映画評「アンダルシアの犬」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1928年フランス映画 監督ルイス・ブニュエル
ネタバレあり
WOWOWに観るべきものがなく、オリンピックと高校野球の観戦に忙しいので、短い作品の再鑑賞を増やしている。そこで有名な短編映画に目を付けた。
本作は余りにも有名なルイス・ブニュエルのアバンギャルド映画、日本語で言うと前衛映画で、上映時間は16分。
脚本でサポートしたのは、有名なシュールレアリスム画家サルバドール・ダリ。
ダリと言えば、高校時代にTVで初めて観たイングマル・ベルイマン監督「野いちご」の夢のシーンについて、英語の教科書に出てきた「ダリの絵のようだね」と友達と感想を語り合った思い出がある。
本作の前後に脈絡のないお話の進行ぶりは、一応16年間の男女の関係を綴っているような部分はあるものの、正にそうした夢(悪夢)と考えれば納得できる。
お話の意味を考えることなど恐らくは無意味で、悪夢を構成する上で種々な映画的表現の追求が必要だったか、あるいはその逆で表現の可能性を追求するに悪夢がふさわしかったということだろう。
ディゾルブもしくはオーヴァーラップは映画のごく初期から使われた技術だが、ブニュエルはそれをマッチカット的に使う部分が目立つ。例えば、月に雲が過るのが目を引き裂くナイフと重なる有名なショットがそれで、このショットは、中盤の少女みたいな少年が車に轢かれてしまうショット同様に、実際に行うことが不可能であるが故にSFXで処理することになる。サイレント末期時代の1928年の作品だから技術的には既存のものを使ったのかもしれないが、本作の特徴の一つを成す残忍さや本来の意味でのグロテスクさを表現して大いに効果を発揮していると思う次第。
この手の芸術映画・実験映画においては、お話を追って退屈するのはお門違いで、やはり一つ一つの表現に身を委ねて観るべきだろう。本稿における採点も半ば無意味で、お話ではなく映画表現としての面白味が僕にはこれくらいだったということ。
TVで映画を見ながら作り方を批判していたら、兄貴に「娯楽映画だからどうでも良いではないか」と言われた。実際にはその逆で、観客の為に作られる娯楽映画だから批評がある。作家のものである芸術映画は分析はできても批評などできない。
1928年フランス映画 監督ルイス・ブニュエル
ネタバレあり
WOWOWに観るべきものがなく、オリンピックと高校野球の観戦に忙しいので、短い作品の再鑑賞を増やしている。そこで有名な短編映画に目を付けた。
本作は余りにも有名なルイス・ブニュエルのアバンギャルド映画、日本語で言うと前衛映画で、上映時間は16分。
脚本でサポートしたのは、有名なシュールレアリスム画家サルバドール・ダリ。
ダリと言えば、高校時代にTVで初めて観たイングマル・ベルイマン監督「野いちご」の夢のシーンについて、英語の教科書に出てきた「ダリの絵のようだね」と友達と感想を語り合った思い出がある。
本作の前後に脈絡のないお話の進行ぶりは、一応16年間の男女の関係を綴っているような部分はあるものの、正にそうした夢(悪夢)と考えれば納得できる。
お話の意味を考えることなど恐らくは無意味で、悪夢を構成する上で種々な映画的表現の追求が必要だったか、あるいはその逆で表現の可能性を追求するに悪夢がふさわしかったということだろう。
ディゾルブもしくはオーヴァーラップは映画のごく初期から使われた技術だが、ブニュエルはそれをマッチカット的に使う部分が目立つ。例えば、月に雲が過るのが目を引き裂くナイフと重なる有名なショットがそれで、このショットは、中盤の少女みたいな少年が車に轢かれてしまうショット同様に、実際に行うことが不可能であるが故にSFXで処理することになる。サイレント末期時代の1928年の作品だから技術的には既存のものを使ったのかもしれないが、本作の特徴の一つを成す残忍さや本来の意味でのグロテスクさを表現して大いに効果を発揮していると思う次第。
この手の芸術映画・実験映画においては、お話を追って退屈するのはお門違いで、やはり一つ一つの表現に身を委ねて観るべきだろう。本稿における採点も半ば無意味で、お話ではなく映画表現としての面白味が僕にはこれくらいだったということ。
TVで映画を見ながら作り方を批判していたら、兄貴に「娯楽映画だからどうでも良いではないか」と言われた。実際にはその逆で、観客の為に作られる娯楽映画だから批評がある。作家のものである芸術映画は分析はできても批評などできない。
この記事へのコメント
>本稿における採点も半ば無意味で、お話ではなく映画表現としての面白味が僕にはこれくらいだったということ。
当方も採点不能としておりましたが、同じ意味合いで考えれば似たようなもんでしょうね。
気味悪いシーンが多いので何度も観たい作品じゃないです。
その通りですね!「どうでもいいではないか」と人がよく言いますが、
ムッとします。
>何処で借りたんだっけ
あはは。
僕もこの作品の初鑑賞は何であったかよく憶えていないのですが、多分ビデオの出始めの頃に安いビデオ・ソフトを買って観たような気がします。
>採点不能
こう表現するか、今回のように採点して言い訳をするか迷うものもありましたが、実質的には同じことですね。
>「どうでもいいではないか」と人がよく言いますが
実は7月の選挙前に、この言葉を繰り返した甥を大いに叱り、喧嘩になりました。僕も、この言葉が大嫌いです。
知り合いの美大生と話をしていた時にダリが好きだと言っていたので、これと『黄金時代』のDVDを貸したところ、難解だけど刺激的だったと感想を言っていました。
京都にはいまダリ展が来ているので観に行くと意気込んでいましたよw
ホドロフスキー版『砂の惑星』にも出演予定だった彼の撮影時のスチルなども見ましたが、例のあの髭が強烈でした。
ではまた!
>知り合いの美大生
羨ましいですね、若い人に知り合いがいるとは。
>ホドロフスキー版『砂の惑星』
ドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE」で見かけました。
ホドロフスキー版とは言え、ダリが「砂の惑星」に縁があるとは、びっくりしましたよ。
実験映画特集で会場に入れ切れないくらい人が押しかけて、入れなかったのであきらめていたら、入れなかった中の一人が交渉して二度上映することになり観れました。
あの頃は映画に情熱を傾けている人間が多かったですね。
>アテネフランセ
古いフランス映画はよくここで観ました。
そういえばブニュエルのぐっと解りやすい映画「小間使の日記」もここでした。
お隣の町にあった日仏学院で「突然炎のごとく」を観た時は本当に混みました。当時なかなか見られない作品だったからですが、英語字幕を立ち見でみたので内容をよく把握できず、しょんぼりして帰った記憶があります。
それから十数年後衛星放送できちんと見ましたが、今となっては隔世の感ありです。