映画評「ユージュアル・サスペクツ」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1995年アメリカ映画 監督ブライアン・シンガー
ネタバレあり
この作品を鑑賞した2016年11月2日の時点で本作はIMDbの25位である。クェンティン・タランティーノの「パルプ・フィクション」(1994年)はそれ以上に評価が高いが、どちらもスタンリー・キューブリック監督「現金に体を張れ」(1956年)の焼き直しみたいに見える(ストーリー自体は「レザボア・ドッグス」が多分一番似ている)のに、ご本家の評価は伸び悩む。ご本家がこの二作を上回るならまだ良いが、それにしても評価が高すぎるのではないだろうか?
カリフォルニアの港で、麻薬絡みのいざこざと思われる船舶火事が起き、麻薬マフィアと強奪を狙ったグループ双方から多数の死者が出る。唯一生き残った強奪グループの一人ケヴィン・スペイシーが、関税特別捜査官チャズ・パルミンテリに問い詰められて、答える形で過去に戻って進行する。
発端は、6週間前の銃器強奪事件の捜査に行き詰った警察が容疑者を5人集めたこと。彼らは常連容疑者で、今は実業家として更生しているガブリエル・バーンのほか、スティーヴン・ボールドウィン、ケヴィン・ポラック、ベニチオ・デル・トロ、そしてけちな詐欺師スペイシーという面々。
結局無罪放免された彼らは意気投合して徒党を組んで、仲間が持ち込んだ情報を基に宝石強盗を企むが、その情報が嘘だったと判明する。やがてその情報元との繋がりで弁護士ピート・ポスルスウェイトが現れ、無意識に彼らが縁を作ってしまった泣く子も黙る伝説の悪党“カイザー・ソゼ”の名前をちらつかせて船舶での麻薬強奪を強要する。
結局、本作はミステリーとして“カイザー・ソゼ”は実際に存在するのか、存在するとしたらそれは誰なのかを眼目として進行することになる。
司法取引で不問に付されたスペイシーが出て行った後パルミンテリが真相に気付き、その真相に多くの観客がビックリし、そのビックリを中心に高い評価になっているわけであるが、ビックリしたかどうかはさておいて、その前提に疑問が多くてさほど楽しめなかった。20年前の前回も今回もその点は全く変わらない。
つまり、犯行部分は唯一事実を知っている人物スペイシーの主観で叙述されるのだから、そこに嘘があってもその時点で我々は何も分からない。現に彼は刑事の部屋において目に入った情報から嘘をこしらえて捜査官即ち観客を騙している。その後捜査官が嘘を見破って騙される側から観客に説明する側に回った時それにビックリしても良いものであろうか。小説「アクロイド殺人事件」を頂点とする叙述トリックに類するが、叙述本体に自然な形で真相が隠されることはあっても、本作のような露骨な嘘はあってはなるまい。夢落ちなら殆どが非難に向くのに、どういうことだろうか。
逆にそこに拘りすぎても正しい評価が出来ないわけで、当時若手だったブライアン・シンガーの場面を繋ぐ技術は認めるに値するだろう。しかし、それがほぼ偏に嘘のばらしにすぎない幕切れの為に使われていると思うと空しくなる。
一時ほどでないにしても、時系列を崩すと本質的には弱体な物語でも評価される時代である。しかし、本当に凄いのは一つの時系列で巧みに語れることである。鑑賞者はそれを勘違いして、単純な時系列だからダメなのだと決めつけるべからず。
1995年アメリカ映画 監督ブライアン・シンガー
ネタバレあり
この作品を鑑賞した2016年11月2日の時点で本作はIMDbの25位である。クェンティン・タランティーノの「パルプ・フィクション」(1994年)はそれ以上に評価が高いが、どちらもスタンリー・キューブリック監督「現金に体を張れ」(1956年)の焼き直しみたいに見える(ストーリー自体は「レザボア・ドッグス」が多分一番似ている)のに、ご本家の評価は伸び悩む。ご本家がこの二作を上回るならまだ良いが、それにしても評価が高すぎるのではないだろうか?
