映画評「気狂いピエロ」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1965年フランス映画 監督ジャン=リュック・ゴダール
ネタバレあり
このタイトルではもはやTVでは放映できない。2回目のリバイバルの際に改題(原題の横文字だったか?)されていた記憶があるが、僕は最初のリバイバル(1983年)で観たのでまだこの邦題だった。
ジャン=リュック・ゴダールが沈黙(商業映画一時リタイア)していた時に名前を知った僕が「勝手にしやがれ」と並んで最も観たかった作品で、既に何本か彼の作品を見ていたので、ある程度内容を想定しつつもワクワクしながら観に行ったものである。当時は映画館が入れ替え制でなかったので、席を立たず続けてもう一度観た。若かったなあ。
“気狂いピエロ”の異名を持つフェルディナン(ジャン=ポール・ベルモンド)は金持ちのイタリア女と結婚して静かな生活を送っているが、パーティーでかつての恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)と再会、よりを戻して南仏にいるという彼女の兄の許へ向かう。自動車は盗む、ガソリンは強奪、金がなくなれば人々にお話を聞かせるなどして施しを受ける、という破天荒な旅である。
南仏では原始人の如く気ままなその日暮らしに興じるが、退屈して町に出て行ったマリアンヌを追ううちギャングの抗争に巻き込まれた挙句彼女の行方が分からなくなる。
漸く再会した後先に出かけた彼女を追っていくと、兄というのが彼女のヤクザな情夫であり、自分がボディガード的に利用されたと気づいて怒り心頭、二人とも射殺してしまう。やけになってダイナマイトによる自爆を敢行、怖くなって消そうとするが間に合わない。
という主軸となるお話は、ライオネル・ホワイトのハードボイルド小説に拠り、B級犯罪映画的に楽しめるが、例によって合間に傍流のエピソードが色々と挿入され、映画や文学や思想の引用が無数に出て来るのがゴダールらしい。その中で、【カイエ・デュ・シネマ】派の連中が崇めている「大砂塵」(1955年)の題名が出て来たり、彼らのご贔屓監督サミュエル・フラーと映画談義するのは苦笑が洩れるが、終盤主人公が死んだマリアンヌをかつぐのは「情婦マノン」(1948年)からの引用(オマージュ)なのかもしれない、などと考えるのは楽しい。
ともかく、登場人物の行動も破天荒なら、構成も(ゴダールでは当たり前ながら)破天荒で、全般的にアナーキーという表現がふさわしく、どちらかと言えば古い映画観の僕でもこの映画はなかなか面白く観られる。ゴダールの中では恐らく一番楽しんだ作品で、途中モザイクのように散りばめられる展開上重要でない引用的な文言などは内容を無視し、一種の彩りとして感覚的に捉えると邪魔にならない。本作に限らずゴダールの作品ではこの鑑賞方法を取ることにしている。
映画ファンなら一度は観るべし。懲りるかもしれませんがね。
考えてみると、ゴダールの作品は、欧州文学の伝統に沿っているのか、衒学的なのだな。
1965年フランス映画 監督ジャン=リュック・ゴダール
ネタバレあり
このタイトルではもはやTVでは放映できない。2回目のリバイバルの際に改題(原題の横文字だったか?)されていた記憶があるが、僕は最初のリバイバル(1983年)で観たのでまだこの邦題だった。
ジャン=リュック・ゴダールが沈黙(商業映画一時リタイア)していた時に名前を知った僕が「勝手にしやがれ」と並んで最も観たかった作品で、既に何本か彼の作品を見ていたので、ある程度内容を想定しつつもワクワクしながら観に行ったものである。当時は映画館が入れ替え制でなかったので、席を立たず続けてもう一度観た。若かったなあ。
