映画評「ヒメアノ~ル」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2015年日本映画 監督・吉田恵輔
ネタバレあり
吉田恵輔監督は「純喫茶磯辺」と「麦子さんと」を観ると妙齢女性の成長を描くのが好みなのかと思わせるが、古谷実という漫画家のコミックを映画化した本作は、昨今日本映画が得意とし始めた感のあるサイコパス映画で、趣が全然異なる。しかも前半は相当おとぼけがあって面白く、後半にかけての話術もなかなか巧みで、サイコ映画の佳作と言える。
ビル清掃会社でパートタイマーとして働く濱田岳は、変人の先輩ムロツヨシに打ち明けられて彼が勝手に運命の女性と決めつけているカフェの店員・佐津川愛美とのキューピッドになるよう頼まれるが、相手に一目惚れされてしまう。
ムロも見方によっては怖いが、彼が既に注目し彼女が周囲をウロウロされて困っているという森田剛は遥かに怖い。
実は森田は浜田君の高校時代の同級生だが、虐められていた当時の面影はなく、みつぐ君にしていた同じく同級生の駒木根隆介の反抗を返り討ちにしたのを手始めに次々と殺人を繰り広げ、やがて浜田君と愛美嬢にやっつけようと迫って来る。
【Yahoo!映画】のコメントに、「良い人ね」と思わせる落ちがダメで、殺人に理由を付けるならもっと犯人の背景を描く必要がある、という主旨のものがあったが、ピントを外している。
森田君は、昔飼っていたのと同じ白い犬を避けようとして事故を起こし御用になるが、これは「良い人ね」と思わせる為ではない。虐めがいかに人間を壊すかという表現である。その為の説明は浜田君の回想と本人の幻聴で十二分に表現されている。これ以上描いたら逆に「虐めがいかに人間を壊すか」というテーマがふやけてしまう。
(原作ではそういう設定という)生まれついてのサイコパスであれば殺人に理由を求める必要はないが、脚本も担当した吉田監督は現在的な視点を加え、一種の社会派作品としたかったのだろう。僕はなかなか巧く改変できていると思う。
ムロツヨシがサイコっぽいので森田とサイコ的な対決をするのかと思いきや、対決はあったもののそういう風にはならず、彼はドストエフスキー「白痴」の主人公ムイシュキン公爵のような純な人物と判明する。狂言回しにはうってつけかもしれない。
アメリカ映画より日本映画のサイコのほうが不気味に思えるのは錯覚だろうか。
2015年日本映画 監督・吉田恵輔
ネタバレあり
吉田恵輔監督は「純喫茶磯辺」と「麦子さんと」を観ると妙齢女性の成長を描くのが好みなのかと思わせるが、古谷実という漫画家のコミックを映画化した本作は、昨今日本映画が得意とし始めた感のあるサイコパス映画で、趣が全然異なる。しかも前半は相当おとぼけがあって面白く、後半にかけての話術もなかなか巧みで、サイコ映画の佳作と言える。
ビル清掃会社でパートタイマーとして働く濱田岳は、変人の先輩ムロツヨシに打ち明けられて彼が勝手に運命の女性と決めつけているカフェの店員・佐津川愛美とのキューピッドになるよう頼まれるが、相手に一目惚れされてしまう。
ムロも見方によっては怖いが、彼が既に注目し彼女が周囲をウロウロされて困っているという森田剛は遥かに怖い。
実は森田は浜田君の高校時代の同級生だが、虐められていた当時の面影はなく、みつぐ君にしていた同じく同級生の駒木根隆介の反抗を返り討ちにしたのを手始めに次々と殺人を繰り広げ、やがて浜田君と愛美嬢にやっつけようと迫って来る。
【Yahoo!映画】のコメントに、「良い人ね」と思わせる落ちがダメで、殺人に理由を付けるならもっと犯人の背景を描く必要がある、という主旨のものがあったが、ピントを外している。
森田君は、昔飼っていたのと同じ白い犬を避けようとして事故を起こし御用になるが、これは「良い人ね」と思わせる為ではない。虐めがいかに人間を壊すかという表現である。その為の説明は浜田君の回想と本人の幻聴で十二分に表現されている。これ以上描いたら逆に「虐めがいかに人間を壊すか」というテーマがふやけてしまう。
(原作ではそういう設定という)生まれついてのサイコパスであれば殺人に理由を求める必要はないが、脚本も担当した吉田監督は現在的な視点を加え、一種の社会派作品としたかったのだろう。僕はなかなか巧く改変できていると思う。
ムロツヨシがサイコっぽいので森田とサイコ的な対決をするのかと思いきや、対決はあったもののそういう風にはならず、彼はドストエフスキー「白痴」の主人公ムイシュキン公爵のような純な人物と判明する。狂言回しにはうってつけかもしれない。
アメリカ映画より日本映画のサイコのほうが不気味に思えるのは錯覚だろうか。
この記事へのコメント