映画評「シークレット・ロード」

☆☆★(5点/10点満点中)
2014年アメリカ映画 監督ティート・モンティエル
ネタバレあり

自死を遂げた2014年においてもロビン・ウィリアムズは積極的に映画出演を果たしている為、最後の“出演作”群の一つと紹介される一方、本作が最後の“主演作”であることはほぼ間違いないようである。

支店長への昇進も決まりそうな60歳の堅実な銀行員ウィリアムズは、ある時大通り(原題のBoulevard)を車で走っている時轢きかけた若い男娼ロベルト・アギーレに興味を覚え、そのままモーテルへしけこむ。行為には及ばず、話をし、連絡先を確認し、お金を払ってサヨナラをする。若者が、伴侶キャシー・ベイカーとの生活に息苦しさを感じている彼の心底に沈潜する、48年前に覚えた同性愛という滓をかき回し水面に浮上させたのである。
 しかし、若者にとって行為を伴わない交流は却って落ち着かないものであり、オーヴァードープの末に姿を消してしまう。それでも彼は妻に同性愛者の事実を告白して別れ、新しい生活を始める。

確かに細君は可哀想である。しかし、秘める思いを抱える彼の苦悩をも我々は想像しなければならない。そんな状態で夫婦生活を続けたところで真の幸福を与えることができるわけもない。彼はそれに気付いた筈である。為に彼自身も犠牲を払う必要はある。
 ただ、昇進・栄転の結末に関しては多分に両義的である。仕事場にサヨナラはしているが、次の店へ行くだけであるという可能性を否定しきれない。実際には幾つかの小さな失敗に加え、上司・幹部との食事会を反故にしているので、ダメになった公算が高いのだが。

いずれにしても、彼は新しい場所で別の男性と接触する。これが幕切れ。細君は、一人にはなったが念願の船舶旅行をする模様で、傷心旅行かもしれぬし、あるいは、我々が想像するほど不幸ではないのかもしれない。彼女は「嫌な現実を避けるために結婚したのに」と言っている。多分に彼を利用した面もあり、恐らく子供はいない。
 二人はここで別の(人生という)道を歩み始める。彼にとっては自ら選んだ道であり、彼女は余儀なくされた形であるが、だからと言って必ずしも彼女は不幸ではないかもしれない。人間万事塞翁が馬である。

潔癖症的に他人を断罪したがる人にはお勧めできず、反対に洞察するのがお好きな方には少し向いている。

監督ティート・モンティエルについては「陰謀の代償 N.Y.コンフィデンシャル」のムード醸成を少しだけ買ったが、今回は真面目すぎる為純粋な映画的側面では余り面白くない。

ウィリアムズ氏の新作はこれで見納め。これは確実であります。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2016年03月27日 07:56
訪日したときに妙にはしゃぎ過ぎているな~と思いましたが、躁鬱病気味だったのでしょうね。
惜しいことです。
オカピー
2016年03月27日 20:23
ねこのひげさん、こんにちは。

そんなことがありましたか。
その時は誰も予想できなかったでしょうねえ。

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