“気狂いピエロ”の異名を持つフェルディナン(ジャン=ポール・ベルモンド)は金持ちのイタリア女と結婚して静かな生活を送っているが、パーティーでかつての恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)と再会、よりを戻して南仏にいるという彼女の兄の許へ向かう。自動車は盗む、ガソリンは強奪、金がなくなれば人々にお話を聞かせるなどして施しを受ける、という破天荒な旅である。
南仏では原始人の如く気ままなその日暮らしに興じるが、退屈して町に出て行ったマリアンヌを追ううちギャングの抗争に巻き込まれた挙句彼女の行方が分からなくなる。
漸く再会した後先に出かけた彼女を追っていくと、兄というのが彼女のヤクザな情夫であり、自分がボディガード的に利用されたと気づいて怒り心頭、二人とも射殺してしまう。やけになってダイナマイトによる自爆を敢行、怖くなって消そうとするが間に合わない。
という主軸となるお話は、ライオネル・ホワイトのハードボイルド小説に拠り、B級犯罪映画的に楽しめるが、例によって合間に傍流のエピソードが色々と挿入され、映画や文学や思想の引用が無数に出て来るのがゴダールらしい。その中で、【カイエ・デュ・シネマ】派の連中が崇めている「大砂塵」(1955年)の題名が出て来たり、彼らのご贔屓監督サミュエル・フラーと映画談義するのは苦笑が洩れるが、終盤主人公が死んだマリアンヌをかつぐのは「情婦マノン」(1948年)からの引用(オマージュ)なのかもしれない、などと考えるのは楽しい。
ともかく、登場人物の行動も破天荒なら、構成も(ゴダールでは当たり前ながら)破天荒で、全般的にアナーキーという表現がふさわしく、どちらかと言えば古い映画観の僕でもこの映画はなかなか面白く観られる。ゴダールの中では恐らく一番楽しんだ作品で、途中モザイクのように散りばめられる展開上重要でない引用的な文言などは内容を無視し、一種の彩りとして感覚的に捉えると邪魔にならない。本作に限らずゴダールの作品ではこの鑑賞方法を取ることにしている。
映画ファンなら一度は観るべし。懲りるかもしれませんがね。
考えてみると、ゴダールの作品は、欧州文学の伝統に沿っているのか、衒学的なのだな。
この記事へのコメント
当時35歳のゴダールが、25歳のアンナ・カリーナに翻弄されている状況を自虐的に撮ったのではないかという視点。なるほどと思いました。
かつて世界の批評家100人が選んだ歴代ベスト10に入っていた映画なので、とにかく観た事は良かったと思ってます。
まあ「やりたい放題」に近く、三十何年か前の僕は、アナーキーな内容と作り方になかなか面白さを感じました。
寧ろ、今回見ると、最近のゴダールと大して変わるところがなく、前ほど面白くは感じないのですが、最初観た時の印象で採点は付けてみました。
>アンナ・カリーナ・・・自虐的
面白い記事でした。映画評と言えるかはともかく、こんな風に書けると良いですね^^
終わってみれば、女性に翻弄されるファム・ファタール映画で、そう思うと、彼女の死体をさかさまに担ぐ終盤のショットがファム・ファタール映画の傑作「情婦マノン」にオーヴァーラップしてきます。
僕が調べた範囲では、誰もそういった指摘をしていませんが。
>かつて世界の批評家100人が選んだ歴代ベスト10
筈見有弘氏の記事ではなかったでしょうか?
当時僕は一本も見ていなかったので観たいなあと思いました。
ねこのひげも観に行きましたが、楽しいけど違和感もあったのを覚えております。
アナーキーですので、学生運動しているような学生には受けそうですね。
当方は、一回目のほうが面白く観ました。
可笑しくも悲しかったです「もう、どうなってもいいや・・・。あっやっぱり死にたくない」
>堀江貴文氏
本の執筆・メルマガ・youtube・アプリ・・・etc.
少なくとも汗をかいて稼ぐ仕事ではありません
>親父の方が二枚目
息子はバーブラに似た?
