映画評「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2014年アメリカ映画 監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
ネタバレあり
「アモーレス・ぺロス」(2000年)で鮮烈に我々映画ファンの前に現れたメキシコ出身の巨匠アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥによる大注目作で、監督にとって重要なアカデミー作品賞と監督賞を受賞。
レイモンド・カーヴァーの短編を自ら脚色し演出する舞台「愛について語るときに我々の語ること」に主演する、かつての人気アクション映画スター、マイケル・キートンが、代役で助演することになった高慢な舞台俳優エドワード・ノートンと始終喧嘩をし、前妻エイミー・ライアンと再会、雑誌記者からくだらない質問をされたかと思えば、その評価で興行まで左右してしまう女性舞台評論家リンジー・ダンカンから憎たらしい態度を取られたりする数日間に渡る心象風景を描く。麻薬中毒の娘エマ・ストーンは終始傍観者的に彼を映し出す鏡である。
本作で一番注目されるのは、最初のワンカットの後、彼が舞台で実弾を自身に向けて発射するまでおよそ100分に渡りワン・ショットに見える長回しをしていることである。これが本当のワン・ショットであるならば当然リアル・タイムとなるわけで、本作のように数日間に渡るお話にはならない。従って、あくまでワン・ショットに“見える”だけである。
勿論リアル・タイムに進行したとしても技術的に難しいので、“見える”だけであるのが常識的。監督がこういう芸術的野心を持つとスタッフは大変苦労させられることになるが、アルフレッド・ヒッチコックが野心に突き動かされて「ロープ」(1948年)を撮った、10分でフィルムを交換しなければならない時代と違って、コンピューターを使えば(特に人の居ない部分では)ほぼ自在にワン・ショットに見える長いシークエンスが作れる現在は比較的楽である。
だから、「ロープ」と違って無謀と言うことは出来ない代わりに、(そうした技術的背景と知っている人には)ワン・ショット感覚に対する感銘が少ない。とは言えども、これだけ拘って構成された映像を実際に見ると、さすがに酩酊感を覚えずにはいられない。ジェームズ・ジョイスやヴァージニア・ウルフが意識の動きを追う為に自由間接話法を駆使した小説を読む時に覚える酩酊感に近いだろうか。
しかし、それに引きずられて内容把握が疎かになってはいけないわけで、まず、「バットマン」シリーズに主演した後実際余りパッとしなくなったキートン自身の俳優人生をトレースするような設定が非常に興味深い。
「バードマン」は20年ほど前に人気を博したアメコミ映画の題名で、主人公は芸名の代わりにその役名で呼ばれ、自負する程には世間から役者として評価されず、ネット社会にもついていけない現実にうんざり、最後に思い余って舞台上で自分に向けて銃弾を放つと、これが辛辣な女性評論家を驚かせ、思わぬ好評を得る。
多分にイニャリトゥが、映画VS演劇、芸術家VS評論家、有名人VSミーハー記者若しくは一般人、アメコミ映画が跋扈している現在の映画界等、映画を巡る現実に対する自身の思いを辛辣に映像に移したごった煮のような内容と言うべきで、皮肉がきつすぎて後味に問題を覚えないでもなかったものの、幕切れのそこはかとない微笑ましさがそれを払拭してくれる。
僕のような朴念仁(洒落か?)が秀作と大上段から褒めるのはどうかと思うが、“予期せぬ力作”と言っても叱られないだろう。
イニャリトゥ監督、アカデミー監督賞を二年連続で獲りました。ジョン・フォード(1940-41年)とジョセフ・L・マンキーウィッツ(1949-50年)に続く快挙! フランク・キャプラのように5年間に3回受賞した例もある。まずはイニャリトゥ、もとい、おめでとう。
2014年アメリカ映画 監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
ネタバレあり
「アモーレス・ぺロス」(2000年)で鮮烈に我々映画ファンの前に現れたメキシコ出身の巨匠アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥによる大注目作で、監督にとって重要なアカデミー作品賞と監督賞を受賞。
レイモンド・カーヴァーの短編を自ら脚色し演出する舞台「愛について語るときに我々の語ること」に主演する、かつての人気アクション映画スター、マイケル・キートンが、代役で助演することになった高慢な舞台俳優エドワード・ノートンと始終喧嘩をし、前妻エイミー・ライアンと再会、雑誌記者からくだらない質問をされたかと思えば、その評価で興行まで左右してしまう女性舞台評論家リンジー・ダンカンから憎たらしい態度を取られたりする数日間に渡る心象風景を描く。麻薬中毒の娘エマ・ストーンは終始傍観者的に彼を映し出す鏡である。
