映画評「リバー・ランズ・スルー・イット」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1992年アメリカ映画 監督ロバート・レッドフォード
ネタバレあり
ロバート・レッドフォード監督第3作。最近は何を発表しても【キネマ旬報】の上位を占めてしまうクリント・イーストウッドに比べると実力に見合った評価がされていないと思うが、この作品は評価された部類であろう。僕はレッドフォードの作品の中でも、大学教授ノーマン・マクリーンの自伝小説を映画化したこの作品が一番好きだ。
1910~20年代のモンタナ州、スコットランド出身の牧師マクリーン(トム・スケリット)の長男ノーマン(クレイグ・シェーファー)は真面目で優秀、大学に進学して無事に卒業、帰郷して出かけたパーティーで美人ジェシー(エミリー・ロイド)に一目惚れする。やんちゃな性格の次男ポール(ブラッド・ピット)は記者になり、闇の賭博場にも出入りする。
そんな対照的な性格である兄弟はそれでも仲が良く、父親譲りのフライ・フィッシングが共通の趣味。特にポールは天才的な腕前を発揮する。シカゴ大の教授に決まりジェシーを射止めたノーマンは、前夜闇賭博で儲けたらしいポールや父と釣りに出る。ポールはそこで大物を捕える。が、ポールはその直後チンピラとの喧嘩で殺されてしまう。
という物語が、今は高齢となったノーマンによる回想形式で綴られる。
大分前にネットで「起伏がない」という感想を目にした。本作にこういう意見をする人は、大きな事件があって出入りの激しい作品でなければ映画ではないらしい。少なくとも、そういうことを目的とせず、自然に抱かれて繰り広げられる小さな人間の営為を見つめることを趣旨としたこの作品をそうした尺度で評価するのは妥当ではない。「こういう静かな映画は自分の好みではありません」と言えば良いのだ。
確かに、大衆好みの大きな起伏は本作にはない。しかし、禁酒法時代の地方色に溢れた素朴な人々の心情の小さな起伏を、美しい景観を捉えた見事な撮影により、詩情たっぷりに綴り、そこに人間社会の普遍をスケッチする描写の確かさと、その時代その地方独自の風俗点出の面白味とを併せて見出す時、僕ら映画ファンはその芳醇さ或いは豊潤さであろうか、そうしたものに心を満たされるのである。
当時ブラッド・ピットがレッドフォードに似ていると話題になったが、見た目より、若者を演じていた1960年代の彼のムードに似ている気がする。
また、兄の少年時代に子役時代のジョセフ・ゴードン=レヴィットが扮して出演している。Introducingとあるのでデビュー作であり、期待されていたことが解る。その通り彼は一流俳優になった。
今月のWOWOWはハイビジョンで録れていなかった少し古い映画に収穫があった。「海の上のピアニスト」辺りもそろそろ出てきて良い。
1992年アメリカ映画 監督ロバート・レッドフォード
ネタバレあり
ロバート・レッドフォード監督第3作。最近は何を発表しても【キネマ旬報】の上位を占めてしまうクリント・イーストウッドに比べると実力に見合った評価がされていないと思うが、この作品は評価された部類であろう。僕はレッドフォードの作品の中でも、大学教授ノーマン・マクリーンの自伝小説を映画化したこの作品が一番好きだ。
1910~20年代のモンタナ州、スコットランド出身の牧師マクリーン(トム・スケリット)の長男ノーマン(クレイグ・シェーファー)は真面目で優秀、大学に進学して無事に卒業、帰郷して出かけたパーティーで美人ジェシー(エミリー・ロイド)に一目惚れする。やんちゃな性格の次男ポール(ブラッド・ピット)は記者になり、闇の賭博場にも出入りする。
そんな対照的な性格である兄弟はそれでも仲が良く、父親譲りのフライ・フィッシングが共通の趣味。特にポールは天才的な腕前を発揮する。シカゴ大の教授に決まりジェシーを射止めたノーマンは、前夜闇賭博で儲けたらしいポールや父と釣りに出る。ポールはそこで大物を捕える。が、ポールはその直後チンピラとの喧嘩で殺されてしまう。
という物語が、今は高齢となったノーマンによる回想形式で綴られる。
大分前にネットで「起伏がない」という感想を目にした。本作にこういう意見をする人は、大きな事件があって出入りの激しい作品でなければ映画ではないらしい。少なくとも、そういうことを目的とせず、自然に抱かれて繰り広げられる小さな人間の営為を見つめることを趣旨としたこの作品をそうした尺度で評価するのは妥当ではない。「こういう静かな映画は自分の好みではありません」と言えば良いのだ。