かつて「男はつらいよ」を観た後、“可笑しくて やがて悲しき 寅次郎”と一句ひねり出しましたが、こちらは“可笑しくて やがて悲しき ピエロかな”でしたね。
>汗をかいて稼ぐ仕事
僕の場合は、汗をかかずに稼ぎ(稼いでいませんが)、汗をかいて稼ぎません(畑仕事)。今日も畑へ出かけ網のように這っている竹の地下茎を引っこ抜いてきましたよ。一種の開墾。隣の竹林から進出しているんですよ。迷惑だなあ。
>息子
少し修正すると、父親並みになるのですが(笑)
秀逸です
>“可笑しくて やがて悲しき ピエロかな”
お隣同士は色々あります
>兄というのが彼女のヤクザな情夫
マリアンヌも悪女です
>アンナ・カリーナ
「ゴダールとは1965年に離婚。その後四度の結婚歴がある」そうで、この人も中々です・・・
>お隣同士
畑は隣でも、家が隣でないのが幸いですかな。
この辺も近隣同士で結構もめ事があった気がしますが、僕らの世代が中心になってからはほぼなくなりましたねえ。
>マリアンヌも悪女
本作は、結局はファム・ファタールものでしたね。
多分原作はジェームズ・ケインばりのハードボイルド小説なのでしょう。
そして、やはり、「情婦マノン」の原作ともなった大古典「マノン・レスコー」と何だか似ている。
>アンナ・カリーナ
十年くらい前に観ましたけれど、大分おばあちゃんになっていました。当り前^^
彼の存在を知ったのは「カジノ・ロワイヤル」(1967年版)。終盤にゲスト出演。
その後、「勝手にしやがれ」「ボルサリーノ」「暗くなるまでこの恋を」等を見ました。
鼻が印象的な役者さん。190cmぐらいの長身かと思ったら、176cm。あちらの人としては平均ぐらい?ビートルズ評論家が「ジャン=ポール・ベルモンドとリンゴ・スターの顔が似てるのは偶然ではない。同じ民族だから。」本当かな?ちなみにリンゴ・スターはショーン・コネリーと同じスコットランド系です。
>大分おばあちゃんになっていました。
時間だけは止められない。
「小さな恋のメロディ」のヒロインの最新画像も話題になってますね・・・
>僕らの世代が中心になってからはほぼなくなりましたねえ。
お互いに構わないようになったのでしょうか?まさに「勝手にしやがれ」
>ベルモンド
昭和一桁としては長身だった若い時の父親がサングラスをかけた写真など、ベルモンドにそっくりでしたよ。
葬儀の時に若い時の写真を見た隣保班のおじさんが「若い時は映画俳優みたいだったよなあ」と言っていました。
>同じ民族だから
ふーむ、英国は民族がごちゃごちゃしているので、わけがわかりません。
スコットランドも必ずしも一つの民族ではないでしょうし。
フランスとて原則的にはラテン系ですけれど、英国ほどでないにしても、ゲルマンの大移動もあったことであるし、仲が悪いようで英国とは色々と交流があったわけですから、これまたどういうことになりますか。
>「小さな恋のメロディ」
トレイシー・ハイドですか。
西洋人は日本人より老けるんですよね。
最近お祭りで幼馴染の女性を見ましたが、マツコ・デラックスみたいに太っていて、ビックリでしたが(笑)
>お互いに構わないようになったのでしょうか?
良くも悪くも、そういうことだと思います。
田舎ですらこれですから、都会は推して知るべしですね。
それはショックですねでも、そう言う我々男達も老け込んでいる・・・
>英国は民族がごちゃごちゃしているので
ビートルズのメンバーはジョン、ポール、ジョージがアイルランド人、リンゴがスコットランド。所謂ケルト系だと書いてありました。「獰猛なゲルマン民族にやられた」とも・・・
>若い時の父親がサングラスをかけた写真など、ベルモンドにそっくり
ダンディでカッコいいお父さんだったんですね
>そう言う我々男達も
祭りの後の懇談会で偶然ご亭主(神主さん)の隣になり、「(太っていたので)解りませんでしたよ。尤も、こちらも禿げているので(彼女も)分らなかったでしょうね」と言っておきました。不確かだったので、声を掛けなかったんですよ。
>アイルランド人
はかつて自分たちを従属させた英国よりスペインに親しみを持っているのだとか。ジョイスの小説「ユリシーズ」の解説にありました。
>父親
そう言えるかもしれませんねえ。
母親と見合い結婚する前に思いを寄せている女性が多数あったとか。しかし、会社の仕事以外は殆どなにもしない父親は、しっかりした年上の母親と結婚して良かったのだと思います。
まさに金の草鞋ですねうちは妻が僕より6歳年下です。
>不確かだったので、声を掛けなかった
まあ、それが無難です
>アイルランド人はかつて自分たちを従属させた英国よりスペインに親しみを持っている
なるほど。勉強になりました。ありがとうございます
>本作に限らずゴダールの作品ではこの鑑賞方法
読書での「斜め読み」と同じでしょうか?
