映画評「キャロル」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2015年アメリカ=イギリス=オーストラリア合作映画 監督トッド・ヘインズ
ネタバレあり
知る人ぞ知る1950年代のメロドラマ映画監督ダグラス・サークの作品世界を「エデンより彼方に」(2002年)により21世紀に蘇らせて僕を大いに面白がらせたトッド・ヘインズの新作で、これまた1950年代の映画のようなムードを発散していてなかなか興味深い。
1952年、クリスマス・セールで賑わうデパートで売り子をしているテレーズ(ルーニー・マーラ)が、貴婦人キャロル(ケイト・ブランシェット)の残した手袋を送り届けると、お礼に会食に誘われる。離婚とそれによる親権の争奪に苦しむケイトの大人びた雰囲気に、カメラマンを目指しながら日常に不満を覚えるテレーズは憧れ、いつしか禁断の愛情を抱くようになる。夫(カイル・チャンドラー)から娘に会うのを禁じられたキャロルに付き合って年末年始を旅して過ごすことになるが、夫は二人の動向をスパイさせて親権を有利な方向に持っていこうと図る。かくして追い詰められたキャロルは親権を諦め、自由な生活を始める。同僚のパーティーに出かけたものの全く物足りないテレーズは、会場を出て高級レストランにキャロルの姿を探す。
1950年代世界的に同性愛は半ば犯罪であったことを知らないと理解しきれないところがあるし、当時映画界特にアメリカ映画では取り上げることすらできなかったことを知らないと面白味も半減する。50年代のムードで同性愛をテーマにした作品を作ることは、あり得ない古今東西のスタッフやキャストで映画を作る“幻想映画館”に通ずる面白味を含んでいるのである。
内容的には同性愛であっても、男女の恋愛ドラマと同列に扱えるメロドラマ仕立てで、対話する人物の切り替えなど全く適切なカット割りやカメラワークで心情を描出しながら構成している。カット割りやカメラワークで映画を見る人にはたまらない作品であろう。
全体の構成で言えば、ファースト・シーンでキャロルとテレーズが話し合っているところへテレーズの同僚が声をかける場面の後、クリスマスのデパートの場面に移動して二人のなれ初めからじっくり綴り続け、同じシーンに至るというところに工夫がある。特に、第一シーンでは男性側から撮っていたのを二回目のシーンでは女性側から撮っているところに、二人にとって「邪魔者が入った」というニュアンスを加味する仕掛けがあるわけで、実に秀逸である。
潤いのある良い映画を見たという気にさせる佳作と言うべし。
本作のルーニー・マーラを「麗しのサブリナ」(1954年)に出た頃のオードリー・ヘプバーンと比較する人が多い。ファッションやムード的には僕もそう思うが、彼女の容貌自体は(アングルによっては)ジーン・シモンズにそっくりではないだろうか。
「太陽がいっぱい」「見知らぬ乗客」の原作で有名な女流サスペンス作家パトリシア・ハイスミスの小説の映画化。サスペンスになっていくのかと思いきや、一般ドラマでした(ある意味サスペンスはあるが)。
ルーニー・マーラ主演で「黒水仙」をリメイクして貰いたい。
2015年アメリカ=イギリス=オーストラリア合作映画 監督トッド・ヘインズ
ネタバレあり
知る人ぞ知る1950年代のメロドラマ映画監督ダグラス・サークの作品世界を「エデンより彼方に」(2002年)により21世紀に蘇らせて僕を大いに面白がらせたトッド・ヘインズの新作で、これまた1950年代の映画のようなムードを発散していてなかなか興味深い。
1952年、クリスマス・セールで賑わうデパートで売り子をしているテレーズ(ルーニー・マーラ)が、貴婦人キャロル(ケイト・ブランシェット)の残した手袋を送り届けると、お礼に会食に誘われる。離婚とそれによる親権の争奪に苦しむケイトの大人びた雰囲気に、カメラマンを目指しながら日常に不満を覚えるテレーズは憧れ、いつしか禁断の愛情を抱くようになる。夫(カイル・チャンドラー)から娘に会うのを禁じられたキャロルに付き合って年末年始を旅して過ごすことになるが、夫は二人の動向をスパイさせて親権を有利な方向に持っていこうと図る。かくして追い詰められたキャロルは親権を諦め、自由な生活を始める。同僚のパーティーに出かけたものの全く物足りないテレーズは、会場を出て高級レストランにキャロルの姿を探す。
1950年代世界的に同性愛は半ば犯罪であったことを知らないと理解しきれないところがあるし、当時映画界特にアメリカ映画では取り上げることすらできなかったことを知らないと面白味も半減する。50年代のムードで同性愛をテーマにした作品を作ることは、あり得ない古今東西のスタッフやキャストで映画を作る“幻想映画館”に通ずる面白味を含んでいるのである。
