映画評「獲物の分け前」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1966年フランス映画 監督ロジェ・ヴァディム
ネタバレあり
1970年代半ばに地上波で一度、1990年代に衛星放送で一度観ていると思う。
エミール・ゾラの小説をロジェ・ヴァディムが現代に舞台を移して翻案・映画化したシニカルなロマンスだが、原作の和訳は比較的最近(この映画化より大分あと)で、この映画の邦題がそのまま採用されている。
カナダで遺産を相続したルネ(ジェーン・フォンダ)は、親戚のしがらみがあり芳しからぬ環境から抜け出るために、金策に行き詰ったフランスの興行師アレクサンドル(ミシェル・ピッコリ)と結婚するが、年齢が父親に近い上にお金で結ばれただけの彼と所詮つまく行くわけもなく、先妻の息子マキシム(ピーター・マッケナリー)と懇ろになる。
離婚を提案した彼女に対して中年の夫は「君の全財産は投資済み、結婚関係がある間は君のものである」と言う。財産か離婚かを迫ったのである。彼女は考えた末に財産を捨てて離婚を選ぶが、その処理の為にスイスへ出かけて帰ってみると、父親は息子を説得して財産家の娘と婚約させている。彼女は絶望するが、自殺もできない。
双葉師匠(双葉十三郎氏)やallcinemaの諸氏が異口同音に言うように、お話はまるで面白くなく、ヴァディムが当時の愛妻ジェーンを「バーバレラ」「世にも怪奇な物語」第一話同様、耽美的に撮るのが目的だったらしいので、鑑賞する側もそこに専念しないと、「ゾラを映画化した意味がない」などという、ちと的を外したコメントになってしまう。その限りにおいては、日本趣味を取り入れたインテリアや服装などを含めて、結構楽しめる。
耽美派のヴァディムは元来そういう監督で、この監督の作品に物語の面白さや心理描写の正確さや深度を求めるのはお門違いなのだ。
何故か音楽はインド風。
この作品を観ると、ジェーンがアメリカに帰ってロバート・レッドフォードと共演した「裸足で散歩」を再鑑賞したくなる。
1966年フランス映画 監督ロジェ・ヴァディム
ネタバレあり
1970年代半ばに地上波で一度、1990年代に衛星放送で一度観ていると思う。
エミール・ゾラの小説をロジェ・ヴァディムが現代に舞台を移して翻案・映画化したシニカルなロマンスだが、原作の和訳は比較的最近(この映画化より大分あと)で、この映画の邦題がそのまま採用されている。
カナダで遺産を相続したルネ(ジェーン・フォンダ)は、親戚のしがらみがあり芳しからぬ環境から抜け出るために、金策に行き詰ったフランスの興行師アレクサンドル(ミシェル・ピッコリ)と結婚するが、年齢が父親に近い上にお金で結ばれただけの彼と所詮つまく行くわけもなく、先妻の息子マキシム(ピーター・マッケナリー)と懇ろになる。
離婚を提案した彼女に対して中年の夫は「君の全財産は投資済み、結婚関係がある間は君のものである」と言う。財産か離婚かを迫ったのである。彼女は考えた末に財産を捨てて離婚を選ぶが、その処理の為にスイスへ出かけて帰ってみると、父親は息子を説得して財産家の娘と婚約させている。彼女は絶望するが、自殺もできない。
双葉師匠(双葉十三郎氏)やallcinemaの諸氏が異口同音に言うように、お話はまるで面白くなく、ヴァディムが当時の愛妻ジェーンを「バーバレラ」「世にも怪奇な物語」第一話同様、耽美的に撮るのが目的だったらしいので、鑑賞する側もそこに専念しないと、「ゾラを映画化した意味がない」などという、ちと的を外したコメントになってしまう。その限りにおいては、日本趣味を取り入れたインテリアや服装などを含めて、結構楽しめる。
耽美派のヴァディムは元来そういう監督で、この監督の作品に物語の面白さや心理描写の正確さや深度を求めるのはお門違いなのだ。
何故か音楽はインド風。
この作品を観ると、ジェーンがアメリカに帰ってロバート・レッドフォードと共演した「裸足で散歩」を再鑑賞したくなる。
この記事へのコメント
>フランス映画との相性がよくないらしく
夫君でもあったロジェ・ヴァディムが、彼女に女優らしい演技を求めなかったという感じでしょうかねえ。
「バーバレラ」は徹底してお遊びのような映画だったので、それが気にならなかったのかも。
>過去の過ち
トランプがパイプライン工事の再会に関する大統領令を出した時に、出ていましたね。まだまだ元気でした。
>バルドーやカトリーヌ・ドヌーヴ
二人ともヴァディムの妻(内妻)ですから、このおじさん、凄いデスね。