映画評「小犬をつれた貴婦人」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1960年ソ連映画 監督イオシフ・ヘルフィッツ
ネタバレあり

専攻したということもあり、ロシアには好きな作家が多い(と言うか、好きな作家が多かったから専攻に選んだ)。その中でも戯曲と短編の名手アントン・チェーホフはご贔屓で、特に「退屈な話」と並んで「小犬をつれた貴婦人」は好きである。原作は高校時代に日本語で読み、それから10年後くらいに映画版を観たが、イメージ通りの秀作であった。

19世紀末のロシア。黒海沿岸の保養地ヤルタを訪れた銀行員グーロフ(アレクセイ・バターロフ)は、当地で噂になっている白いポメラニアン犬をつれた貴婦人アンナ(イーヤ・サヴィーナ)に声をかけ、次第にどことなく寂しさを湛えた彼女と懇ろになり、当初はそれほど深い思いもなく各々の家へ帰っていく。
 グーロフは実家のあるモスクワで妻や娘と過ごすも次第にアンナへの思いが募っていき、彼女の嫁ぎ先があるペテルブルクへ赴き、劇場で再会を果たす。彼女は口実を設けてモスクワに会いに来、またの逢瀬を約して家に戻っていく。

ロシアにはレフ・トルストイ「アンナ・カレーニナ」という大長編の不倫小説があるが、最後はアンナの自殺という悲劇で終わる。それから20年後くらいに発表されたこの短編では同じように不倫(嫌いな言葉だ)を扱いながらそうした明確な結末がない。これが純文学が新しい時代に入ったことを感じさせる。実際の人生は「アンナ・カレーニナ」のようにきっちり終わることのほうが珍しいからである。チェーホフにはこういう構成が多く、それが人生の哀感を見事に歌い上げる。大悲劇に一時的に胸を打たれるより怏々(おうおう)と生きていくのを見るほうが我々の脳裏に強く刻まれる。それがチェーホフの人気の所以ではないかと思う。

映画は原作に忠実に展開し、チェーホフ・ファンとして文句なしの出来。映画的に、ヤルタでは遠方から寂しげな歌声が聞こえ、モスクワではオーボエを吹く実写を挿入し、その音を実質的に背景音楽として機能させる工夫が奏功、抜群に哀切極まりないムードを醸成する。
 ソ連映画は旧体制時代のロシア文学の映画化で良いものを多く残したが、本作はその中でも白眉。同じ原作から再構築されたニキータ・ミハルコフ「黒い瞳」も素晴らしかったが、純度ではこちらであろう。

チェーホフは"Life goes on."の作家である、ってか。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック