに。やがて農地改革で地主である一家は財産を失うが、家を守るという束縛から解放された花は家にある骨董の類を売るという行為により子供たちを家とその財産を守る義務から解放し、死んでいく。文緒は母の人生の価値を知る。

およそ50年に渡る女性の一代記で、大河ドラマとして女性精神の変化を中心に時代の移ろいを鮮やかに浮き彫りにしていく久板栄二郎の脚本、中村監督の進行ぶりは見事であると思う。悠揚迫らぬ紀ノ川に例えられるべき女性の人生を、その川を軸に捉えた美しい風景の中に静かに歌い上げる抒情性に酔わされた。その美しさは撮影監督・成島東一郎の殊勲である。

実力者・ベテランが多く事実上の紳士クラブと化したAllcinemaには厳しい意見が並んでいる。特に気になったのはN氏のコメント。
 一々年代が出すのは「日本映画の悪しき伝統」で、代わりにセリフと快テンポにより見せれば良いと仰る。ちと違うだろう。これだけ色々な年代が出てくる作品において、一々台詞で解るようにすると説明的になりかねない(そうならないようにするのがうまい脚本家と仰るだろうが)。逆に字幕にはリズムを生み出す効果がある。長い小説を章なしに読ませられるより、章を付けたほうが読みやすいのが常識であることと同じようなものだ。
 娘・文緒の台詞を“時代への反抗”と解釈しているのにも賛同しかねる。彼女の反抗は偏に母に向けられたものと考えられ、これらの台詞があるが故に最後に彼女が母親の境地を理解する幕切れが感動的になるのである。
 多分に彼はヌーヴェルヴァーグ辺りの“悪しき新感覚”に毒されている。新しければ何でも良いというものでもあるまい。

ただ、そうした批判派の方々をも例外なく唸らせたのは、司葉子の好演。僕も本当に感心させられた。中村監督と成島撮影監督のコンビは、クロースアップを避けバストショットやミドルショットすらごく限定的にしか使わず、ほぼフル・ショット(人がすっぽり画面に収まるサイズの撮影)とロング・ショットにより進めているが、その効果もあり、特に年老いてからの演技が不自然でないどころか絶品。

3時間近い大長編ながら、日本人なら一度は観るべし。

こう見えて、ぼかぁ、日本の古い文化が好きなのだ。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2016年03月20日 13:13
最近時代小説がブームのようで、特に江戸の生活を描いた小説が山の様に出版されてどれもそこそこに当たっています。
あの時代の生活が、忙しく殺伐とした現代に比べれば日本人に合っているのでしょうかね。
オカピー
2016年03月20日 20:26
ねこのひげさん、こんにちは。

>時代小説
どの時代も完璧ということはないわけで、封建時代では、一人の罪が一族郎党にまで及ぶことなどバカバカしいところもある一方で、日本人の心を打つ精神性もあったわけで、なかなか単純にどの時代が良かったとは言えないですね。
個人的には、1980年代一億総中流とか言われた時代が、経済的にはもちろん政治的にもまあ良かったのではないかと思います。バブルがはじけて大人が変になり、政治家も変になり、みんな変になり、今日に至ります(笑)

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