映画評「サクラサク」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2014年日本映画 監督・田中光敏
ネタバレあり
専業作家ではないのに映像化作品の多いさだまさしの短編小説を田中光敏が映画化したドラマ。
実直で順調に出世街道を歩んできたサラリーマン緒方直人は取締役に昇進が決まりそうになる一方で、家に帰れば細君の南果歩に冷遇され、認知症の初期症状を呈し始めた老父・藤竜也を一人で面倒見なければならない。と思っていたら、正気を取り戻した時の父から「きちんと相手を見つめなければ、感謝もできない」と言われ、実は親の期待に背いて大学にもいかずバイトで誤魔化している長男・矢野聖人が大人用おむつを買うなど父親(若者の立場では祖父)の世話をしていたことを知る。
高校生の娘・美山加恋がなっとらんと思っていると、実はそうでもない。けしからんのは細君だと思っていると、彼が彼女からの家族への配慮の要請を尽く無視していた過去が明らかになって来る。
「なーんだ、けしからんのは旦那だったのか」という流れで進むお話で、それに気付きつつある彼は父親を施設に入れる前に家族を挙げて父が少年時代を過ごしたという福井の寺を探し回る旅に出、それにより仮面家族だった一家が再生していく。
戦後世代に多いのではないかと想像される仮面家族の扱い方において型通りという印象を禁じ得ないものの、認知症の親を抱えた子供世代と、仕事にかまけて家族の面倒を見なかった夫という二つの要素をカップリングして三世代のお話にしたところに少し面白味がある。
人によってテーマの一つと勘違いされるかもしれない介護は、あくまで要素であり、家族の在り方を浮き彫りにする触媒に過ぎない。家族一人一人をよく見つめることで素直に謝るべきところは謝り、感謝すべきことは感謝することのできる、そんな家族がさだまさしの一理想であるのだろう。
作劇的には、後半に入りさだまさし的三連符の世界が前面に出て、奇麗な風景に旅心を誘われつつ、居心地の悪さすら感じさせないでもない。
疑問符の付くところもある。特に“旅に出てからの娘の態度の激変”は不思議なほどなのであるが、僕はこの点に面白い見解を持っている。つまり、家にいた時の娘は、目の曇っている父親の主観を通したものであり、後半のそれは目を開かされた父親の主観によるものなのではないか、ということ。そう考えれば、不自然な急変も理解しやすいし、父親の心象風景の表現としてドラマ展開上効果的に機能する。
個人的には序盤の冷え切った仮面家族ぶりに「どこかで見たことがあるぞ」とゾッとし、かつピンと来るのだが、だから後半の家族再生模様は、幾分居心地が悪く、同時に、解り切っていてもジーンとさせられるものがあるのである。
最後は勿論さだまさしご本人による歌曲。時代劇などでは白ける印象を覚えることの多いこの類の曲の使用もさすがに嵌る。
受験生のお話ではありませんでした。
2014年日本映画 監督・田中光敏
ネタバレあり
専業作家ではないのに映像化作品の多いさだまさしの短編小説を田中光敏が映画化したドラマ。
実直で順調に出世街道を歩んできたサラリーマン緒方直人は取締役に昇進が決まりそうになる一方で、家に帰れば細君の南果歩に冷遇され、認知症の初期症状を呈し始めた老父・藤竜也を一人で面倒見なければならない。と思っていたら、正気を取り戻した時の父から「きちんと相手を見つめなければ、感謝もできない」と言われ、実は親の期待に背いて大学にもいかずバイトで誤魔化している長男・矢野聖人が大人用おむつを買うなど父親(若者の立場では祖父)の世話をしていたことを知る。
高校生の娘・美山加恋がなっとらんと思っていると、実はそうでもない。けしからんのは細君だと思っていると、彼が彼女からの家族への配慮の要請を尽く無視していた過去が明らかになって来る。
「なーんだ、けしからんのは旦那だったのか」という流れで進むお話で、それに気付きつつある彼は父親を施設に入れる前に家族を挙げて父が少年時代を過ごしたという福井の寺を探し回る旅に出、それにより仮面家族だった一家が再生していく。
戦後世代に多いのではないかと想像される仮面家族の扱い方において型通りという印象を禁じ得ないものの、認知症の親を抱えた子供世代と、仕事にかまけて家族の面倒を見なかった夫という二つの要素をカップリングして三世代のお話にしたところに少し面白味がある。
人によってテーマの一つと勘違いされるかもしれない介護は、あくまで要素であり、家族の在り方を浮き彫りにする触媒に過ぎない。家族一人一人をよく見つめることで素直に謝るべきところは謝り、感謝すべきことは感謝することのできる、そんな家族がさだまさしの一理想であるのだろう。
作劇的には、後半に入りさだまさし的三連符の世界が前面に出て、奇麗な風景に旅心を誘われつつ、居心地の悪さすら感じさせないでもない。
疑問符の付くところもある。特に“旅に出てからの娘の態度の激変”は不思議なほどなのであるが、僕はこの点に面白い見解を持っている。つまり、家にいた時の娘は、目の曇っている父親の主観を通したものであり、後半のそれは目を開かされた父親の主観によるものなのではないか、ということ。そう考えれば、不自然な急変も理解しやすいし、父親の心象風景の表現としてドラマ展開上効果的に機能する。
個人的には序盤の冷え切った仮面家族ぶりに「どこかで見たことがあるぞ」とゾッとし、かつピンと来るのだが、だから後半の家族再生模様は、幾分居心地が悪く、同時に、解り切っていてもジーンとさせられるものがあるのである。
最後は勿論さだまさしご本人による歌曲。時代劇などでは白ける印象を覚えることの多いこの類の曲の使用もさすがに嵌る。
受験生のお話ではありませんでした。
この記事へのコメント
時々、売れっ子アイドルで閑古鳥が鳴くことがありますけどね~っ。
映画のヒットを、スター俳優で期するのは、結構無謀なんですね。固定ファンだけは必ず行くので、最低限の観客動員は可能ですが。
だから、「アイアンマン」のロバート・ダウニー・ジュニアに5000万ドルなどという破格の出演費を出したのは本来馬鹿げていることですが、彼なしにはシリーズ新作が作れないということなんでしょうね。
反面、野球のスーパースターは映画スター以上に影響力あり。
イチローを大リーグに行かせたオリックスは大いなる観客減少を被り、松井秀喜を行かせた読売ジャイアンツは当時の渡辺恒雄オウナーの「影響ない」という言に反して、TV視聴率の半減を招き、地上波のプロ野球中継が少なくなる一因となりましたよね。
彼らほどのスーパースターは10年に一人出るかどうかですが。