確かに、大衆好みの大きな起伏は本作にはない。しかし、禁酒法時代の地方色に溢れた素朴な人々の心情の小さな起伏を、美しい景観を捉えた見事な撮影により、詩情たっぷりに綴り、そこに人間社会の普遍をスケッチする描写の確かさと、その時代その地方独自の風俗点出の面白味とを併せて見出す時、僕ら映画ファンはその芳醇さ或いは豊潤さであろうか、そうしたものに心を満たされるのである。
当時ブラッド・ピットがレッドフォードに似ていると話題になったが、見た目より、若者を演じていた1960年代の彼のムードに似ている気がする。
また、兄の少年時代に子役時代のジョセフ・ゴードン=レヴィットが扮して出演している。Introducingとあるのでデビュー作であり、期待されていたことが解る。その通り彼は一流俳優になった。
今月のWOWOWはハイビジョンで録れていなかった少し古い映画に収穫があった。「海の上のピアニスト」辺りもそろそろ出てきて良い。
この記事へのコメント
この作品、私も大好きです。そして、ロバート・レッドフォードが監督としては日本ではイーストウッドにくらべると適切に評価されていないと感じています。くやしいくらいですね。この映画のような作品、ヨーロッパの映画だと批評家がもっと名作として取り上げるのになあという気もしました。
絵がほんとうにきれいですね、そしてあの時代の風俗が見られる。私が鮮明に記憶しているのは、父親が死んだ弟のことを「あの子はほんとうに美しかった」と嘆くところで、まじめなお兄さんの立場がないじゃないか、あのお兄さん、損な役回りだなと思ったのですよ。でも、あの場面が感動的だったりもしてました。
>監督の名前をまちがえていらっしゃるのでは?
やっちまいました^^;
実は、タランティーノの「ヘイトフル・エイト」をダブって登録してあり、余ってしまった方を上書きした時、監督名だけ訂正するのを忘れた次第です。
ご指摘有難うございました。
レッドフォードとイーストウッドに対する日本での評価についてはほぼ同じ感想をお持ちのようです。我々は少数派なのでしょうか?
【本館】に毎回いらっしゃる仲間の十瑠さんも、監督としてのレッドフォードを贔屓にしていられると思いますし、僕らに近い感想をお持ちかもしれません。
>ヨーロッパの映画だと
そういう面はあるかもしれませんね。
レッドフォードの映画は、アメリカのメジャー的作風ではありませんから。
>「あの子はほんとうに美しかった」
あの牧師のお父さん、堅物のようで、結構人間の本質の部分を見ていたのでしょうね。「兄は優秀だけれども、そこに限界もある」といった気持ちを抱いていたのでしょうか。
三人で魚を取りに行き、弟が大魚を射止める場面が素敵でした。結局、あれが三人が集った最後と判り、身内のようにじーんとさせられましたね。
このレッドフォード監督三作目は2回ほど観た気がしますが今一つ掴み切れていない作品です。なのでコメントを控えました。
再見時には再訪いたしますので、ヨロシクです。
イーストウッドは“キャラハン”としては好きなんですが、監督としてはどうも題材に対する視線が(自分とは)違う気がして、お好みじゃないです。
因みに、僕の一番好きなレッドフォード作品は「クイズショウ」です。
>今一つ掴み切れていない作品
明確な起承転結もないような、ぼやっとした印象を伴う作品なので、そういう意見も解るような気もしますね。
僕は美しい風景、風俗ムード、一家の心理の交換を楽しみました。
>再見時
お願い致します<(_ _)>
>イーストウッドは“キャラハン”としては好き
確かに駄作は作っていないと思いますが、日本人は彼を持ち上げすぎですね。「許されざる者」からそういう傾向が生まれたと思っています。
>「クイズシヨウ」
面白かった記憶はありますが、よく憶えていないんです。
僕は、いずれこちらを見直して、アップしたいと思います。
若き日の小津が、ヨーロッパ映画でなくアメリカ映画の影響を受けたのは有名ですが、小津の「父ありき」の中に親子で川釣りをするシーンが時代を変えて登場します。これって、もしかすると「リバーー・ランズ・スルー・イット」の元ネタだったのではないでしょうかね(笑)
レッドフォードの作品に登場する古きよきアメリカの原風景(当時の洒落たバーやレストラン、家並みや工場など)は、小津が日本を舞台に作ろうとしたアメリカ映画的な作品群に登場する風俗ムードを彷彿とさせるのですね。
今の人には想像もできないでしょうが、小津のころは、バーはおろか、中華そば屋さえ珍しくハイカラでしたし・・。
小津が、自身の理想とする家族をテーマに映画を作った監督であるように「普通の人々」もそうですが、この作品のテーマも家族・・。
(両者の描く「家族の肖像」は、小津が父と娘なのに対し、レッドフォードは父と息子のそれですが・・)
彼が日本で飛びぬけて評価が高い理由のひとつは、作品に侘び寂びがある、正確に言えば現代人が思っているワビサビ感を出すのがうまいからなのではないでしょうか?
