映画評「草原の輝き」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1961年アメリカ映画 監督イーリア・カザン
ネタバレあり
イーリア・カザン監督としては「エデンの東」(1955年)系列の青春映画である。第一次世界大戦前後の「エデン」に対してその10年後くらいの設定であり、時代的にも割合近い。二回目か三回目の鑑賞。
アメリカ中部、高校3年生のウォーレン・ビーティとナタリー・ウッドは恋に落ちていて、彼は地元の農業大学に進学する前に結婚したいと思っているが、石油成金で牧場主の彼の父親パット・ヒングルは父権主義的にこれを禁止する。彼女の母親オードリー・クリスティは、玉の輿結婚には賛成だが、性関係に関しては清教徒的精神を発揮してこれを禁止する。
ビーティの姉バーバラ・ローデンは都会から帰ってきた奔放な女性で、これに影響され、ビーティもナタリーも性的欲動を抑えるのに苦闘する。結局彼は他の女性と関係を結び、やがて父親の願望であるイェール大学に進学、ナタリーはこれにショックを受けてノイローゼになり精神科に長期入院することになる。
その間に1929年の株価大暴落が起きてヒングルが自殺、自由になったビーティは大学を辞めてイタリア系のゾーラ・ランパートと結婚する。
やがて退院したナタリーは、今では牧場主となっているビーティと再会、旧交を温めて別れていく。
日本の右派は戦後GHQのプレス・コードに文句を言っているが、あの程度の事前検閲に騒ぐことはない。敗戦国ならごく当たり前のことだ。アメリカ映画界は1968年まで半世紀以上も或る意味それより厳しい制限を受けていた。それがヘイズ・コードである。
本作冒頭のシーンなど1961年の映画としてはかなり大胆だったのではないか(アメリカの映画は裸はおろか、男女の同衾も、初夜も描けなかった。濃厚なキスもダメだった)。内容的にも、性的欲動が重要な要素として扱われること自体が驚きで、この辺りからヘイズ・コードが撤廃される下地が出来始めていたのだなと感じる。
この映画が当時アメリカで高く評価されたのはそうした理由もあったのだろうと想像したくなるわけだが、ぐっと進んだヌーヴェルヴァーグの映画を見ていた日本の映画ファンには何ということもなかったはずである。
映画史の勉強はこの辺で終わりにするとして、全体の印象は「ロミオとジュリエット」のヴァリエーションを「エデンの東」風に味付けした感じ。悲劇とまでは行かないが、痛々しい青春模様がひりひりする思いを抱かせる。
「草原の輝き」というタイトルにも使われたワーズワースの名詩は、青春の終わりに思いを馳せ、若さやその感性の喪失を痛みと思わず力にして行こう、という風に理解できるが、中盤以降この詩が通奏低音的に共鳴するため、却って切なくなってしまう。なかなか印象深い別れの場面で、カザンは表現がさすがに上手い。脚本は「ピクニック」などの劇作家ウィリアム・インジ。
アグネス・チャンの同名曲はこの映画からの着想だろう。今年は「裸足の季節」という映画も観た。
1961年アメリカ映画 監督イーリア・カザン
ネタバレあり
イーリア・カザン監督としては「エデンの東」(1955年)系列の青春映画である。第一次世界大戦前後の「エデン」に対してその10年後くらいの設定であり、時代的にも割合近い。二回目か三回目の鑑賞。
アメリカ中部、高校3年生のウォーレン・ビーティとナタリー・ウッドは恋に落ちていて、彼は地元の農業大学に進学する前に結婚したいと思っているが、石油成金で牧場主の彼の父親パット・ヒングルは父権主義的にこれを禁止する。彼女の母親オードリー・クリスティは、玉の輿結婚には賛成だが、性関係に関しては清教徒的精神を発揮してこれを禁止する。
ビーティの姉バーバラ・ローデンは都会から帰ってきた奔放な女性で、これに影響され、ビーティもナタリーも性的欲動を抑えるのに苦闘する。結局彼は他の女性と関係を結び、やがて父親の願望であるイェール大学に進学、ナタリーはこれにショックを受けてノイローゼになり精神科に長期入院することになる。
その間に1929年の株価大暴落が起きてヒングルが自殺、自由になったビーティは大学を辞めてイタリア系のゾーラ・ランパートと結婚する。
やがて退院したナタリーは、今では牧場主となっているビーティと再会、旧交を温めて別れていく。
日本の右派は戦後GHQのプレス・コードに文句を言っているが、あの程度の事前検閲に騒ぐことはない。敗戦国ならごく当たり前のことだ。アメリカ映画界は1968年まで半世紀以上も或る意味それより厳しい制限を受けていた。それがヘイズ・コードである。
本作冒頭のシーンなど1961年の映画としてはかなり大胆だったのではないか(アメリカの映画は裸はおろか、男女の同衾も、初夜も描けなかった。濃厚なキスもダメだった)。内容的にも、性的欲動が重要な要素として扱われること自体が驚きで、この辺りからヘイズ・コードが撤廃される下地が出来始めていたのだなと感じる。
この映画が当時アメリカで高く評価されたのはそうした理由もあったのだろうと想像したくなるわけだが、ぐっと進んだヌーヴェルヴァーグの映画を見ていた日本の映画ファンには何ということもなかったはずである。
映画史の勉強はこの辺で終わりにするとして、全体の印象は「ロミオとジュリエット」のヴァリエーションを「エデンの東」風に味付けした感じ。悲劇とまでは行かないが、痛々しい青春模様がひりひりする思いを抱かせる。