オカピー教授。いつもレスをありがとうございます
ダウン寸前の蟷螂の斧でした・・・
>金の草鞋
父親には良かったですが、本人は苦労しましたよ。
短命ではなかったですが、今の時代では長生きとは言えず、残念なことをしました。
僕の観察不足が原因だと思っています。
しかも、葬儀の日に大きな余震が続いて参列者が落ち着かず、いかにもついていませんでしたねえ。
>「斜め読み」
そんなところでしょうか。
哲学的な文言などゆっくり読んでもなかなか解らないわけですからね^^;
>レス
まあ大したことも書けません。悪しからず。
それより、お体を大事にしてください。
お父さんを支えたお母さん。立派です。
>葬儀の日に大きな余震が続いて
大変な時に大変な事が重なりますね
>哲学的な文言などゆっくり読んでもなかなか解らない
または歴史小説。
僕は司馬遼太郎の「翔ぶが如く」は斜め読みでした。
>それより、お体を大事にしてください。
ありがとうございます。
今日は地元の10kmマラソンに出場。練習不足で惨敗・・・
>歴史小説
長いのが多いですからねえ。
今年の二月から少しずつ「新・平家物語」を寝る前にkindleで読んでいますが、今のペースで行きますと、来年の八月くらいまでかかりそうです。
>10kmマラソン
それは大変でしたねえ。当方、TVで大学駅伝を眺めていました(笑)
高校時代以来走っていませんねえ。関節痛が起きて4,5km歩くのもやっとなのに、何故かマラソンは傷みなく走れたなあ。10人いれば3番に入れるくらいの成績でしたよ。
これもまだ見てません。いつかは
>高校時代以来走っていませんねえ。
マラソンは身体に害があると言う説もあります。
>10人いれば3番に入れるくらいの成績
運動部に入っていなくて(?)その成績ならば立派です
>「新・平家物語」
未読です
>「情婦マノン」
ヌーヴェルヴァーグ以降の映画を見慣れた我々には、当時の衝撃を受けるのは難しいと思うのですが、一度は観ておく価値があると思います。
たとえピンと来なくても、当時これが何故騒がれたか考えることが映画の勉強になると思いますね。
>運動部に入っていなくて
その通り(笑)、帰宅部でした。
しかし、片道10キロの道を毎日自転車で通ったせいか、中学の時限りなく最下位に近かった短距離もやはり同じくらいの成績を収めることが出来ました。中学3年の時16秒台だった100メートル走が13秒ちょいになりましたから。
>「新・平家物語」
面白いですが、敢えて読まなくても。
いつかは読みたい「徳川家康」のが長いのかなあ?
私はむかし観たきりで、再見してないので、大分忘れてしまっっているのですが、やはり、アラン・ドロンがらみで考えると、ロジェ・ボルにッシュの実録小説「友よ静かに死ね」、同一の主人公を扱ったジョゼ・ジョヴァンニの小説もあります。この主人公のニックネームが「PIERROT LE FOU」です。
映画の原作は別として、ゴダールは、この「PIERROT LE FOU」を引用したのではないかと思われます。次に、ルイ・マルの「ウィリアム・ウィルソン」も引用されていましたし、そのことを評した文献もあります。そんなごたくを並べた記事をTBします。
ゴダールの映画って引用だらけですし、いろんな作品が頭を駆け巡ってしまいます。オカピーさんの言う「情婦マノン」もそうですし、最近、ラオール・ウォルシュ監督、ハンフリー・ボガード主演の「ハイ・シェラ」を観たのですが、これもかなりの部分が引用されているように思いました。また、私としては「郵便配達は二度ベルを鳴らす」も浮かんでくるんですよね。
ということで、次から次と頭がオーバーヒートするゴダールなのです。
では、また。
>この主人公のニックネームが「PIERROT LE FOU」
気が付かなったなあ。
>「ウィリアム・ウィルソン」
出てきましたね。
>「ハイ・シエラ」
あるかもしれない。
>「郵便配達は二度ベルを鳴らす」
実は先月ケインの原作を読んでみました。短くてあっという間に読めてしまいますが、確かに、読みながら「気狂いピエロ」を思い出しましたよ。
>次から次へとオーバーヒートするゴダール
これは誠に適切な表現!
僕は、18世紀ごろの古典文学に通底するものがある気もしています。脱線したり、衒学的であったり。