映画評「眼には眼を」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1957年フランス=イタリア合作映画 監督アンドレ・カイヤット
ネタバレあり

1970年代の初め中学生の時にTVで観て、怖い思いをした。図書館に置かれていたビデオを借りて久しぶりに観る。

シリア。病院で医師をしているフランス人クルト・ユルゲンスが自宅でくつろごうとしている最中に診察依頼を受けるが断り、病院で診てもらうように下女を通じて指示を出す。
 翌日、その患者を診た若い医師は、誤診して実は妊婦だった彼女を死なせてしまったと告白する。それから病院に変な車が現れ、酒場に行けばその持ち主である現地の男フォルコ・ルリが先回りしている。言うまでもなく、死んだ妊婦の夫である。
 酒場で代金を肩代わりしてくれた彼にお金を返すために今度は医師が男の行方を追うことになり、車に無理やり割り込んでお金を返すが、帰りのガソリンがなくなった為に男が寄寓する妻の実家で一夜を明かすことになる。翌朝ガソリンを届けに来た男が村に病人にいることを告げる。親切にされて気の緩んだ医師は村に出かけるが、村の老人たちに施術を拒まれるわ、車のタイヤは盗まれるわ、と散々な目に遭う。
 仕方がないので徒歩で帰ろうとすると、商売中というルリに待ち伏せをされていて、以降彼の言う嘘に振り回されて危ない目に遭ったり、砂漠を延々と歩く羽目になる。

1980年代末から90年代前半にかけて流行った逆恨みスリラーのクラシック版みたいなもので、1950年代では多少珍しかったに違いない素材を戦後フランスの実力派監督アンドレ・カイヤットが堂々とこなして見応え十分。

この手の作品は四半世紀前に幾つも見せられたので、今となってはそう怖くもないが、アメリカで流行った逆恨みものは加害者が基本的にサイコパスで論理性なしにしかし計画性を以って被害者即ち主人公に迫って来るのに対し、本作の加害者は純粋に復讐のために論理的に、それも途中まではどの程度の計画性があったのか定かでないのが、人間を考える上において非常に恐ろしいものがあると言って良い。同じ逆恨みでもより普遍的なテーマということになる。

それに加え、現在世界の人々が関心を寄せている国の一つであるシリアが舞台であるというのも要注目で、本作では現地人(若しくはイスラム文化圏の人々)の野蛮さを隠さずに見せているのが時代を感じさせる。現在なら舞台となった国以上に、作った国の人権主義者に文句を言われてしまうだろう。

西洋的見地から現地人をやや見下す態度や診察拒否など主人公に落ち度が全くないわけではないにしても、善行には善行で報いようという意思がある常識的な人物であり、理屈では恐らく解っていても怒りを抑えることのできない加害者に付きまとわれてお気の毒というのが僕の印象。人権主義が行きすぎると主人公が断然悪いということになるらしいが、常識的にはやはり逆恨みのレベルであろう。

荒漠たる砂漠地帯を歩く主人公をロング・ショットで捉え、やがて超ロングになって木の生えていない山岳を捉える幕切れでは、主人公の表情なしに絶望感が絵から滲み出す。佳作と言うべし。

加害者は医師に「ダマス(カス)が山の向こうにある」と言う。しかし、「騙す(ダマス)」が山の向こうにあるなら、山を越えても騙されるだけだろう。面白い洒落と思って日本語字幕を読んでいた。

この記事へのコメント

2017年03月25日 18:32
舞台がシリアとは知りませんでした。2年間現地で暮らし、フランスへの二律背反的な感情が強いことは経験しましたので、これはぜひ見なくては。
オカピー
2017年03月25日 20:43
Biancaさん、こんにちは。

>2年間現地で暮らし
わぁ、そうですか。

>二律背反的な感情
僕などが見て解らないことも解るかもしれませんね。

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