映画評「映画 妖怪人間ベム」
☆☆(4点/10点満点中)
2012年日本映画 監督・狩山俊輔
ネタバレあり
1960年代後半に入って突然妖怪ブームが起き、その中の一つTVアニメ・シリーズ「妖怪人間ベム」を観ていた。手塚治虫原作の「バンパイア」も観が、どちらも主題歌しか憶えていない。本作は2011年に実写でリメイクされたTVシリーズの映画版。
アニメシリーズの記憶が殆どなく、実写シリーズも観ていない僕には人物関係などピンと来ないところも出て来たが、お話の理解にさほど支障はない。
悪魔的な研究から生まれた人間もどきの妖怪ベム(亀梨和也)、女性態のベラ(杏)、子供態のベロ(鈴木福)が、交通事故の傷がいえない小学二年生の少女(畠山彩奈)と知り合い、それが世間を騒がせている製薬会社関係者の連続死亡事件と繋がっていくことになる。
即ち、彼女の父親(筒井康隆)と母親(観月ありさ)は薬の副作用問題を訴えたために、それでは商売にならない社長(中村橋之助)の命令で一家が交通事故に遭うように仕組まれた。死んだ母親は、父親が持っていた謎の薬により蘇生するものの、ベムたちのような妖怪になってしまい森に隠棲、父親は娘にその事実を隠している。連続事件は時々怒りを抑えきれなくなる母親の犯行・・・ということである。
余りに進行ぶりが一本調子なので☆は少ないが、子供向けと思って見れば、なかなか哲学的な深遠なテーマが語られている為侮れないものがある。人間の善悪と生死とにバーターの関係を持ち込んでいるのである。
つまり、完全なる善精神の持ち主であるベムらは憧れの人間になる為に悪を取り入れることにジレンマを感じている。家族関係などに見る小さな幸福は勿論、老いや生命の限りというネガティヴなものに彼らは憧れるのだが、悪は受け入れがたい。一方、悪の要素を注入されて蘇生した観月ありさの母親はその悪を嫌うが、悪の根源を抜き取る時に生命はなくなる。善悪と生死がバーター関係にあるということになる。
より哲学的に言えば善悪は相対的なものであるから、本作はかなり単純化されているが、それでも子供向けであるとするならば、相当高級な人間観を見せたものだと感心させられる。一言で言えば、清濁併せ持つのが人間(で、それが素晴らしいのだ)ということで、先日観た「ギヴァー 記憶を注ぐ者」に通底するものがある。かの作品も児童文学の映画化というのだから、興味深い。
アニメの実写版というのは何だけれどねえ。
2012年日本映画 監督・狩山俊輔
ネタバレあり
1960年代後半に入って突然妖怪ブームが起き、その中の一つTVアニメ・シリーズ「妖怪人間ベム」を観ていた。手塚治虫原作の「バンパイア」も観が、どちらも主題歌しか憶えていない。本作は2011年に実写でリメイクされたTVシリーズの映画版。
アニメシリーズの記憶が殆どなく、実写シリーズも観ていない僕には人物関係などピンと来ないところも出て来たが、お話の理解にさほど支障はない。
悪魔的な研究から生まれた人間もどきの妖怪ベム(亀梨和也)、女性態のベラ(杏)、子供態のベロ(鈴木福)が、交通事故の傷がいえない小学二年生の少女(畠山彩奈)と知り合い、それが世間を騒がせている製薬会社関係者の連続死亡事件と繋がっていくことになる。
即ち、彼女の父親(筒井康隆)と母親(観月ありさ)は薬の副作用問題を訴えたために、それでは商売にならない社長(中村橋之助)の命令で一家が交通事故に遭うように仕組まれた。死んだ母親は、父親が持っていた謎の薬により蘇生するものの、ベムたちのような妖怪になってしまい森に隠棲、父親は娘にその事実を隠している。連続事件は時々怒りを抑えきれなくなる母親の犯行・・・ということである。
余りに進行ぶりが一本調子なので☆は少ないが、子供向けと思って見れば、なかなか哲学的な深遠なテーマが語られている為侮れないものがある。人間の善悪と生死とにバーターの関係を持ち込んでいるのである。
つまり、完全なる善精神の持ち主であるベムらは憧れの人間になる為に悪を取り入れることにジレンマを感じている。家族関係などに見る小さな幸福は勿論、老いや生命の限りというネガティヴなものに彼らは憧れるのだが、悪は受け入れがたい。一方、悪の要素を注入されて蘇生した観月ありさの母親はその悪を嫌うが、悪の根源を抜き取る時に生命はなくなる。善悪と生死がバーター関係にあるということになる。
より哲学的に言えば善悪は相対的なものであるから、本作はかなり単純化されているが、それでも子供向けであるとするならば、相当高級な人間観を見せたものだと感心させられる。一言で言えば、清濁併せ持つのが人間(で、それが素晴らしいのだ)ということで、先日観た「ギヴァー 記憶を注ぐ者」に通底するものがある。かの作品も児童文学の映画化というのだから、興味深い。
アニメの実写版というのは何だけれどねえ。
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