映画評「いとこ同志」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1959年フランス映画 監督クロード・シャブロル
ネタバレあり

ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーほど人気はないが、クロード・シャブロルはヌーヴェルヴァーグの重要監督である。

最初観た時は鮮烈なカメラとエキセントリックなお話にビックリし大いに気に入ったものだが、二度目・三度目と見るに連れお話の面白味は減じてきた(当たり前だが)。
 しかるに、全体的に、いまだ欧米のインディ映画界から類似する感覚の作品が送られてくるのをたまに目にすると、ヌーヴェルヴァーグの影響力の凄さを再認識させられるのである。その中でも本作は同時代的に最も瑞々しい作品だったのではないだろうか。

田舎の秀才学生シャルル(ジェラール・ブラン)がパリに出、同じく学生の金持ちの従兄ポール(ジャン=クロード・ブリアリ)のアパートに同居して法学士を目指す。ちゃらんぽらんで遊び惚けているポールの取り巻きである女子学生フロランス(ジュリエット・メニエル)に一目ぼれし、相思相愛になるが、ポールは彼とすれ違ってアパートにやって来た彼女をものにし、彼の眼も憚らず同棲を始める始末。やりきれない彼は勉強に励むが、ポールがカンニングをして合格したのに対し彼は落第する。やけになってポールに拳銃を向ける変則的なロシアン・ルーレットは空しく空砲、翌朝寝起きで何も知らない従兄が冗談に撃つと、シャルルに命中して即死する。

真面目で要領が悪く、運にまで見放されてしまう従弟と、その従兄の対照ぶりは、現代の若者をめぐる寓話と言うべきで、「甘い生活」(1960年)の学生版のような退廃的な風俗模様には当時の実社会を反映している感じがあるものの、余り真面目に捉える必要はないのかもしれない。

初鑑賞時には相当インパクトがあったお話だが、今回観ると圧倒的なのはアンリ・ドカエのカメラである。人物の、特に複数の人物が交錯する時の、その心理に応じた繊細なカット割りや移動撮影が抜群で、ドカエは直後に作られるヌーヴェルヴァーグを強く意識したメジャー作「太陽がいっぱい」(1960年)に起用されることになる。

一応殺人の罪に問われるであろうポールの未来がどうなるのか解らない。しかし、「いとこ同志」は「いとこ同士」が正しいはず。「探偵物語」を誤訳としたのは僕の間違いだったので、下手なことは言えないのだが。

この記事へのコメント

十瑠
2017年11月22日 18:53
高校生の頃から気になっていた映画で、1コインDVDを3年前に買って観ました。
いとこ同士の関係は、日本人の感覚で想像していた微妙な味わいは薄く、生々しいフランス人の感覚に違和感を持ちましたね。若者の生態描写に日活青春映画を髣髴とさせるムードもありましたが、終盤の展開は強引にも見えました。

>アンリ・ドカエ

部屋の中を360度ぐるっと回す手法があって、当時は斬新だったであろうとツイッターには書いております。

>「甘い生活」(1960年)

先日、ワイダの「夜の終りに」(1961)を見ましたが、60年前後のヨーロッパ映画の若者風俗は似た所も多いなと感じた次第です。
オカピー
2017年11月22日 22:23
十瑠さん、こんにちは。

僕は、「スクリーン」のベスト10で紹介されているのを見て非常に興味を覚え、それから十数年後多分始まったばかりのBSで初めて観たと思います。カフカのそれとは違う意味での不条理な展開に相当びっくりしましたね。

>日活青春映画を髣髴
本作の3年前に「狂った果実」が作られていて、トリュフォーもシャブロルも影響を受けたようですね。
ヌーヴェルヴァーグは実は日本から始まっていた、と考えるのが最近の映画史の理解かもしれませんよ。

>終盤の展開は強引
多分理屈ではないんでしょうね。

>アンリ・ドカエ
色々やっています。
ドカエの功績ではありませんが、騒々しい部屋の中をガラス張りの外から無音で捉えたところの感覚も非常に良かったです。

>60年前後のヨーロッパ映画の若者風俗は似た所も多いな
僕も各国の映画を観てそう思いました。

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