映画評「クリーピー 偽りの隣人」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2016年日本映画 監督・黒沢清
ネタバレあり
無数の映画を観てきた中で一番怖さを感じたのが黒沢清監督「CURE」である。あの名状したい怖さは何だったのだろうか。がっかりしたくない為却って再鑑賞できないでいる。本作は性格が比較的「CURE」に近いが、あの作品が人間存在に関し哲学的であったのに対し、心理学的である。その分、怖さが解りやすい。
犯罪心理学を得意としていた刑事・西島秀俊がサイコな容疑者に対して失態を演じて辞職し、大学の犯罪心理学講師に転職、妻・竹内結子と共に、郊外に越してくる。挨拶に行った隣人は変な人ばかりだが、高校生の娘・藤野涼子がいる自称協会理事の香川照之は一見して異常者である。
同時に、西島は失踪しただけなのに“事件”扱いされている一家三人の失踪事件に興味を覚える。一家のうち娘・川口春奈だけ残っているのも謎で、やがて同じ事件に関心を持って接近してきた元部下の東出昌大と共に事件を探ることになる。
両事件の関連に気付いた東出は隣人の名前を名乗っている香川が別人であることを確認した直後、その隣の家の火災現場からその家族と共に焼死体で発見される。ベテラン刑事・笹野高史からその事実を聞かされた西島は香川に娘の誘拐犯人として通告される。妻は妙な薬を打たれて、娘と称している一家の両親を殺した香川の言いなりになっている。
果たして、西島を待つ運命は?
というミステリアスなサイコ・スリラーで、主犯が遠縁の家を乗っ取り家族同士を殺し合わせた尼崎事件を思わせたりもするが、前川裕の原作「クリーピー」が書かれたのは事件発覚より少し早いので、小説が現実の先を行った形である。
ミステリーとして理詰めに見ていくと穴が多い。疑問百出である。しかし、黒沢監督は敢えて疑問を残しながら進めている感があるので、そこに余り拘ると酷評しかできない為、その点は敢えて無視して評価したい。
念の為にその疑問の代表格を言っておくと、人々が何故香川の言いなりになるのか、特に当初の結子奥さん(少し後でもう一回触れる)。後半頻繁に出てくる薬剤にその効果があるのは推測できるが、打たれている様子のない娘については不明。恐らくは生き延びる心理上のもので、これも仲の良かった姉を殺した尼崎事件の妹娘を思い出させるが、幕切れを見ても終始“振り”であったのだろう。
終盤はいつの時点からか(以心伝心かもしれない)三人が示し合わせていたと理解するのが合理的。結局支配下に収めた人間に裏をかかせて邪魔な人間を罠にはめてきた香川が【策士策に溺れる】を地で行き、裏をかかれるというところに面白味がある。一見出たとこ勝負的でテキトーなように見えながら実はお話に一貫性があるのである。
結子奥さんが香川になびく経過が全く省略されている為大きな疑問として後まで尾を引く一方、一見幸福に見える有閑夫人が夫の気づかない不満を抱えている社会学的実相を背景に漂わす。これに都会の非常に希薄な近所付き合いの問題と郊外独自の住宅環境とが絡み合うことで、じわじわと恐怖が形成されることになる。
香川は、西島のいう秩序型と無秩序型の間で、犯行理由も犯行のタイミングも解らないタイプ。人間の存在そのものが怖くなる「CURE」に対して、怖い人間の存在が怖いのである。設定が現実的とは言えないものの、背景に現実性が揺曳し、そこに恐怖が沈潜する。極めて現代的な恐怖劇として買いたい。
黒沢清の作品としては後味は悪くない。
2016年日本映画 監督・黒沢清
ネタバレあり
無数の映画を観てきた中で一番怖さを感じたのが黒沢清監督「CURE」である。あの名状したい怖さは何だったのだろうか。がっかりしたくない為却って再鑑賞できないでいる。本作は性格が比較的「CURE」に近いが、あの作品が人間存在に関し哲学的であったのに対し、心理学的である。その分、怖さが解りやすい。
犯罪心理学を得意としていた刑事・西島秀俊がサイコな容疑者に対して失態を演じて辞職し、大学の犯罪心理学講師に転職、妻・竹内結子と共に、郊外に越してくる。挨拶に行った隣人は変な人ばかりだが、高校生の娘・藤野涼子がいる自称協会理事の香川照之は一見して異常者である。
同時に、西島は失踪しただけなのに“事件”扱いされている一家三人の失踪事件に興味を覚える。一家のうち娘・川口春奈だけ残っているのも謎で、やがて同じ事件に関心を持って接近してきた元部下の東出昌大と共に事件を探ることになる。
両事件の関連に気付いた東出は隣人の名前を名乗っている香川が別人であることを確認した直後、その隣の家の火災現場からその家族と共に焼死体で発見される。ベテラン刑事・笹野高史からその事実を聞かされた西島は香川に娘の誘拐犯人として通告される。妻は妙な薬を打たれて、娘と称している一家の両親を殺した香川の言いなりになっている。
果たして、西島を待つ運命は?