「草原の輝き」というタイトルにも使われたワーズワースの名詩は、青春の終わりに思いを馳せ、若さやその感性の喪失を痛みと思わず力にして行こう、という風に理解できるが、中盤以降この詩が通奏低音的に共鳴するため、却って切なくなってしまう。なかなか印象深い別れの場面で、カザンは表現がさすがに上手い。脚本は「ピクニック」などの劇作家ウィリアム・インジ。
アグネス・チャンの同名曲はこの映画からの着想だろう。今年は「裸足の季節」という映画も観た。
この記事へのコメント
申しましょうか、今的感覚からすると
不自由な風潮の側面をきめ細かな名監督の
演出で光った秀作でしたね。
私ごとですが
先週の金曜日に初ソロライヴ行いまして
2部の冒頭に「エデンの東」テーマ曲を
流麗タッチのピアノで弾いてもらいながら
エリア・カザン演出の素晴しさを、また
彼の消せない歴史的不手際の話を熱く語らせて
もらいました。結局、鑑賞者として「芸術家は、
作品で観てあげようよ」と強調しましてね。
幕切れの切なさ、やるせなさ。その心情を察するだけで辛いものがあります。
カザンの見せ方がまたうまかった。
>初ソロライヴ
いよいよ本格的ですね。ちとご無沙汰しておりますので、貴ブログにお邪魔してみます。
>歴史的不手際
まあ、人は弱い生き物ですからね。
レーガンが、俳優だか官僚だかわけの解らない立場でその音頭を取りながら、それを踏み台に最終的に大統領にまでなったことを考えると、カザンが気の毒なような気がします。
>「芸術家は、作品で観てあげようよ」
僕も断然そのスタンスです。それに尽きますよ。
川本三郎は『スタンド・アローン』でカザンを取り上げていましたが、トルコでもギリシア人という少数民族だったせいで、カザンのお父さんは子供に「とにかく目立つな」と言って周囲に気を配って暮らしていたそうで、家族と移住したアメリカでもギリシア人は後発移民の少数派になりますから、苦労したのだと想像できます。だから、とにかくアメリカで生き延びようとしたカザンを、傍観者が責めるのは酷な気がしました。アカデミー賞で功労賞だか名誉賞だかもらったとき、カザンが出てくると露骨にそっぽ向いて反発を示した人の姿も映りましたが、メリル・ストリープなどは立ち上がって拍手していました。演劇人としては立派な功績がある方ですよね。
アカデミー賞での沙汰は、映画ファンには有名になっていますが、vivajijiさんの仰るように、まずはその作品で評価するのが泰一でしょう。
第二に、nesskoさんの仰るように、移民としての苦労も理解しても良いのではないかと思いますね。カザンの自伝的作品「アメリカ アメリカ」を見たいと思っていますが、未だ叶わず。
演劇での評価、映画での評価自体ももっと高くて良いでしょう。特にIMDbでの評価が伸び悩んでいるのは、本来出来栄えとは関係のない彼の旧悪が足を引っ張っているのでしょうね。
「紳士協定」は同じく劇場で鑑賞、いや、感動しましたね。
オスカーを取ったセレステ・ホルム(アマンダ・セイフライトに似てるかも)がお気に入りでして・・彼女は、年取ってからも美しくて「刑事コロンボ」にもゲストで出演してましたよ。
授賞式の一幕では、スタンディングが当たり前の場面であれですからね・・。
特に60年代に青春を過ごした人たちはもろに腕組みしてガン飛ばしてましたし(笑)スピルバーグなんかもおざなりの拍手でしたが・・。
雑誌「映画芸術」の特集で、日本映画の著名監督、脚本家、評論家らに「もし、あの時あなたがあの場にいたらどういう反応をとったか?」というアンケートを募ってます。
やはり傍観者的立場の日本人によるこのアンケートでは、比較的カザン支持派が多かったように記憶しています。
なかでも印象的だったのは・・
若松孝二「俺はカザンの映画が好きだ。だがな、たかが映画のために友人を売ることはしない」
白坂依志夫「作家は作品がすべて。詐欺師、強盗、スケコマシ、作者の実態なんて何でも構わない」
うーん、僕の心の中でも、若松と白坂の二人がいるような気がしますね・・。
お解りでしょうが(笑)、僕は「エデンの東」派です。
しかし、この作品の青春残照ぶりも良いですねえ。
>「紳士協定」
僕も映画館で観ました。長らく未公開で、やっとという感じでしたよね。
民族差別問題に関心があるので面白く観、感激もしました。
>雑誌「映画芸術」
へぇ、それは面白いアンケートですね。
>比較的カザン支持派が多かったよう
でしょうね。
>若松と白坂の二人がいるような
問題は、マッカーシズムなんですけどね。その意味では、三流俳優レーガンこそ悪党なんです。
映画ファンとしては白坂氏、個人主義の個人としては若松氏でしょうか(と言って、逃げる若しくは誤魔化す・・・笑)
浅野様同様私もエデンよりはこちらに1票入れます。エデンは痛々しくて何度も見る気分になれませんが、こちらは昔3〜4回は観ていますね。どこが違うかって、えぇっと…こちらの方が諦念の美がありますか…?
さすがに最近は観ていませんけどね。
「エデンの東」の方が当時、断然知名度が高かったですね。テーマ曲のインパクトもありましたし。
>こちらの方が諦念の美がありますか…?
僕は断然「エデンの東」なのですが、諦念の美という表現は言い得ていますね。
別の作品で使う機会があれば使わせていただきましょう^^