映画評「サンドラの週末」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2014年ベルギー=フランス=イタリア合作映画 監督リュック・ダルデンヌ、ジャン=ピエール・ダルデンヌ
ネタバレあり
リュックとジャン=ピエールのダルデンヌ兄弟は、欧州セミ・ドキュメンタリー作家の第一人者である。本作は英国ケン・ローチの「この自由な世界で」(2007年)同様に、資本主義下、より正確には新自由主義時代における労働者を見つめるドラマで、同作と好一対を成す。
うつ病の為に休んでいたサンドラ(マリオン・コティヤール)が、復帰間際に会社から解雇を言い渡される。会社側が労働者に彼女の復帰かボーナスの支給かということを選択させた結果だが、不正があった為社長と掛け合って次の月曜日の朝再採決することになる。
従業員は16人で、過半数を超えたら解雇を取り消すという。土日の二日、彼女は最初から彼女の復帰に賛同している女性を除いて一軒一軒同僚の家を駆けずり回る。
というお話で、うつ病だから時々発作を起こしてその作業を続けるのさえ厳しく見える時があるが、対応する15人全員の反応の違いを綿密に描き、人間観察の映画として大変興味深く見られる。
反対者の中には暴力をふるってまで排除しようとする者が一名いるが、反対者も多くは彼女に理解を示しつつも自分の生活を考えると賛同できない。賛成者の中も反対の立場から後になって考えを変える人が何名かいる。
最終的に賛同に回った人は、同僚として同じ人間として気持ちを洞察でき、かつ、「足るを知る」に思い至った者である。賛同できなかった人は洞察できても「足るを知る」に至らなかった者である。
来日したウルグアイの元大統領が「欲を持つから自分を貧しく感じる」といった旨の発言をしていたのは、日本語の「足るを知る」と同じ意味である。後者は自分の計画していることを挫折したくないが故に反対しているだけで、その気持ちは解らぬではないが、生きていけるだけの金さえあれば良いと思えば1000ユーロのボーナスなど無くても全く問題ではない。ケン・ローチが上述作で描いた他人の自由を侵しても自分の自由を得ようとしたヒロインに通ずる人たちである。
しかるに、ダルデンヌ兄弟もローチもそんな人々を責めようとしない。それが人間なのだと観照的に捉えている。特に本作はそれが強く打ち出されていて、最後に社長が打ち出した妙案実際には妥協案(ボーナスを出し、かつ、サンドラを再雇用するが、契約社員とは再契約しない)をサンドラは自ら蹴っている。彼女は自分に協力してくれた8人、及びしてくれなくても相手になってくれた人々の存在を知って人生をポジティヴに受け止めることができ、清々しい表情で会社を後にする。
現実の社会を観照的に捉える立場にありながら、本作はヒロインの精神的成長を浮き彫りにする内容。観照に徹しない恨みはある一方で爽やかな後味が残る。兄弟の作品の中では好きな部類に入る作品である。
一部で見られる、彼女が自分勝手であるとする意見は余りに世間知らず、けだし狭量と言うべし。昨今の日本人は、極端なリベラルか、或いは保守主義者のせいなのか解らないのだが、妙に他人に対する寛容さを失っている傾向がある。どちらの陣営も不寛容である気がしている。
経済的格差があっても良いと仰るグループがあるが、格差そのものは良いとして中間層の減少は実は彼らがよく言う国力を損なう。経済の素人でもそのくらいは解る。パナマ文書で明らかにされたように、金持ちの中には相当の税金を払わん連中もいる。
2014年ベルギー=フランス=イタリア合作映画 監督リュック・ダルデンヌ、ジャン=ピエール・ダルデンヌ
ネタバレあり
リュックとジャン=ピエールのダルデンヌ兄弟は、欧州セミ・ドキュメンタリー作家の第一人者である。本作は英国ケン・ローチの「この自由な世界で」(2007年)同様に、資本主義下、より正確には新自由主義時代における労働者を見つめるドラマで、同作と好一対を成す。