カリフォルニアの港で、麻薬絡みのいざこざと思われる船舶火事が起き、麻薬マフィアと強奪を狙ったグループ双方から多数の死者が出る。唯一生き残った強奪グループの一人ケヴィン・スペイシーが、関税特別捜査官チャズ・パルミンテリに問い詰められて、答える形で過去に戻って進行する。
発端は、6週間前の銃器強奪事件の捜査に行き詰った警察が容疑者を5人集めたこと。彼らは常連容疑者で、今は実業家として更生しているガブリエル・バーンのほか、スティーヴン・ボールドウィン、ケヴィン・ポラック、ベニチオ・デル・トロ、そしてけちな詐欺師スペイシーという面々。
結局無罪放免された彼らは意気投合して徒党を組んで、仲間が持ち込んだ情報を基に宝石強盗を企むが、その情報が嘘だったと判明する。やがてその情報元との繋がりで弁護士ピート・ポスルスウェイトが現れ、無意識に彼らが縁を作ってしまった泣く子も黙る伝説の悪党“カイザー・ソゼ”の名前をちらつかせて船舶での麻薬強奪を強要する。
結局、本作はミステリーとして“カイザー・ソゼ”は実際に存在するのか、存在するとしたらそれは誰なのかを眼目として進行することになる。
司法取引で不問に付されたスペイシーが出て行った後パルミンテリが真相に気付き、その真相に多くの観客がビックリし、そのビックリを中心に高い評価になっているわけであるが、ビックリしたかどうかはさておいて、その前提に疑問が多くてさほど楽しめなかった。20年前の前回も今回もその点は全く変わらない。
つまり、犯行部分は唯一事実を知っている人物スペイシーの主観で叙述されるのだから、そこに嘘があってもその時点で我々は何も分からない。現に彼は刑事の部屋において目に入った情報から嘘をこしらえて捜査官即ち観客を騙している。その後捜査官が嘘を見破って騙される側から観客に説明する側に回った時それにビックリしても良いものであろうか。小説「アクロイド殺人事件」を頂点とする叙述トリックに類するが、叙述本体に自然な形で真相が隠されることはあっても、本作のような露骨な嘘はあってはなるまい。夢落ちなら殆どが非難に向くのに、どういうことだろうか。
逆にそこに拘りすぎても正しい評価が出来ないわけで、当時若手だったブライアン・シンガーの場面を繋ぐ技術は認めるに値するだろう。しかし、それがほぼ偏に嘘のばらしにすぎない幕切れの為に使われていると思うと空しくなる。
一時ほどでないにしても、時系列を崩すと本質的には弱体な物語でも評価される時代である。しかし、本当に凄いのは一つの時系列で巧みに語れることである。鑑賞者はそれを勘違いして、単純な時系列だからダメなのだと決めつけるべからず。
この記事へのコメント
同意です。私は初めて見たとき、オカピーさんみたいにいいところは認めるなんてできなくて、「反則じゃん!」と頭にきましたから(笑)
この他にもいくつか作品を観て、ケヴィン・スペイシーは役者としてはすばらしいですけれども、それ以上に企画や制作などの方面にもしゃしゃり出てくるとろくなことにならないと認識しました。
今観たら、きっと感想変わるでしょう、きっと。
元々から、ふてぶてしいイメージのスペイシー氏。
最近じゃ、どれに出てもふてぶてしさだけ全開。
お芝居が固定化されちゃって面白くない。
増してやビッグになると勘違いが始まるのは世の常。(笑)
>「反則じゃん!」
我々のように、嘘で騙されるのを潔しとしないタイプは、この作品は「シックス・センス」以上に拒否反応を起こしますね。
僕は、場面の繋ぎは巧いと思っているので、作品全体としては一定の評価をしていますけど、世評がちと高すぎる気は当時も今もしています。
>ケヴィン・スペイシー