「ミリオンダラーベイビー」「グラントリノ」は日本の若者に絶大な人気ですが、僕は前者はあまり評価しませんし、後者はジョン・ウェインノの「ラスト・シューティスト」の現代版でしょう・・。
西部劇の名作にまったく免疫のない、平成生まれの現代の若い人がこの映画に感動するのはむべなるかな、でしょうが・・。
ちなみに、ぼくのイーストウッドのベスト作品は「パーフェクト・ワールド」です。
追憶や華麗なるギャツビー(ヒコーキ野郎も)、コンドル、大統領の陰謀(明日に向かって撃て!とスティングは、ポール・ニューマンの作品だと思っています)などなどレッドフォードの俳優としての魅力は、監督作品以上にすばらしく、その点では、イーストウッドとも甲乙付け難いです(笑)
>レッドフォードの作風には小津に通ずるものがある
ふむふむ。少しだけ(笑)解るような気もします。
小津が一番影響を受けた映画人はエルンスト・ルビッチでしょう(僕が自分で作品を見て確認した範囲で)が、基本は戦前(サイレント時代)のアメリカ映画ですよね。
>「父ありき」
父子の釣りシーンは小津お得意の“相似”(二人が同じ動きをする)の典型例として強く印象に残っていますが、確かに親子の釣りという意味で全く思い出さないでもなかったです。
レッドフォードの作品、特に半ばエッセイ的で強い物語の線がないこの作品は、戦前のアメリカ映画や戦前の小津を筆頭とする一部日本映画が持っていた幾分爽やかな詩情があるような気がしますね(欧州映画の詩情はもっと湿った感じ)。
1980年頃まではこういう作品もアメリカでもぽつぽつとは作られていたとは思いますが、現在メジャー映画においてそうした自国の伝統をほぼ忘れているわけで、逆にレッドフォードが例外的な作家となり、画面に登場人物の心情がよく沈潜している彼の作品に魅力を覚えるのかもしれません。実はこの父と兄弟の関係を「エデンの東」と比較しながら見ていました。
終わりません(笑)
>バー
話はずれますが、先日観た山田洋次の「家族はつらいよ」がやはり小津のフォーマットを有効に使い、バーを何度も出してきたのにニヤニヤしました。
松竹入社当時は山田監督は小津安二郎を嫌っていたようですが、1970年代になり小津監督に似ていると言われて苦笑しつつ「伝統ですかね」と言ったとか。今や堂々と作り直している感じです。
>イーストウッド・・・現代人が思っているワビサビ感
逆に言うと、アメリカで日本ほど受けないのは、そうしたわびさびがアメリカ人にはピンと来ないということになるのでしょうねえ。
しかし、今世紀に入り、毎年1、2位を占めるとなると異常である気がしますよ。
>「グラントリノ」・・・「ラスト・シューティスト」の現代版
全く同意です。
僕も太字で「現代の西部男ここに眠る」と書きました。
この映画はその年に1位になっても特段不思議ではないと思います。
>「パーフェクト・ワールド」
追跡ものと一種の疑似父子もののカップリングみたいでしたかね。
浅野さんとは対照的に、余り強い印象を持たなかった作品です。
これは見直さないと怒られますね(笑)
>(華麗なる)ヒコーキ野郎
大好きな作品。
これは良い状態の映像で見直したいのですが、ハイビジョン時代になって一向に出てこない。ぷんぷん。