うつ病の為に休んでいたサンドラ(マリオン・コティヤール)が、復帰間際に会社から解雇を言い渡される。会社側が労働者に彼女の復帰かボーナスの支給かということを選択させた結果だが、不正があった為社長と掛け合って次の月曜日の朝再採決することになる。
従業員は16人で、過半数を超えたら解雇を取り消すという。土日の二日、彼女は最初から彼女の復帰に賛同している女性を除いて一軒一軒同僚の家を駆けずり回る。
というお話で、うつ病だから時々発作を起こしてその作業を続けるのさえ厳しく見える時があるが、対応する15人全員の反応の違いを綿密に描き、人間観察の映画として大変興味深く見られる。
反対者の中には暴力をふるってまで排除しようとする者が一名いるが、反対者も多くは彼女に理解を示しつつも自分の生活を考えると賛同できない。賛成者の中も反対の立場から後になって考えを変える人が何名かいる。
最終的に賛同に回った人は、同僚として同じ人間として気持ちを洞察でき、かつ、「足るを知る」に思い至った者である。賛同できなかった人は洞察できても「足るを知る」に至らなかった者である。
来日したウルグアイの元大統領が「欲を持つから自分を貧しく感じる」といった旨の発言をしていたのは、日本語の「足るを知る」と同じ意味である。後者は自分の計画していることを挫折したくないが故に反対しているだけで、その気持ちは解らぬではないが、生きていけるだけの金さえあれば良いと思えば1000ユーロのボーナスなど無くても全く問題ではない。ケン・ローチが上述作で描いた他人の自由を侵しても自分の自由を得ようとしたヒロインに通ずる人たちである。
しかるに、ダルデンヌ兄弟もローチもそんな人々を責めようとしない。それが人間なのだと観照的に捉えている。特に本作はそれが強く打ち出されていて、最後に社長が打ち出した妙案実際には妥協案(ボーナスを出し、かつ、サンドラを再雇用するが、契約社員とは再契約しない)をサンドラは自ら蹴っている。彼女は自分に協力してくれた8人、及びしてくれなくても相手になってくれた人々の存在を知って人生をポジティヴに受け止めることができ、清々しい表情で会社を後にする。
現実の社会を観照的に捉える立場にありながら、本作はヒロインの精神的成長を浮き彫りにする内容。観照に徹しない恨みはある一方で爽やかな後味が残る。兄弟の作品の中では好きな部類に入る作品である。
一部で見られる、彼女が自分勝手であるとする意見は余りに世間知らず、けだし狭量と言うべし。昨今の日本人は、極端なリベラルか、或いは保守主義者のせいなのか解らないのだが、妙に他人に対する寛容さを失っている傾向がある。どちらの陣営も不寛容である気がしている。
経済的格差があっても良いと仰るグループがあるが、格差そのものは良いとして中間層の減少は実は彼らがよく言う国力を損なう。経済の素人でもそのくらいは解る。パナマ文書で明らかにされたように、金持ちの中には相当の税金を払わん連中もいる。
この記事へのコメント
フィクションなのにカメラワークがドキュメンタリーっぽかったり、サンドラの同僚一人一人の描写が細かかったりしたのは、監督がセミ・ドキュメンタリーの分野の第一人者だったからなんですね。
サンドラの心の中にある危機感、同僚たちの抱える切実な問題に、非常に鬼気迫るものを感じて、ドキュメンタリータッチのフィクションの面白さを教えてくれる映画だと思いました。
確かに日本人は概して、もう少し遠慮がちになるでしょうが、ヒロインとて生きていかなければならないので、最低限の行動ですよね。
記事を書いた後で正確に知ったのですが、監督はやはり「人の心情を洞察することの大事さ」を訴えたかったようです。ヒロインは同僚から洞察され、同僚を洞察する心境に達する。彼女の成長とは、それでした。
おっしゃる通りですね。
20世紀は不倫は文化だなどと言って笑っていられましたが、最近は不倫騒動が出ると芸能人の人生は真っ暗闇という感じになっている。変なもんだなあ。