映画評「マンハッタン無宿」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1968年アメリカ映画 監督ドン・シーゲル
ネタバレあり

中学生の終わりか高校生の初め以来2度目の鑑賞。Allcinemaの解説も述べているように、「ダーティハリー」(1971年)の先触れのような作品で、監督は同作のドン・シーゲル、音楽も同じくラロ・シフリン。

アリゾナの保安官補クリント・イーストウッドが、彼が以前逮捕した犯罪者ドン・ストラウドを移送する役目を負ってニューヨークへ降り立つ。対応するマンハッタンの刑事リー・J・コッブに田舎者扱いされるだけでなく、半ば邪魔されて、不愉快な思いをする。知恵を絞って現在犯人が入院している警察病院から引き取ることに成功するが、彼の恋人ティシャ・スターリングの画策に遭って逃亡されてしまう。
 イーストウッドは、コッブからの刑事活動禁止通告も無視して“私人”としてティシャにストラウドの隠れ家まで案内させ、猛烈なバイクでの追跡の後、足を使っての追跡劇の末に遂に捕獲、正式の手続きを経てアリゾナに連れ戻すヘリに乗る。

主人公の仕事と人となりを端的に描出する序盤の後、アリゾナとテキサスの区別もつかない(し、つけもしない)NY人種の優越意識を徹底的に描く中盤までの面白さは、若い人にはなかなか理解できないだろう。現在の映画観では――決してそんなことはないのだが――まだるっこいと思われても仕方がないものがある。
 例えば、序盤の女性関係が美人保護司スーザン・クラークとの件で生かされる。共に良いところで邪魔が入ってイーストウッドが“くさる”ところなど大いに笑わせてくれるのだが。

かなりハードボイルドにして地道な進行ぶりである実際に対し、初見時もう少し華美な印象を覚えたのは、終盤のバイクのチェースのせいらしい。1968年はカー・アクション元年みたいな年で、それを意識しつつ新味を狙ってバイクを使ったのだろうが、シーゲルの見せ方はさすがに切れ味が良い。階段を下りたり登ったりいかにもこの時代らしいお楽しみだ。
 1968年今となっては考えられないくらい厳しい映画倫理規定ヘイズ・コードが事実上撤廃され、かくして解禁されたばかりの女性のヌードもサイケデリックな中盤で大いに観られる。

「警部マクロード」はこのTV版という位置づけになるらしい。

この記事へのコメント

2016年06月04日 13:23
この映画大好きですよ、「ダーティ・ハリー」より個人的には好きです。テレビで観たのですが、そのころイーストウッドの吹き替えは山田康雄で、キャラにすごくよくあってた印象が残っています。
出だしの田舎の光景もいいんですが、田舎から出てきた主人公から見えるニューヨーク、そしてたぶん当時悪目立ちしてたんだろうなといういかれた若い衆の姿とか、いまからみると当時の風俗が見られる映画になるかもしれませんね。
オカピー
2016年06月04日 20:50
nesskoさん、こんにちは。

>テレビ
この映画が劇場で公開された時はまだ映画を本格的に見る前でしたので、僕もテレビです。
本当のイーストウッドの声と、山田康雄とのイメージに余り落差がありませんでしたね。

>ニューヨーク
おのぼりさんの日本人もよく騙されると言いますが、タクシーが同じところを二回通ってイーストウッドから高い料金をふんだくるところも可笑しかったですねえ。彼はそれに気づいているのですが、つまらない文句は言わない。

>当時の風俗
ロケで出てくる一般人がこの頃は細いんですよね。
1980年代以降ジャンクフード等の理由により軒並みデブが増える(笑)
ねこのひげ
2016年06月06日 10:21
最近の映画の通行人のデブぶりを見ているとあきれますね。
日本でもデブが増えてきましたがね。
女性で100キロ越えというのは信じられませんね。

この映画の明るさは良いですね。
イーストウッドの監督作品は、映画としては高く評価できますが、あの暗さはなんとかならんかと思いますね。
オカピー
2016年06月06日 20:19
ねこのひげさん、こんにちは。

>通行人のデブぶり
全くなんです。
昔は太った黒人中年はまま見られましたけど、現在は老いも若きも白人も黒人もみんなデブ(笑)

>暗さ
そうですね。形而上のことをテーマにしすぎているからでしょう。

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