というミステリアスなサイコ・スリラーで、主犯が遠縁の家を乗っ取り家族同士を殺し合わせた尼崎事件を思わせたりもするが、前川裕の原作「クリーピー」が書かれたのは事件発覚より少し早いので、小説が現実の先を行った形である。
ミステリーとして理詰めに見ていくと穴が多い。疑問百出である。しかし、黒沢監督は敢えて疑問を残しながら進めている感があるので、そこに余り拘ると酷評しかできない為、その点は敢えて無視して評価したい。
念の為にその疑問の代表格を言っておくと、人々が何故香川の言いなりになるのか、特に当初の結子奥さん(少し後でもう一回触れる)。後半頻繁に出てくる薬剤にその効果があるのは推測できるが、打たれている様子のない娘については不明。恐らくは生き延びる心理上のもので、これも仲の良かった姉を殺した尼崎事件の妹娘を思い出させるが、幕切れを見ても終始“振り”であったのだろう。
終盤はいつの時点からか(以心伝心かもしれない)三人が示し合わせていたと理解するのが合理的。結局支配下に収めた人間に裏をかかせて邪魔な人間を罠にはめてきた香川が【策士策に溺れる】を地で行き、裏をかかれるというところに面白味がある。一見出たとこ勝負的でテキトーなように見えながら実はお話に一貫性があるのである。
結子奥さんが香川になびく経過が全く省略されている為大きな疑問として後まで尾を引く一方、一見幸福に見える有閑夫人が夫の気づかない不満を抱えている社会学的実相を背景に漂わす。これに都会の非常に希薄な近所付き合いの問題と郊外独自の住宅環境とが絡み合うことで、じわじわと恐怖が形成されることになる。
香川は、西島のいう秩序型と無秩序型の間で、犯行理由も犯行のタイミングも解らないタイプ。人間の存在そのものが怖くなる「CURE」に対して、怖い人間の存在が怖いのである。設定が現実的とは言えないものの、背景に現実性が揺曳し、そこに恐怖が沈潜する。極めて現代的な恐怖劇として買いたい。
黒沢清の作品としては後味は悪くない。
この記事へのコメント
彼らを社会的に成功した”善のサイコパス”とするなら、悪のそれの代表はレクター博士になりますかね(笑)
この監督の前作の「岸辺の旅」は現代の「雨月物語」ともいえる作品で、黒沢清らしからぬ、まるで彼の遺作になるかのような雰囲気でした。
若いと思っていた黒沢清もすでに齢60を越え、溝口が58歳、小津が60歳で鬼籍に入っていることを思えば決して若くなく、よもやそのつもりでいたのか?と勘ぐるぼくをあざ笑うかのような今回はいたって黒沢らしい題材でした(笑)
日常を描くのがうまい黒沢清の、小津安二郎風の普通の作品を一度撮らせて見たいと思うのですが・・やはり、妙に不穏な気配がするのでしょうかね(笑)
>サイコパス
反社会的性質を持っているかどうかで、分かれるのでしょう。
ホームズが反社会的なら、大変な犯罪者になっていますね。レクター博士がその代表格でしょう。死ぬまでに原作は読んでおかなくちゃ(笑)
>「岸辺の旅」
黒沢監督が拘ってきたオカルトではありましたけど、恐怖劇にしなかったのが興味深かったですね。生きている蒼井優が人間として怖かったですが(笑)
>黒沢清もすでに齢60を越え
ほぼ僕らの世代。
映画監督も野球の監督も自分より年下が増えてきました(笑)
>今回はいたって黒沢らしい題材でした(笑)
比較的ストレートな幕切れに「丸くなったかな?」という気が少ししました。
>小津安二郎風の普通の作品
黒沢監督が仰るに、「世間のイメージとは違いますが、黒澤明監督は展開が遅い。小津監督は実は早い」(常々そう思っていたので膝を打ちました)。
本作で見せた、主人公が帰ってきたら思いがけず隣人がいた、という場面の、恐くて素晴らしいカット割りを逆手に取ると、小津のように展開の早いホームドラマができそうです。
はじまりの画面から、黒沢清作品だなと感じました。私的には絵の魅力がある映画監督なんです。
>家族みたいな形ができあがってしまうと、中々そこから抜け出るのが
>むずかしくなる、とくに女はそうなりがちです。
何となく解ります。
黒沢清監督の恐怖の扱いは粘着質なので、こういうお話には合っているような気がします。
しかし、本作は大分直球で、旧作群より解りやすくて良かった。極めて哲学的な「CURE」の底知れぬ怖さは未だに分析できていないのですが。
>私的には絵の魅力がある映画監督なんです。
はい。
僕は左脳人間なので、感性の豊かな人の感覚とは違うかもしれませんが、黒沢監督の絵は面白いと思います。画面に個性のない映画監督は、職業監督と言わざるを得ないですね。
あれは犯人が催眠術のようなやり方で相手の深層心理を刺激してきていて、その催眠させる過程が描かれていて、あれが観ていて不安になってくるんですね。また、大昔の白黒の映像で、人に催眠術(?)をかけている様子がちらっと出るんですが、あれが気持ち悪い。不気味な流れで不鮮明な白黒映像で不可解な人の動作が映るから。
役所広司が演じた主人公は、奥さんが精神を病んでいて介護に疲れていて、そこをいじられるんですね、あのいやらしい不快感。そして犯人がいなくなった後も伝染していく、きりがないもやもやがありましたね。
「クリーピー」は、西島と香川が同じカードの裏表というか、バットマンとジョーカーみたいな関係に見えて、とりあえずバットマンがジョーカーを倒しますので、劇中ではひとまず決着しましたね。ただ、男から見た女のわけわからなさというのは現実として残りました。
>「CURE」何回も観ようという気にはなれない重たい感じがありましたね。
どんより重く、保存版を作ったものの、再鑑賞できないでいます。悠れの正体見たり枯れ尾花の伝でがっかりしたくないという以上に、怖いので(笑)。
>不安
>あのいやらしい不快感
端的に言えば、「CURE」の怖さの根底にあるのはこれですね。或いはそれが殆どなのかも。
>「クリーピー」は、西島と香川が同じカードの裏表というか、
>バットマンとジョーカーみたいな関係に見え
その表現はピッタリですね。
そういうアンビバレントな存在が人間であるというのが、黒沢清のテーマ設定だったのかもしれません。