映画評「名もなき塀の中の王」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2013年イギリス=アイルランド合作映画 監督デーヴィッド・マッケンジー
ネタバレあり

トーキー初期から刑務所映画はコンスタントに作られ、力作も少なくない。近年では若い囚人の成長を描いたフランス映画「預言者」(2009年)がなかなか見応えがあったが、本作はかの作品と共通性がありながらもっとリアルである。

ジャック・オコンネルは19歳なのに手に負えないと少年院を出されて刑務所、それも凶悪な囚人が集まる房に収監される。少年がカミソリ、歯ブラシという日用品を組み合わせて武器を作り、蛍光灯内部に隠す。ドライバーがなくてもネジを回してしまう。
 この序盤のシーンが実に興味深い。「良い子の皆さん、マネしてはダメですよ」という具体的な場面で、かつてアメリカのヘイズ・コードはこういう描写も禁止していたはず。

塀の中独自のルールにそのまま屈するのが面白くない少年は、何に対しても狼のように牙をむくが、そこに介入してくるのがカウンセラーのルパート・フレンドであり、15年ぶりに再会する実父ベン・メンデルソーンである。この父親は15年も親として何もしてこなかった上に再会するや一種の親バカぶりを発揮して少年の進歩を邪魔さえする。が、牢名主と組んでいる刑務官たちが少年を自殺に見せかけて殺そうとするのを止め、牢名主を仕留めるのもやはり父親なのである。

かくして、誰にも感謝の意を示してこなかった少年が父親に無言の感謝を示す抱擁をするのが幕切れ。野犬のように放置されてきた少年が初めて人間らしさを示すのである。成長と言ってもごく素気ない扱いであるし、彼が堅気になるかどうか何も保証しない。映画はあるかなきかの一縷の希望(可能性)を示すのみ。暴力に溢れた作品が、突然ヒューマン至極になるのは変だから、この扱いは正解だろう。変則的な親子愛映画で、暴力を好かない僕には好きなタイプではないが、即実的な描写など認めたいところが多い。

しかし、【悪貨は良貨を駆逐する】の伝(でん)で、こういう感じの力作を日本の大衆は見なくなった。宣伝につられ、出来栄えを伴っていないミーハー映画ばかりがヒットする。

グレシャムの名言は、経済だけでなく、色々な場面で使えます。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2016年07月24日 18:56
悪貨が増えすぎている感はありますがね。
オカピー
2016年07月24日 20:59
ねこのひげさん、こんにちは。

日本テレビが、他局の企画を程度低く真似し、その悪影響がご本家に跳ね返ってくるのを何度も見ました。悪貨の典型と思っていますよ。

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