映画評「狙撃者」
☆☆★(5点/10点満点中)
1952年アメリカ映画 監督エドワード・ドミトリク
ネタバレあり
ソフト未発売フィルム・ノワール特集の看板に偽りなく、IMDbのデータによると日本での紹介は2016年5月10日になっており、これはWOWOWの最初の放送日である。
サンフランシスコ、母親の虐待が原因で彼女と同じ栗色(もしくは黒?)の髪を持つ女性に対して異常な嫌悪感を持つ若者アーサー・フランツが自分の暴走の気配に恐れをなして服役中に面倒を見てもらった刑務所の精神医に連絡を取るが不在、故意に手に火傷を負うが、急患で手いっぱいの病院も手当だけして帰してしまう。これに疎外感を覚えた彼は、警察に「自分を発見して逮捕しろ。それまでは射殺を続ける」と手紙を出して、酒場のピアニスト(メアリー・ウィンザー)を射殺、次に酒場で声を掛けられた莫連女を殺す。
アドルフ・マンジューを捜査主任とする警察はこの段階で性犯罪者の犯行と決めつけ、覗き魔など関連する犯罪者若しくは犯罪予備軍を連行してくる。精神科医リチャード・カイリーはそんなことは時間の無駄だから、特定タイプの女性への嫌悪を持つ人物を探せと提言する。
ここから警察は一気に犯人に接近していくことになるが、僕は序盤から首をかしげること頻繁であった。
その一。僅か二人が殺された段階で警察が「同一の性犯罪者の犯行」と決めつけること。絞殺や刺殺の類ならまだ解るが、ライフルによる射殺が二件続いたところでそれを同一犯しかも性犯罪者と犯行と決めつけるのは現在のリアリズム基調の映画を見慣れている観客に違和感を残す。映画の展開として大いに拙速である。
しかし、そうなった原因は解る。開巻直後の字幕により、本作が性犯罪に関する法律整備を要求するのを眼目とした一種のプロパガンダ映画であり、反面、性的な描写を一切禁じたヘイズ・コードにより性犯罪者を直接描くことが出来ない制限がある故に、お話と描写の間に齟齬を生じたのである。作者たちはもっと肉体的な接触のある描写をしたかったのに射殺というおよそ性犯罪者らしくない犯罪によるサイコ映画とせざるを得なかったのであろう。
その二。ミステリー的に、捕まえられたがっている犯人が手書きの手紙を発送しているのに、警察が連行してきた連中の筆跡を調べようとしないのはミステリー的に大いにおかしい。初歩中の初歩が欠落している。ここまで穴があると、いくらエドワード・ドミトリクがタイトに進行させ、フィルム・ノワールを得意とするバーネット・ガフィーがきちんとした絵を撮っても、良い映画とは言い難くなってしまう。
佳作くらいにはなり得た映画を、ヘイズ・コードが損なった例として記憶していても良い作品。
自首すれば簡単なのだけど・・・人間というのはそんなことまで他力本願になるものだろうか。
1952年アメリカ映画 監督エドワード・ドミトリク
ネタバレあり
ソフト未発売フィルム・ノワール特集の看板に偽りなく、IMDbのデータによると日本での紹介は2016年5月10日になっており、これはWOWOWの最初の放送日である。
サンフランシスコ、母親の虐待が原因で彼女と同じ栗色(もしくは黒?)の髪を持つ女性に対して異常な嫌悪感を持つ若者アーサー・フランツが自分の暴走の気配に恐れをなして服役中に面倒を見てもらった刑務所の精神医に連絡を取るが不在、故意に手に火傷を負うが、急患で手いっぱいの病院も手当だけして帰してしまう。これに疎外感を覚えた彼は、警察に「自分を発見して逮捕しろ。それまでは射殺を続ける」と手紙を出して、酒場のピアニスト(メアリー・ウィンザー)を射殺、次に酒場で声を掛けられた莫連女を殺す。
アドルフ・マンジューを捜査主任とする警察はこの段階で性犯罪者の犯行と決めつけ、覗き魔など関連する犯罪者若しくは犯罪予備軍を連行してくる。精神科医リチャード・カイリーはそんなことは時間の無駄だから、特定タイプの女性への嫌悪を持つ人物を探せと提言する。