本作で一番注目されるのは、最初のワンカットの後、彼が舞台で実弾を自身に向けて発射するまでおよそ100分に渡りワン・ショットに見える長回しをしていることである。これが本当のワン・ショットであるならば当然リアル・タイムとなるわけで、本作のように数日間に渡るお話にはならない。従って、あくまでワン・ショットに“見える”だけである。
勿論リアル・タイムに進行したとしても技術的に難しいので、“見える”だけであるのが常識的。監督がこういう芸術的野心を持つとスタッフは大変苦労させられることになるが、アルフレッド・ヒッチコックが野心に突き動かされて「ロープ」(1948年)を撮った、10分でフィルムを交換しなければならない時代と違って、コンピューターを使えば(特に人の居ない部分では)ほぼ自在にワン・ショットに見える長いシークエンスが作れる現在は比較的楽である。
だから、「ロープ」と違って無謀と言うことは出来ない代わりに、(そうした技術的背景と知っている人には)ワン・ショット感覚に対する感銘が少ない。とは言えども、これだけ拘って構成された映像を実際に見ると、さすがに酩酊感を覚えずにはいられない。ジェームズ・ジョイスやヴァージニア・ウルフが意識の動きを追う為に自由間接話法を駆使した小説を読む時に覚える酩酊感に近いだろうか。
しかし、それに引きずられて内容把握が疎かになってはいけないわけで、まず、「バットマン」シリーズに主演した後実際余りパッとしなくなったキートン自身の俳優人生をトレースするような設定が非常に興味深い。
「バードマン」は20年ほど前に人気を博したアメコミ映画の題名で、主人公は芸名の代わりにその役名で呼ばれ、自負する程には世間から役者として評価されず、ネット社会にもついていけない現実にうんざり、最後に思い余って舞台上で自分に向けて銃弾を放つと、これが辛辣な女性評論家を驚かせ、思わぬ好評を得る。
多分にイニャリトゥが、映画VS演劇、芸術家VS評論家、有名人VSミーハー記者若しくは一般人、アメコミ映画が跋扈している現在の映画界等、映画を巡る現実に対する自身の思いを辛辣に映像に移したごった煮のような内容と言うべきで、皮肉がきつすぎて後味に問題を覚えないでもなかったものの、幕切れのそこはかとない微笑ましさがそれを払拭してくれる。
僕のような朴念仁(洒落か?)が秀作と大上段から褒めるのはどうかと思うが、“予期せぬ力作”と言っても叱られないだろう。
イニャリトゥ監督、アカデミー監督賞を二年連続で獲りました。ジョン・フォード(1940-41年)とジョセフ・L・マンキーウィッツ(1949-50年)に続く快挙! フランク・キャプラのように5年間に3回受賞した例もある。まずはイニャリトゥ、もとい、おめでとう。
この記事へのコメント
イニャリトゥ監督は凄いですね。
今年の賞作品「レヴェナント:蘇りし者」の公開が楽しみです!
コメント有難うございました。
>イニャリトゥ監督
大昔と違う現在において、二年連続には驚異的。
現在の巨匠と言いたくなりますね。
多分映画館にはいけないので、「レヴェナント」も来年の今頃になるでしょう。
いずれにしても、大いに期待しております。
ロン・ハワード監督のラブ・イン・ニューヨークに出ていたころからのマイケル・キートンびいきの僕としても、久々の彼の活躍がうれしかったですね・・。
>皮肉がきつすぎて後味に問題を覚えないでもなかったものの
冒頭の、主人公が楽屋で瞑想中に、アイアンマンがヒット中の「ロバート・ダウニー・junior」を実名で弄ったり、舞台俳優を演じたエドワード・ノートンが10年前の彼と同じような立ち位置に現在いるライアン・ゴスリングの名を挙げて、「オレの代わりに舞台に出すつもりだろう?」といわせるところなど、随所に皮肉が効いていました(笑)
キートンは、この作品でオスカーをとれると思ったのでしょうね・・
授賞式で、先日、
プロフェッサーが評論した、「博士と彼女のセオリー」のエディ・レドメインに賞がいってしまうと、ソット原稿をポケットにしまったのが悲しかったです・・。
>皮肉
いやあ、実名で出て来るところが、欧米の映画は凄いですねえ。
これが架空の人物だったら、皮肉度もぐっと下がります。
日本は、良かれ悪しかれ、そういう実名を出すのを遠慮する文化がありますから、どうしてもこの手のジャンルに迫力のある作品ができないのでしょう。
>キートン
僕はそっくり賞のレドメイン君より、滋味溢れる好演のキートンを買いますよ。【1年遅れのベスト10】の男優賞の有力候補です。オスカーの代わりにはなりませんが。
>ソッと原稿を
悲喜こもごもですね。
WOWOWに入っていますが、授賞式は観たことないデス。
>『レヴェナント』
ええっ、もうご覧になったんですか?(@_@)