映画評「駅馬車」(1939年)
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1939年アメリカ映画 監督ジョン・フォード
ネタバレあり
ジョン・フォード監督による西部劇の傑作などと言うまでもない。
乗り物を使ったグランド・ホテルものを「駅馬車もの」というのはこの作品による。しかし、実は日本の「マリアのお雪」(1935年)「有りがたうさん」(1936年)のほうが映画版としては古い。バスを主役にした「有りがたうさん」は人物配置も本作にかなり似ている。
が、ジョン・フォードや脚本を書いたダドリー・ニコルズがこれらの日本映画を参考にしたわけではないようで、原作を書いたアーネスト・ヘイコックスが乗合馬車ものの名作であるモーパッサンの短編小説「脂肪の塊」を参考にして知恵を絞った話ということで、フォード自身も「『駅馬車』は『脂肪の塊』である」と語っているそうである。
御者と7人の客を乗せた駅馬車が、トントからローズバーグを向けて出発、途中で復讐のため脱獄してきた元牧童リンゴー・キッド(ジョン・ウェイン)を加えるが、砦に情報が入ってきたようにアパッチ族が周辺を伺っている環境のため、戦々恐々として馬車を進める。
眼目はこのサスペンスを背景に様々な人間模様を展開することにあり、本作がよく知られた理由の一つであるアパッチ襲撃は実は要素にすぎないのである。
この人物配置が断然素晴らしい。
馬車の乗客たちは、夫君のいるローズバーグへ向かう臨月の大尉夫人(ルイーズ・プラット)と銀行家(バートン・チャーチル)を別にすれば、社会から嫌われている者ばかりであるが、これらの人々は非常に人間的であり、一緒に戦おうとしたり、出産を巡って協力したりするうちに、その本来の性情を発揮して人間的に更生したり再生したりするのである。酒浸りの医師(トーマス・ミッチェル)は酒を抜き、賭博者人生に落ち込んだ名家出身らしい男(ジョン・キャラダイン)は夫人を守ろうとした挙句に死ぬ。
そうした人間関係のアンサンブルのうちでハイライトとなるのが、脱獄囚リンゴーと愛国婦人会のアメリカ版みたいな婦人矯風会に差別されまくる酒場女ダラス(クレア・トレヴァー)の恋である。
彼女が卑しい商売をしているか定かではないが、排斥されているのだからその類であることは間違いない。しかし、卑しい職業(と決めつけるのも個人的には好かないが)についている人が卑しいとは決まっていないのは言うまでもなく、寧ろそうした決めつけをする人物こそ相対的に悪であることが多かったりする。それが証拠のように、協調性のなさそうな成功者たる銀行家が横領でローズバーグで逮捕される逆転がある。
映画としての魅力No.1はこれ即ち人間模様である。
勿論、アクションとしても抜群で、前出アパッチ襲撃の場面はロングショットを駆使して手に汗を握らせる。ジョン・ウェインが御者台から馬に移動し、馬から発砲する。スタントを使っているのだろうが、誰がやっても実写は実写であるわけで、変な合成で誤魔化していないのだから、凄い。
ローズバーグでの決闘は最小限に見せる。発砲の瞬間はあるが、その結果は次のショットまでお預け。敵役が酒場に入ってきて「すは、リンゴーがやられたのか」と思っていると、ばたりと倒れる。本作が始めた見せ方ではないようだが、本作が上手く扱った結果だろうか、現在でも引き継がれている。
ところで、現在アメリカのTVで本作は放映されないようである。理由はインディアンの一部族であるアパッチを敵役としている=インディアン差別ということ。殆どの映画ファンは理解しているが、本作におけるアパッチは記号として考えれば良いことで、敵役=差別という理解は早合点であろう。
現に、製作者側は、本作のアパッチ族役に生活に困っていたインディアンを起用し、面倒を見たと聞く。或いは、アメリカ映画が日本のヤクザを悪役として扱ったとして、日本人全体を敵と考えていることにはならないだろうに。
しかし、僕だけに限らず日本の映画ファンが高く評価するこの作品が、IMDbでの平均点において7.9に留まり、ベスト250に入らないのは、インディアン差別と考える人々が足を引っ張っているからに違いない。
右と左が喧嘩しあって、自由を重んじる中間的な人種にとって肩の凝る世の中になったものです。
1939年アメリカ映画 監督ジョン・フォード
ネタバレあり
ジョン・フォード監督による西部劇の傑作などと言うまでもない。
乗り物を使ったグランド・ホテルものを「駅馬車もの」というのはこの作品による。しかし、実は日本の「マリアのお雪」(1935年)「有りがたうさん」(1936年)のほうが映画版としては古い。バスを主役にした「有りがたうさん」は人物配置も本作にかなり似ている。