内容的には同性愛であっても、男女の恋愛ドラマと同列に扱えるメロドラマ仕立てで、対話する人物の切り替えなど全く適切なカット割りやカメラワークで心情を描出しながら構成している。カット割りやカメラワークで映画を見る人にはたまらない作品であろう。
全体の構成で言えば、ファースト・シーンでキャロルとテレーズが話し合っているところへテレーズの同僚が声をかける場面の後、クリスマスのデパートの場面に移動して二人のなれ初めからじっくり綴り続け、同じシーンに至るというところに工夫がある。特に、第一シーンでは男性側から撮っていたのを二回目のシーンでは女性側から撮っているところに、二人にとって「邪魔者が入った」というニュアンスを加味する仕掛けがあるわけで、実に秀逸である。
潤いのある良い映画を見たという気にさせる佳作と言うべし。
本作のルーニー・マーラを「麗しのサブリナ」(1954年)に出た頃のオードリー・ヘプバーンと比較する人が多い。ファッションやムード的には僕もそう思うが、彼女の容貌自体は(アングルによっては)ジーン・シモンズにそっくりではないだろうか。
「太陽がいっぱい」「見知らぬ乗客」の原作で有名な女流サスペンス作家パトリシア・ハイスミスの小説の映画化。サスペンスになっていくのかと思いきや、一般ドラマでした(ある意味サスペンスはあるが)。
ルーニー・マーラ主演で「黒水仙」をリメイクして貰いたい。
この記事へのコメント
>「逢引き」
カメラのアングルも似ているような気がしました。後できちんと確認してみましょう。
>初々しいケイト
テレーズのことでしょうか。
僕は断然テレーズですよ。同性愛恋愛映画ですが、実はテレーズが女性として自立していく過程を描いた作品でもありますから、その成長ぶりにハッとさせられるんですね。
プロフェッサーの書かれたように、これが現代の物語であれば、まったく違う映画になっていたはずで、やはり1952年という時代だからこそ描けた部分があったと思います。この作品、全体的に画面が暗いのも、第二次世界大戦が終わったばかりの社会に漂う不安感を現していて効果的でした。
ケイト・ブランシェットは、女性らしい丸みも少なく背中もどこか男性的なんですね。
あきらかに発声をコントロールして、声のトーンを低く演じていましたし、キッチンで料理しながらルーニー・マーラに電話をかける姿は観客に対する「できる女性」アピールでしょう(笑)
愛娘を抱擁するシーンは母親像そのものですし、何気なくリビングで床に横たわる姿も美しい・・。キャロルの多面的な顔が人間の魅力を引き立てていて、性別を超越した吸引力がある・。
ルーニー・マーラは女性的で幼さも見え隠れしますが、芯が強くたくましさも感じる・・。
彼女も彼女で、ケイトほどわかりやすくないけれどどこか人を引き寄せる何かがある気がします。
後にケイトから「あなたは開花したわ・・」みたいなことを言われますね。
オードリーの再来、といわれる女優は10年に一度は必ず出てきますが、ルーニー・マーラはちょっとタイプが違いますね・・。
ジーン・シモンズは、オードリーと同い年でして、彼女も「ローマの休日」の主演候補になりましたが、映画完成後にオードリーに電話して「私が演じていたら、あの半分もできなかった・・」と・・。正直な女優さんでした。
彼女は、「ハウルの動く城」で、倍賞千恵子の演じたヒロイン役の吹き替えをしています。ローレン・バコールも同じく吹き替えで共演。
去年は、アメリカ映画とアニメに良心的な作品が多かった年で、特にここ数年のアメリカ映画の復活は嬉しいですね。
なお、アニメ「この世界の片隅で」は、昨年のぼくのランキング1位でして、21世紀以降の日本アニメのマスターピースと呼んで過言無い作品ですので、WOWWOWでも必ずかかると思います。
ご記憶ください。
>「エデンより彼方に」
1980年代から90年代にかけてダグラス・サークの作品をかなり観ていたので、そういう角度からも大変面白かった作品です。中身も素敵でした。
>第二次世界大戦が終わったばかりの社会
赤狩りらしき場面が流れていましたね。
>ケイト・ブランシェット
あの頃の女優なら、バーバラ・スタンウィックを思い出します。幻想映画館なら彼女をキャロルにしても面白い。
>性別を超越した吸引力
だから、ケイト・ブランシェットがキャスティングされたのでしょうね。
>ルーニー・マーラ
実は、僕のタイプ(笑)
姉さんのケイトも「オデッセイ」など最近ボチボチ見かけるようになりました。TVで活躍していたようです。
>ジーン・シモンズ
ジブリのDVDは結構買いましたが、「ハウルの動く城」は持っていないので、聴けないなあ。
ローレン・バコールと共演とは、豪華な顔ぶれですね。
>アメリカ映画の復活
僕もそう感じています。
>アニメ「この世界の片隅で」
ニュースになったり、色々と取り上げられていたので、TVを余り観ない僕でも知っております。
一年に一冊だけ購入する「キネマ旬報」でも堂々の1位でした。
見逃すわけには行きますまい。