映画評「クロッシング」(2009年)

☆☆☆(6点/10点満点中)
2009年アメリカ映画 監督アントワーヌ・フークア
ネタバレあり

本ブログの感覚では準新作に当たる2009年製作2010年本邦公開の警察群像映画。

ニューヨークはブルックリン。
 一週間後に定年を迎えるベテラン警官リチャード・ギアは、事なかれ主義で何の殊勲も上げてこず年金を楽しみにするのみ。最後のお仕事は新人研修だが、新人たちは理想に燃えるが故に彼が言うそばから失敗をして挫折する。無事に退職をした彼は、しかし、若い女性が連れ去られる現場を目撃すると、ポリシーを忘れて、彼女たちを閉じ込めて娼婦に育てるチンピラたちから彼女たちを救出する。
 彼が信条を変えるのは、恐らく彼の恋人が虐げられた娼婦であるからだろう。

信仰心の篤い警官イーサン・ホークは、妊娠中の妻がカビに肺を侵されるほどの問題のある家を出るという希望を持っている。その実現のために、チンピラたちが麻薬で集めた金を奪おうという欲求に抗しきれず、同僚の引き留めも聞かずアジトへ乗り込んでいく。

一級刑事になりたいドン・チードルは、出所したばかりの旧友ウェズリー・スナイプスを、出世欲に駆られて巻き込んだ囮捜査から救出しようとした途端、その彼をチンピラ仲間に殺されてしまう。友人としてチンピラたちに復讐した彼もまた殺される。

三人の官憲が夫々に善と悪との間に葛藤した末にいずれも死を覚悟で善たる行動を取るまでの心理の動きを描く本作において、割合ストレートな大衆映画志向と理解していたアントワーヌ・フークア監督はやや芸術志向風の気取った感じのタッチを見せ、なかなか頑張っている。これまでの僕の理解が間違っていたのかもしれないが。
 特に、ごく近所で三人が各々奮闘する様子をマッチ・カット気味にクロス・カッティングで見せる終盤のシークエンスは、映画的な感覚に横溢、結構痺れさせてくれる。脚本のほうでもその三人が互いに深く関わらないのが上品であり、却って過剰な作為性を免れている。

序盤ホークに殺される元服役囚が「人はより善か、より悪かに過ぎない」と述べているように、本作は善悪二元論でお話を構成せず、二元論的に物事を決めつけようとする、誠に感心できない昨今の風潮とは対照的な主題展開が好ましい。「ゴーン・ベイビー・ゴーン」のように法律的正義と道義的正義と人情的善との違い(チードルが犯罪を立件するより友をはめることを避ける)がもっと強調されるとさらに奥行きのある内容となったと思う。

ホークが最初に起こす件と、警察が収拾を図る警官による強盗事件とはどうも別らしく、このように序盤に少々要領を得ない部分があり、まだるっこさも残るため大量得点というわけには行かないが、一通り楽しめる。

2008年に作られた韓国映画が同じ邦題で公開されている。何十年も離れていればまあ良いが、1年違いで同じ邦題は困る。川柳風に言えば、「邦題は 配給会社が やり放題」てなところ。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2016年03月27日 07:46
『クロッシング』・・・同じ隊鳥でお客を呼ぼうとしたのか、同じタイトルの韓国映画があるのを知らなかったのか・・・
どちらにしろ怠慢でありますな。
オカピー
2016年03月27日 20:19
ねこのひげさん、こんにちは。

韓国の「クロッシング」もそんなに大ヒットしたわけではないし、碌に調べもしないので決めたのでしょうが、余り良くない。
「大奥」という邦画が続いた現象よりはマシですけどね。あれなど後年相当混乱しますよ。

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