下のvivajijiさんも仰っていますが、偉くなった気分で色々やりだすと、やはりまずいのでしょうね。
きっとnesskoさんや僕は、映像の嘘に関して潔癖症なんでしょうね^^
こういう騙され方は許せん、という感じ。
確かに、彼が話をでっちあげる時にその元になるソースを見せないのは「真相を隠す」わけで決して卑怯ではないですが、それ自体はいくら巧くても、夢落ちの類ではないかという思いがします。
しかし、どんな方法でも騙されるのが好き、という方もいらっしゃるわけで、そのことについて違うタイプの方がぐちゃぐちゃ言うことではないですよね。
>スペイシー氏
姐さんが仰る以上間違いない^^/
僕も何だか最近つまらないなあと思っていたですよ。「スーパーマン・リターンズ」辺りからそんな傾向が出てきたかな。
言い方は違いますがほぼ同じ意見のMY記事、TB致しました。
ファンタジーやコメディで映像の嘘を使っても許せる場合はありますが、この作品はあかんですネ。サスペンスだから余計にダメです。
allcinemaのコメントにこんな秀逸なものがあったです。
<最後は、目から鱗が落ちるような結末だった。とは言っても、元から付いていた鱗が落ちたのなら値打ちはあるが、この映画の中で騙されて付いた鱗が落ちただけのことだから感動も喜びもない>
語り自体はまずくないですが、やはり嘘は嘘で、「いやあ、騙された」という感じにはなれませんでしたよ。
>allcinemaのコメント
言い得て妙^^
「スティング」などは<元からついていた鱗>が落ちたことになるわけですね。
若者に多いですが、うーん、そういう人は素直といえるんでしょうかねぇ・・。ぼくなぞ、ひねくれ者でして(笑)
ヒッチコックも「舞台恐怖症」という作品で、語り手の嘘の映像化を部分的ですがやったことがあり、後年に「あれは、間違いだった」と回想していますね。
この映画は、冒頭からすべて嘘(笑)
仰るとおり、「ミステリにおける夢落ち」です。確かに意外だけれど、「騙される快感」は稀薄です。
「ああ、そうだったのか、自分が注意深ければ、気が付くはずだったのに!」という思いがあって、はじめて騙される快感もあるのでは?と思うのですがねぇ・・。
言ってみれば何でもありの無政府状態。
終始、互いのバッシングで消耗戦だったアメリカの大統領選挙みたいですが・・。
結果は、下手の横好きの素人がプロ野球の監督になったようなものですからね(笑)
でも、まあ、監督が有能でなくとも、コーチやスタッフに人材が多ければチームとしてまとまりますね。
日本のメディアが右往左往してるような事態にはなりにくいのでは、と僕は思っています。
なんとなれば、東条英機の例もあり、立場が人を変えるでしょうし、トランプ氏も、現実路線を取らざるを得ないでしょう。もともと商人ですからね。
大統領選では意識的にマスコミ向けの過激コメントしていた節もありますね・・
>ヒッチコックも「舞台恐怖症」
忘れかけていましたが、そうでしたね。
言葉だけの噓であれば良しとして、それを映像で再現してしまうと、我々はこれを卑怯と言う(笑)
映画の映像は事実を見せているというのが約束事ですからね。
元来映像の嘘が嫌いな僕がそれを強めたのが、かのヒッチコックの言葉でした。
>無政府状態
映像で嘘を見せると、何でもできてしまう。
>日本のメディアが右往左往してるような事態にはなりにくい
僕も昨日以来(笑)そんな気がしています。
とにかく、そうでなくても世界的に内向きになっているのに、余りに保守貿易に走って世界的不況を牽引しないでほしいと思いますよ。
我が財政にかかわってくるので・・・
>マスコミ向け
マスコミの分析、大外れでしたなあ。マスコミ自体が庶民に信頼されていないからという説もありました。