ここから警察は一気に犯人に接近していくことになるが、僕は序盤から首をかしげること頻繁であった。
その一。僅か二人が殺された段階で警察が「同一の性犯罪者の犯行」と決めつけること。絞殺や刺殺の類ならまだ解るが、ライフルによる射殺が二件続いたところでそれを同一犯しかも性犯罪者と犯行と決めつけるのは現在のリアリズム基調の映画を見慣れている観客に違和感を残す。映画の展開として大いに拙速である。
しかし、そうなった原因は解る。開巻直後の字幕により、本作が性犯罪に関する法律整備を要求するのを眼目とした一種のプロパガンダ映画であり、反面、性的な描写を一切禁じたヘイズ・コードにより性犯罪者を直接描くことが出来ない制限がある故に、お話と描写の間に齟齬を生じたのである。作者たちはもっと肉体的な接触のある描写をしたかったのに射殺というおよそ性犯罪者らしくない犯罪によるサイコ映画とせざるを得なかったのであろう。
その二。ミステリー的に、捕まえられたがっている犯人が手書きの手紙を発送しているのに、警察が連行してきた連中の筆跡を調べようとしないのはミステリー的に大いにおかしい。初歩中の初歩が欠落している。ここまで穴があると、いくらエドワード・ドミトリクがタイトに進行させ、フィルム・ノワールを得意とするバーネット・ガフィーがきちんとした絵を撮っても、良い映画とは言い難くなってしまう。
佳作くらいにはなり得た映画を、ヘイズ・コードが損なった例として記憶していても良い作品。
自首すれば簡単なのだけど・・・人間というのはそんなことまで他力本願になるものだろうか。
この記事へのコメント
ヒッチコックや「狩人の夜」は見せ方が上手かったですね。本作の場合、見ている人間ですら性犯罪者であるという印象は薄く、まして何も知らない状態の警察がそう主張しても観客の頭の中にすっと入って来ない。ヘイズ・コードのせいではありますが、それをきちんと我々に納得させる作品群があるわけですから、実力の問題でもありますよね。
>ヒッチコック
ヘイズ・コードがなくても、この時代の作家は、想像させることをもってより深い印象を生み出すのに長けていましたし、その中でもヒッチコックは別格で、仰るように、「疑惑の影」でジョセフ・コットンを変質者と思わせる間接的描写など、うまかったこと。
ヘイズ・コード下では、「汚名」のあの長いキス・シーンでさえ、かなり冒険だったのではないでしょうか。
思い込みの激しい警察でもそれはないでしょう。
88分の上映時間だから何人も扱えなかったのでしょうけど、ちと疑問が湧きましたね。まあ、二人射殺で性犯罪者の犯行というのも無理無理ですが、これについてはヘイズ・コードを多少考慮する必要がありますが、ヒッチコックの映画ならそんな疑問をまず起こさせない。やはり脚本に知恵が少し足りませんでしたね。
後年、やたらサイコキラーの心情を子供の頃までさかのぼって描く映画が量産されてましたが、それにくらべるとこちらのほうがいいです。犯人も、自分で内面がうまく言語化できないから行動で埋めていくかんじで、リアルでした。
>白黒画面がきれいなのと、すっきりはなしを語ってくれる点をわたしは買います。
そう思います。
>後年、やたらサイコキラーの心情を子供の頃までさかのぼって描く映画が量産されてました
ああいうのは本当に良くない。
>犯人も、自分で内面がうまく言語化できないから行動で埋めていくかんじで、リアルでした。
犯人について全く失念していますが、官憲が皆心理学に詳しいわけではないということを考えると、犯人像のプロファイリングなど拙速である感じを受けました。ほんの短い台詞を加えるだけで解決できる問題で、その辺りに脚本に難があると思いましたね。