映画評「巴里祭」
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1932年フランス映画 監督ルネ・クレール
ネタバレあり
WOWOWのラインアップが不調で観るべき新作が極めて少なく、かつ、今年は欧州映画の鑑賞が少ないことが判ったので、暫く続けて古い欧州映画を再鑑賞することにした。
で、まず今日は、中学生の時NHKの【世界名画劇場】で見て感激したルネ・クレールの傑作。初めて観たクレール作品だ。
順番から言えば、ポーラ・イルリーという女優が同じポーラという役名で出て来るように本作と内容的にも関連がありそうな2年前の「巴里の屋根の下」から見直すのが良いのではないかと思うが、やはりご贔屓のこちらを優先してしまった。因みに日本で革命記念日7月14日を「パリ祭」と呼ぶようになったのは本作のせいと言われている。
革命記念日前日の準備に追われるパリ下町、ホテルの花売り娘アンナ(アナベラ)が突然降って来た雨のおかげで隣のアパートに住む若いタクシー運転手ジャン(ジョルジュ・リゴー)と親しい仲になるが、彼の恋人ポーラが戻って来た為に三角関係に。
珍妙な酔っぱらい客(ポール・オリヴィエ)に対するあしらいが悪くて首になった彼女はカフェの店員となるが、その間にポーラの影響で強盗の仲間入りをしていた彼と犯行の為に現れた店先で深夜に再会、店主が現れて危ないところを逃してやるが、これまた首に。
ホテルで例の酔っぱらい客が拳銃を振り回しているのを上手く抑えた彼女は再び花売り娘に戻ると、自動車に轢かれそうになり、運転手とひと悶着。しかし、その相手こそ運転手に戻ったジャンで、再びにわか雨のおかげでまた雨宿りし仲直りする。
昔の作品は概ね最初と最後を呼応させたり、繰り返しを使うことが多いが、クレールは特に顕著、中でも本作は徹底して繰り返す。例えば、雨中の抱擁の繰り返し的呼応は言うまでもなく、近くの一家がその場面に同じように遭遇する。アンナは同じ酔っぱらいが原因で首になり、そして復職する。ジャンと彼女が踊ろうとすると、ホテルの楽団がすぐに止めてしまう、というのを連続的に繰り返す。連続することでお笑いになる。
当時の作品だからマッチカットも巧みに使われ、アパートの外の提灯とホテル内の提灯とで繋ぐことで場面を町からホテルへ移動させるのが素晴らしい。しかし、それ以上に素晴らしいのが声のマッチカットと言うべきもので、母親に急死されたアンナが呼ぶ「ジャン」が、一味の巣窟でポーラが呼ぶ「ジャン」と繋がって場面変換。コントラストの効果もあって痺れますデス。
現在クラシックすぎて使う映画作家はそれほどいないが、やはりマッチカットは映画的に洗練された場面転換の為のレトリックであるので、僕はこれを大いに好む。「これぞ映画!」という気になって誠に心地よいので、もっと使われて欲しい手法である。
内容的にはロマンスとして純化されていて、他愛ないと言えばそれまでながら、昨今の作品のように変に面倒くさい感じがなく、彼らの恋の行方を左右するのは嫉妬だけというのが良い。
これに関して面白かったのは、アンナがジャンの部屋に女性の手を発見してご機嫌を損ねかけるが、窓に現れたのは掃除のおばさん。で、彼女は落ち着くが、カメラがジャンの部屋に入ると、実はポーラと掃除のおばさんがもめている、という次第。この辺りの扱いはクレールならでは巧さで、実に洒落ている。
モーリス・ジョベールの主題も繰り返され、耳に焼き付く。
中学生の皆さま、【巴里】が読めますか。と言っても、このブログを読む中学生は一人もいないだろう。
1932年フランス映画 監督ルネ・クレール
ネタバレあり
WOWOWのラインアップが不調で観るべき新作が極めて少なく、かつ、今年は欧州映画の鑑賞が少ないことが判ったので、暫く続けて古い欧州映画を再鑑賞することにした。
で、まず今日は、中学生の時NHKの【世界名画劇場】で見て感激したルネ・クレールの傑作。初めて観たクレール作品だ。
順番から言えば、ポーラ・イルリーという女優が同じポーラという役名で出て来るように本作と内容的にも関連がありそうな2年前の「巴里の屋根の下」から見直すのが良いのではないかと思うが、やはりご贔屓のこちらを優先してしまった。因みに日本で革命記念日7月14日を「パリ祭」と呼ぶようになったのは本作のせいと言われている。
