映画評「殿、利息でござる!」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2016年日本映画 監督・中村義洋
ネタバレあり
今世紀に入って俄かに日本の映画界は盛んに時代劇を作り始めた。まずは藤沢周平の時代小説の映画化が10年近く時代劇ブームを牽引し、それと入れ替わるように、江戸時代の侍や庶民が財政・家計に絡んで苦闘をする様子をコメディー形式で綴る作品(ほぼ実話)が始まり、人気を博しているようである。
本作は、TVを余り見ない僕でさえ何回もお目にかかるほどTVへの出演頻度の高い歴史学者・磯田道史氏による原作を、「武士の家計簿」(2010年)に続いて、映画化した作品。監督はお気楽なミステリー系の多い中村義洋で、実は本作でもちょっとした謎を配した展開となっている。
1750年~60年代の仙台藩。吉岡宿は、宿場町とは名ばかりで藩から伝馬役の助成金が支給されず、かつ人々が迂回してしまう為に伝馬役を務める為の費用が捻出できない。京都から嫁を連れて帰って来たばかりの茶師・瑛太は、酒屋の当主・阿部サダヲや味噌屋きたろうに、財政が逼迫しているらしい藩にお金を貸し、その利息で伝馬の費用を賄うアイデアを打ち明ける。目標は5000貫文(1000両)で、店の利益にはならないにも関わらず、計画は次第に広まり、参加しようという商家が増えて来る。
悲喜こもごものエピソードの末にやっと目標額に達し、代官を通して出入司・松田龍平にもちかけるが、司はあっさり却下。しかるに、養子に出された阿部や店を引き継いだ弟・妻夫木聡の父親・山崎努が実は何十年も前からこの目的の為に小銭を貯めていたお話が役人をして翻意させる。翻意させたは良いが、なかなか抜け目がない司で、為替差益を狙って銭(ぜに)ではなく金・千両で払えと言ってくる。藩が銭を多く流通させていた為寛永通宝の価値が下がり、800貫文不足してメンバーは大弱り。
宿への思いが人間が本来持っている欲望を払いのけて人々が無私の心境になっていく過程がヒューマニスティックな感動を呼び起こし、なかなか面白く見られる。こんな人はいるだろうかという疑問は、実は人間は他者に良いことをすると自分をも幸福にするという人間が本来持っている脳の構造を知らない人だけが抱く。そういう人はボランティアの人々を偽善とそしるが、脳の特性から言って偽善ではない。偽善では人は自分を幸せにできないからだ。
本作に出てくる武士階級の人々にもなかなか良い人が多い。階級社会(士農工商は現在否定されているが、武士と平民の階級差がなかったことには勿論ならない)とは言えども、人は様々であり、こういう人がいても不思議ではなく、このお話自体が、ある住職が残した記録に基づいているのだから嘘はない。人間はこんなものだろうと思う。
そんな崇高な精神には感銘を覚えるし、中村監督もスムーズにそつなく展開しているが、そのそつのなさが却って物足りなさを生む。しかし、彼の他の作品同様、肩の力を抜いて観るには丁度良く、お薦め。
昨今の作品では現在を描いた作品より時代劇の方が食指が動きます。
2016年日本映画 監督・中村義洋
ネタバレあり
今世紀に入って俄かに日本の映画界は盛んに時代劇を作り始めた。まずは藤沢周平の時代小説の映画化が10年近く時代劇ブームを牽引し、それと入れ替わるように、江戸時代の侍や庶民が財政・家計に絡んで苦闘をする様子をコメディー形式で綴る作品(ほぼ実話)が始まり、人気を博しているようである。
本作は、TVを余り見ない僕でさえ何回もお目にかかるほどTVへの出演頻度の高い歴史学者・磯田道史氏による原作を、「武士の家計簿」(2010年)に続いて、映画化した作品。監督はお気楽なミステリー系の多い中村義洋で、実は本作でもちょっとした謎を配した展開となっている。
1750年~60年代の仙台藩。吉岡宿は、宿場町とは名ばかりで藩から伝馬役の助成金が支給されず、かつ人々が迂回してしまう為に伝馬役を務める為の費用が捻出できない。京都から嫁を連れて帰って来たばかりの茶師・瑛太は、酒屋の当主・阿部サダヲや味噌屋きたろうに、財政が逼迫しているらしい藩にお金を貸し、その利息で伝馬の費用を賄うアイデアを打ち明ける。目標は5000貫文(1000両)で、店の利益にはならないにも関わらず、計画は次第に広まり、参加しようという商家が増えて来る。
悲喜こもごものエピソードの末にやっと目標額に達し、代官を通して出入司・松田龍平にもちかけるが、司はあっさり却下。しかるに、養子に出された阿部や店を引き継いだ弟・妻夫木聡の父親・山崎努が実は何十年も前からこの目的の為に小銭を貯めていたお話が役人をして翻意させる。翻意させたは良いが、なかなか抜け目がない司で、為替差益を狙って銭(ぜに)ではなく金・千両で払えと言ってくる。藩が銭を多く流通させていた為寛永通宝の価値が下がり、800貫文不足してメンバーは大弱り。
宿への思いが人間が本来持っている欲望を払いのけて人々が無私の心境になっていく過程がヒューマニスティックな感動を呼び起こし、なかなか面白く見られる。こんな人はいるだろうかという疑問は、実は人間は他者に良いことをすると自分をも幸福にするという人間が本来持っている脳の構造を知らない人だけが抱く。そういう人はボランティアの人々を偽善とそしるが、脳の特性から言って偽善ではない。偽善では人は自分を幸せにできないからだ。
本作に出てくる武士階級の人々にもなかなか良い人が多い。階級社会(士農工商は現在否定されているが、武士と平民の階級差がなかったことには勿論ならない)とは言えども、人は様々であり、こういう人がいても不思議ではなく、このお話自体が、ある住職が残した記録に基づいているのだから嘘はない。人間はこんなものだろうと思う。
そんな崇高な精神には感銘を覚えるし、中村監督もスムーズにそつなく展開しているが、そのそつのなさが却って物足りなさを生む。しかし、彼の他の作品同様、肩の力を抜いて観るには丁度良く、お薦め。
昨今の作品では現在を描いた作品より時代劇の方が食指が動きます。
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