映画評「パリよ、永遠に」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2014年フランス=ドイツ合作映画 監督フォルカー・シュレンドルフ
ネタバレあり
一昨日の「毛皮のヴィーナス」(2013年)は完全なる二人芝居であったが、本作も準二人芝居である。
ルネ・クレマンが1966年に発表した秀作「パリは燃えているか」において重要な鍵を握る人物として登場する中立国スウェーデンの総領事ノルドリンクの活躍を描く室内劇で、原作となったのはクレマン作と同じ素材を扱ったシリル・ジェリーの戯曲。監督は「ブリキの太鼓」がかつて大いに話題になったフォルカー・シュレンドルフ。
連合軍が接近して敗走を余儀なくされているドイツ軍幹部が陣を構えるパリのホテル“ル・ムーリス”、暗殺を免れたヒトラーがやけくそになって命じたパリ壊滅作戦を実行する運びとなるが、そこへナポレオンが細工した抜け道を通って現れたノルドリンク(アンドレ・デュソリエ)が、作戦の総責任者コルティッツ将軍(ニエル・アレストリュプ)と交渉を重ねる。戦争の行方に何の影響もない無意味な作戦を留めるように人情的に手を変え品を変えと説得工作を試みるが、勿論そうすんなりと翻意するわけもない。談判を続けるうちに、将軍たち事実上コルティッツ一人をターゲットにわざわざ作った法律により彼の家族が事実上の人質になっていることが判ってくる。総領事がここを責めるうちに将軍もついに折れてパリ壊滅は回避される。
クレマン作がパリ壊滅がパリ市民の総体により回避されたというモチーフで作られていたのに対し、こちらはそれに一番貢献したであろうノルドリンクに焦点を絞った形で、結果は分かっていても、なかなか手に汗を握らせてくれる。ナチス絡みの映画が相変わらず大量に作られている中で、異色の一編として一度ご覧になることをお薦めしたい。
日本に限らずどこでも封建時代にはあったであろう一族郎党を罰する法律が、全体主義国家とは言え、20世紀欧州にあったことにビックリ。将軍が当初パリ壊滅作戦について洩らす「中世に戻ったみたいだ」という一言が正に示す野蛮さである。ナチス・ドイツはこの後半年以上持ちこたえたわけだから、責任を問われたであろうコルティッツが生き延びたことは喜ばしきかな。
文化を破壊するのは実に嫌なこと。イスラム国がやっている遺跡の破壊行為も、中国がチベットやウイグルなどにやっている同化政策も、残念でならない。
2014年フランス=ドイツ合作映画 監督フォルカー・シュレンドルフ
ネタバレあり
一昨日の「毛皮のヴィーナス」(2013年)は完全なる二人芝居であったが、本作も準二人芝居である。
ルネ・クレマンが1966年に発表した秀作「パリは燃えているか」において重要な鍵を握る人物として登場する中立国スウェーデンの総領事ノルドリンクの活躍を描く室内劇で、原作となったのはクレマン作と同じ素材を扱ったシリル・ジェリーの戯曲。監督は「ブリキの太鼓」がかつて大いに話題になったフォルカー・シュレンドルフ。
連合軍が接近して敗走を余儀なくされているドイツ軍幹部が陣を構えるパリのホテル“ル・ムーリス”、暗殺を免れたヒトラーがやけくそになって命じたパリ壊滅作戦を実行する運びとなるが、そこへナポレオンが細工した抜け道を通って現れたノルドリンク(アンドレ・デュソリエ)が、作戦の総責任者コルティッツ将軍(ニエル・アレストリュプ)と交渉を重ねる。戦争の行方に何の影響もない無意味な作戦を留めるように人情的に手を変え品を変えと説得工作を試みるが、勿論そうすんなりと翻意するわけもない。談判を続けるうちに、将軍たち事実上コルティッツ一人をターゲットにわざわざ作った法律により彼の家族が事実上の人質になっていることが判ってくる。総領事がここを責めるうちに将軍もついに折れてパリ壊滅は回避される。
クレマン作がパリ壊滅がパリ市民の総体により回避されたというモチーフで作られていたのに対し、こちらはそれに一番貢献したであろうノルドリンクに焦点を絞った形で、結果は分かっていても、なかなか手に汗を握らせてくれる。ナチス絡みの映画が相変わらず大量に作られている中で、異色の一編として一度ご覧になることをお薦めしたい。
日本に限らずどこでも封建時代にはあったであろう一族郎党を罰する法律が、全体主義国家とは言え、20世紀欧州にあったことにビックリ。将軍が当初パリ壊滅作戦について洩らす「中世に戻ったみたいだ」という一言が正に示す野蛮さである。ナチス・ドイツはこの後半年以上持ちこたえたわけだから、責任を問われたであろうコルティッツが生き延びたことは喜ばしきかな。
文化を破壊するのは実に嫌なこと。イスラム国がやっている遺跡の破壊行為も、中国がチベットやウイグルなどにやっている同化政策も、残念でならない。
この記事へのコメント
第二次世界大戦は結果的に悪の枢軸国の敗北するのが必然である歴史であったのだと思いますが、ナショナリズムの台頭は多かれ少なかれナチス的な匂いが漂ってきます。郷土愛とナショナリズムをはっきり異なるものであると認識できるようにならないかぎり、人類は何度でも過ちを繰り返すように思います。
ところで、この作品は室内劇の演劇的手法で作られていて、「グランド・ホテル」や「ロープ」なんかを思い出しながら観ていましたよ。また、限られた時間の中でこの緊迫した状況が変化し良識が必然的に結果となる流れは、「十二人の怒れる男」が最も類似していたんではないかな?
それにしても、日本人は(誰しもが単に一方的であるだけじゃあなく)この作品のように緊迫感に耐えながら最も望ましいものを探していく知性をもう少し高めると、ひとつ脱皮できるように思うんですがねえ。そんな今日このごろです(笑)。
では、また。
タックスヘブンを利用している世界各国のセレブ達を観ていると、イスラム国に参加する若者たちの行動もむべなるかなと、最近は思うようになりましたがね。
一握りのの人間だけが肥え太っていく現状が続く限りテロは収まらないでありましょうな。
>郷土愛とナショナリズムをはっきり異なるものであると
できそうでできないものですね。
その点僕なんか、えっへん、日本が好きであり、かつ、日本人以外を排除する気など全く持たない。煙草を好まないのと同じくらい、排他主義は大嫌いです。
民族・人種差別は、学校のいじめと全く同じ心理の発露でしょう。
>演劇的手法
心理の動きを追うという点で、確かに、「十二人の怒れる男」に通ずるものがありますね。
>良識が必然的に結果となる流れ
なるほどねえ。
>日本人は・・・最も望ましいものを探していく知性をもう少し高めると
アリバイ作りに過ぎないとは言え、自民党が【ヘイトスピーチ法】を作ろうとしているのは良いことなのでしょうねえ。
うちの姉なんか自身がプロレタリアなのに、金持ちも税金を払っているとか言って、どこかの保守が言っていることをそのまま言っています(要は、単に、反民主党(現民進党)なのでしょう)が、実際には経済力は中流階級が多ければ多いほど高くなるのは自明でありますし、治安を考えても格差はそれなりに収まらないといけないでしょう。
>イスラム国
今年甥がイギリスに留学するので心配しておるのです。
幹部たちが殺されたり逮捕されたりしているので少しずつ弱まっているのでしょうけどねえ。
彼らがいなくなってもまた新しいのが出てきますから、抜本的(つまり経済的)解決が望ましいのですが、右派に言わせれば綺麗ごとらしいです。