革命記念日前日の準備に追われるパリ下町、ホテルの花売り娘アンナ(アナベラ)が突然降って来た雨のおかげで隣のアパートに住む若いタクシー運転手ジャン(ジョルジュ・リゴー)と親しい仲になるが、彼の恋人ポーラが戻って来た為に三角関係に。
珍妙な酔っぱらい客(ポール・オリヴィエ)に対するあしらいが悪くて首になった彼女はカフェの店員となるが、その間にポーラの影響で強盗の仲間入りをしていた彼と犯行の為に現れた店先で深夜に再会、店主が現れて危ないところを逃してやるが、これまた首に。
ホテルで例の酔っぱらい客が拳銃を振り回しているのを上手く抑えた彼女は再び花売り娘に戻ると、自動車に轢かれそうになり、運転手とひと悶着。しかし、その相手こそ運転手に戻ったジャンで、再びにわか雨のおかげでまた雨宿りし仲直りする。
昔の作品は概ね最初と最後を呼応させたり、繰り返しを使うことが多いが、クレールは特に顕著、中でも本作は徹底して繰り返す。例えば、雨中の抱擁の繰り返し的呼応は言うまでもなく、近くの一家がその場面に同じように遭遇する。アンナは同じ酔っぱらいが原因で首になり、そして復職する。ジャンと彼女が踊ろうとすると、ホテルの楽団がすぐに止めてしまう、というのを連続的に繰り返す。連続することでお笑いになる。
当時の作品だからマッチカットも巧みに使われ、アパートの外の提灯とホテル内の提灯とで繋ぐことで場面を町からホテルへ移動させるのが素晴らしい。しかし、それ以上に素晴らしいのが声のマッチカットと言うべきもので、母親に急死されたアンナが呼ぶ「ジャン」が、一味の巣窟でポーラが呼ぶ「ジャン」と繋がって場面変換。コントラストの効果もあって痺れますデス。
現在クラシックすぎて使う映画作家はそれほどいないが、やはりマッチカットは映画的に洗練された場面転換の為のレトリックであるので、僕はこれを大いに好む。「これぞ映画!」という気になって誠に心地よいので、もっと使われて欲しい手法である。
内容的にはロマンスとして純化されていて、他愛ないと言えばそれまでながら、昨今の作品のように変に面倒くさい感じがなく、彼らの恋の行方を左右するのは嫉妬だけというのが良い。
これに関して面白かったのは、アンナがジャンの部屋に女性の手を発見してご機嫌を損ねかけるが、窓に現れたのは掃除のおばさん。で、彼女は落ち着くが、カメラがジャンの部屋に入ると、実はポーラと掃除のおばさんがもめている、という次第。この辺りの扱いはクレールならでは巧さで、実に洒落ている。
モーリス・ジョベールの主題も繰り返され、耳に焼き付く。
中学生の皆さま、【巴里】が読めますか。と言っても、このブログを読む中学生は一人もいないだろう。
この記事へのコメント
ルネ・クレールはコメディタッチが得意だった模様ですが、こういうのがもう今はめずらしい感じになっていて。寅さんや釣りバカが人気あったのは、ちょっとこういう雰囲気が残っているからだと思うのですが。
>NHK教育の名画劇場
なら、僕と同じ時ですかね。僕はその後何度か見ていますが。
>アナベラという女優はアフリカの血が入っているそう
本作の有名なワン・ショットからはそう見えませんが、動いている彼女を見ると結構野性的な感じもあり、確かに北アフリカの女性を思わせるところもありますね。
>「愛の妖精 アニー・ベル」
偶然にも今日古い映画評をひっくり返していたら、この作品が出てきましたよ。
面白い偶然があったものです。
>アニー・ベルという芸名
そうなのかもしれません。興味深いですね。
>寅さん
なるほど、こういう下町の感覚はいうなれば「寅さん」ですか。
今までこの二つを結び付けて考えたことはありませんでしたが、言われてみると、僕は両方とも好きですから、大いに納得しました。
戸川昌子さんだったかが考え出したとか。
しかし、古い映画を見直すと忘れている部分があるのに驚きますね。
先日地上波で『ルパン三世カリオストロの城』を観て最初の方がこんなだったけ?と驚きました。
歳を取りたくないもんです。('◇')ゞ
>日本人が考え出したタイトル
この映画が元と言われています。配給元特に川喜多夫妻が考え出したらしく、本当は「ぱりまつり」と読むのだそうです。
>古い映画
同じく。
カラー映画だったのに白黒として記憶している映画も多く、先日再鑑賞した「絶対の危機」やジェラール・フィリップの「勝負師」なんてのはその口です。その逆はまずないです。