映画評「ルーム」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2015年アイルランド=イギリス=カナダ=アメリカ合作映画 監督レニー・エイブラハムスン
ネタバレあり
欧米で誘拐・拉致映画が氾濫しているが、これはその中でも異色のアングルから捉えた作品である。
若い母親ブリー・ラースンが、5歳になろうという息子ジェイコブ・トレンブレイと部屋の中で、スキンシップをしている。これだけ見ればごく当たり前の母子である。しかし、この部屋は納屋であり、母親は7年前に連れ込まれて以来外に出ていない。5歳の誕生日を迎えた息子は犯人との間にできた子供。
子供を加えたことで、今までの拉致・監禁ものになかったアングルがつき、親子の絆を基礎にして最終的に非常に胸に迫る作品となった。
前半は、普通の監禁もの同様に、いかに二人が“部屋”から出ていくか、というサスペンス。
母親は発熱を偽装して子供を病院へ行かせようとするが果たせない。そこでその発熱で息子が死んでしまったことにし、絨毯に子供をくるむと男(ショーン・ブリジャーズ)にトラックで捨てさせるよう巧みに導く。息子は車がスピードを緩めたたところで絨毯から出て、車から降りる。男に一旦は捕まるが、通行人が怪しみ、事なきを得る。少年の断片的に語る言葉から女刑事が犯人の家、母親の監禁場所を突き止める。
娯楽映画的には、この女刑事の頭の良さに感動させられる。
かくして保護された母子は短い入院生活の後、息子にとっての祖母ジョーン・アレンの家に移動する。
ここから第2部の始まりという感じで、最初は初めて見る外の世界に驚く余り打ち解けられない少年に対して、母親は自由な生活が当たり前のように過ごす。
ところが、少年が世界に慣れ溶け込んでいくに反比例して、自分を見つめる余裕のできた母親は被害者意識を抱き始めて優しい母(祖母)や息子に対して怒りをぶつける。自身の怒りが理不尽であることを知っているので益々彼女としてはやりきれない。再入院して彼女が戻って来た頃、息子には友達も出来ている。そして彼は言うのである、「“部屋”をもう一度見たい」と。
僕ら平凡な人間はこの言葉に些か吃驚させられるのだが、少年はかつて名前を付けて愛したものにサヨナラを言って新しい段階に踏み出す覚悟だったようである・・・激しく過去と闘っている母親より一足早く。それ故に、彼が「ママも部屋にお別れを言いなよ」と言う言葉に強く胸を打たれることになる。そして、そこに仄かに浮かび上がる肉親(これには祖母と母の関係も当然含まれる)の絆もまた心にしみる。
恐らく誘拐犯の子供ということに抵抗があるらしく別居している自宅へ戻ってしまう祖父ウィリアム・H・メイシーの扱いに関しては些か舌足らずの感があるが、全体として拉致監禁もののフォーマットを使って心理映画を作ったところに大いなる新味あり。冒頭で述べたように拉致された女性に子を設けさせたことにより付けられたアングルの効果である。
外の世界を知らなかった息子にはその世界への対処という課題があり、外の世界を知っていた母親にはそれ故に生ずるPTSDの克服という問題がある。これを対比させるように、次第に重心を息子から母親へ移しながら見せたのが殊勲で、珍しいアイルランドの映画監督レニー・エイブラハムスンのタッチもなかなかみずみずしい。
教育論的な側面もありそうですね。
2015年アイルランド=イギリス=カナダ=アメリカ合作映画 監督レニー・エイブラハムスン
ネタバレあり
欧米で誘拐・拉致映画が氾濫しているが、これはその中でも異色のアングルから捉えた作品である。
若い母親ブリー・ラースンが、5歳になろうという息子ジェイコブ・トレンブレイと部屋の中で、スキンシップをしている。これだけ見ればごく当たり前の母子である。しかし、この部屋は納屋であり、母親は7年前に連れ込まれて以来外に出ていない。5歳の誕生日を迎えた息子は犯人との間にできた子供。
子供を加えたことで、今までの拉致・監禁ものになかったアングルがつき、親子の絆を基礎にして最終的に非常に胸に迫る作品となった。
前半は、普通の監禁もの同様に、いかに二人が“部屋”から出ていくか、というサスペンス。
母親は発熱を偽装して子供を病院へ行かせようとするが果たせない。そこでその発熱で息子が死んでしまったことにし、絨毯に子供をくるむと男(ショーン・ブリジャーズ)にトラックで捨てさせるよう巧みに導く。息子は車がスピードを緩めたたところで絨毯から出て、車から降りる。男に一旦は捕まるが、通行人が怪しみ、事なきを得る。少年の断片的に語る言葉から女刑事が犯人の家、母親の監禁場所を突き止める。
娯楽映画的には、この女刑事の頭の良さに感動させられる。
かくして保護された母子は短い入院生活の後、息子にとっての祖母ジョーン・アレンの家に移動する。
ここから第2部の始まりという感じで、最初は初めて見る外の世界に驚く余り打ち解けられない少年に対して、母親は自由な生活が当たり前のように過ごす。
ところが、少年が世界に慣れ溶け込んでいくに反比例して、自分を見つめる余裕のできた母親は被害者意識を抱き始めて優しい母(祖母)や息子に対して怒りをぶつける。自身の怒りが理不尽であることを知っているので益々彼女としてはやりきれない。再入院して彼女が戻って来た頃、息子には友達も出来ている。そして彼は言うのである、「“部屋”をもう一度見たい」と。
僕ら平凡な人間はこの言葉に些か吃驚させられるのだが、少年はかつて名前を付けて愛したものにサヨナラを言って新しい段階に踏み出す覚悟だったようである・・・激しく過去と闘っている母親より一足早く。それ故に、彼が「ママも部屋にお別れを言いなよ」と言う言葉に強く胸を打たれることになる。そして、そこに仄かに浮かび上がる肉親(これには祖母と母の関係も当然含まれる)の絆もまた心にしみる。
恐らく誘拐犯の子供ということに抵抗があるらしく別居している自宅へ戻ってしまう祖父ウィリアム・H・メイシーの扱いに関しては些か舌足らずの感があるが、全体として拉致監禁もののフォーマットを使って心理映画を作ったところに大いなる新味あり。冒頭で述べたように拉致された女性に子を設けさせたことにより付けられたアングルの効果である。
外の世界を知らなかった息子にはその世界への対処という課題があり、外の世界を知っていた母親にはそれ故に生ずるPTSDの克服という問題がある。これを対比させるように、次第に重心を息子から母親へ移しながら見せたのが殊勲で、珍しいアイルランドの映画監督レニー・エイブラハムスンのタッチもなかなかみずみずしい。
教育論的な側面もありそうですね。
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