が、ジョン・フォードや脚本を書いたダドリー・ニコルズがこれらの日本映画を参考にしたわけではないようで、原作を書いたアーネスト・ヘイコックスが乗合馬車ものの名作であるモーパッサンの短編小説「脂肪の塊」を参考にして知恵を絞った話ということで、フォード自身も「『駅馬車』は『脂肪の塊』である」と語っているそうである。
御者と7人の客を乗せた駅馬車が、トントからローズバーグを向けて出発、途中で復讐のため脱獄してきた元牧童リンゴー・キッド(ジョン・ウェイン)を加えるが、砦に情報が入ってきたようにアパッチ族が周辺を伺っている環境のため、戦々恐々として馬車を進める。
眼目はこのサスペンスを背景に様々な人間模様を展開することにあり、本作がよく知られた理由の一つであるアパッチ襲撃は実は要素にすぎないのである。
この人物配置が断然素晴らしい。
馬車の乗客たちは、夫君のいるローズバーグへ向かう臨月の大尉夫人(ルイーズ・プラット)と銀行家(バートン・チャーチル)を別にすれば、社会から嫌われている者ばかりであるが、これらの人々は非常に人間的であり、一緒に戦おうとしたり、出産を巡って協力したりするうちに、その本来の性情を発揮して人間的に更生したり再生したりするのである。酒浸りの医師(トーマス・ミッチェル)は酒を抜き、賭博者人生に落ち込んだ名家出身らしい男(ジョン・キャラダイン)は夫人を守ろうとした挙句に死ぬ。
そうした人間関係のアンサンブルのうちでハイライトとなるのが、脱獄囚リンゴーと愛国婦人会のアメリカ版みたいな婦人矯風会に差別されまくる酒場女ダラス(クレア・トレヴァー)の恋である。
彼女が卑しい商売をしているか定かではないが、排斥されているのだからその類であることは間違いない。しかし、卑しい職業(と決めつけるのも個人的には好かないが)についている人が卑しいとは決まっていないのは言うまでもなく、寧ろそうした決めつけをする人物こそ相対的に悪であることが多かったりする。それが証拠のように、協調性のなさそうな成功者たる銀行家が横領でローズバーグで逮捕される逆転がある。
映画としての魅力No.1はこれ即ち人間模様である。
勿論、アクションとしても抜群で、前出アパッチ襲撃の場面はロングショットを駆使して手に汗を握らせる。ジョン・ウェインが御者台から馬に移動し、馬から発砲する。スタントを使っているのだろうが、誰がやっても実写は実写であるわけで、変な合成で誤魔化していないのだから、凄い。
ローズバーグでの決闘は最小限に見せる。発砲の瞬間はあるが、その結果は次のショットまでお預け。敵役が酒場に入ってきて「すは、リンゴーがやられたのか」と思っていると、ばたりと倒れる。本作が始めた見せ方ではないようだが、本作が上手く扱った結果だろうか、現在でも引き継がれている。
ところで、現在アメリカのTVで本作は放映されないようである。理由はインディアンの一部族であるアパッチを敵役としている=インディアン差別ということ。殆どの映画ファンは理解しているが、本作におけるアパッチは記号として考えれば良いことで、敵役=差別という理解は早合点であろう。
現に、製作者側は、本作のアパッチ族役に生活に困っていたインディアンを起用し、面倒を見たと聞く。或いは、アメリカ映画が日本のヤクザを悪役として扱ったとして、日本人全体を敵と考えていることにはならないだろうに。
しかし、僕だけに限らず日本の映画ファンが高く評価するこの作品が、IMDbでの平均点において7.9に留まり、ベスト250に入らないのは、インディアン差別と考える人々が足を引っ張っているからに違いない。
右と左が喧嘩しあって、自由を重んじる中間的な人種にとって肩の凝る世の中になったものです。
この記事へのコメント
ブーブー言いながらも、やはり
この名作はがっつり録画しました。
人間模様を滑らかに観せるお手本映画。
ジョン・ウェインの精悍かつ無骨な中に
見せる優しさ、適材適所の人物配置や機微に
何度見ても溜め息が。
当初、付けられた邦題を思い出すたび
淀川さんでなくとも思わず
笑ってしまいます。(^^)
一つ気になることがあるのですが、あのルーシーさんは身重の体でなぜバージニアからアリゾナ迄という長旅に出たのでしょうか?
>西部劇偏重気味
ドラマやサスペンスが少ないですね。
高齢者は西部劇が好きと決め込んでいるふしがあります。今の65歳くらいは、西部劇が衰退しつつある時期に青春を過ごして世代ですよ。
しかし、先週の特集は良いラインアップでした。
>ジョン・ウェイン
出現するシーンの格好よさ。
女性に関してこういうストレートな行動をウェインは、スターになってからは観られなくなりましたね。
>適材適所の人物配置や機微
全くその通りでございます。
>当初、付けられた邦題
淀川さん自ら名付けたこの邦題で良かったですよ。
あれでは洒落にもならない(笑)
>最後のトラックバック
映画ファンにとっては有難い存在のgooまでTB停止とは。
ブログ人気が益々希薄になりますね。
>ルーシーさん
日本ではありえない設定ですけれど、旦那さんに会いたくなったということしか、僕には考えられませんねえ。