映画評「リトル・ボーイ 小さなボクと戦争」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2015年メキシコ=アメリカ合作映画 監督アレハンドロ・モンテベルデ
ネタバレあり
“リトルボーイ”は広島に落とされた原爆の(種類の)名前だが、驚いたことにそこからメキシコの監督アレハンドロ・モンテベルデが着想した物語であるそうな。
太平洋戦争中のカリフォルニアの漁村。8歳の少年ペッパー(ジェイコブ・サルヴァーティ)は年齢の割に小さな体から“リトル・ボーイ”という綽名をつけられ周囲からからかわれる。そんな少年を慰めるのは彼を相棒と呼ぶ父親ジェームズ(マイケル・ラパポート)とスーパー・ヒーロー的な奇術師“ベン・イーグル”である。ところが、兄のロンドン(デーヴィッド・ヘンリー)が扁平足で徴兵検査に落ち、その代わりに父親が出征することになる。
その頃初老の日系人ハシモト(ケイリー=ヒロユキ・タガワ)が収容所より解放されて村に住み着き、村民たちから差別される。少年も石を投げつけたりするが、それを見たオリバー司祭(トム・ウィルキンスン)は、父が無事に戻ってくるという少年の願いを叶えるための善行リストを渡す。その中にはハシモトに親切にしろという項目もある。名目は願いを叶える為のリストだが、実際には日系人に親切にしろというのが眼目であっただろう。
やがて父親が日本軍の捕虜になったらしいという報が届く。善行をクリアしていくうちにハシモトと本当に仲良くなり、やがて偶然が手伝って彼が幾つかの奇跡を成し遂げる。その一つが彼が念力を送った時間に起きた“リトルボーイ”投下による広島壊滅である。彼は一時これを喜んだものの、母親(エミリー・ワトスン)が咎め、その予想通り日本軍は捕虜を殺そうと計り、やがて父戦死の一報が届く。が、それは彼のブーツを盗んで履いていた兵隊が誤認されたことが判明、父親は無事に帰ってくる。
ファンタジー、というより戦争を巡る寓話である。少年の願いがモチーフであるからこういうハッピー・エンドが良い。実社会の厳しさを感じさせるのであれば、父親の死で終わることが必要不可避であるが、念願を達成する為には何でもするという少年の健気な様子をここまで徹底的に描いてそれでは後味が良くなくなる。この作劇で正解であろう。
本作が作られたのはトランプ政権が誕生する以前2015年であるが、監督はメキシコ人であるから、やはり奇跡の物語を通して差別や排除の問題を見せようとしたと思われる。
少年もハシモトも村の中で異分子であり、この二人が仲良くなるのはシネマツルギー上、必然である。少年の一念は全ての排除を乗り越えていく。奇跡を通して村民の関心を集めたのは言うまでもなく、兄が排除しようとしていたハシモトを結果的に助けるのも少年の一念があってこそと解釈できるのである。
そんな理屈を別にしても、寓話らしく色々と面白い挿話が次々と語られ、大いに楽しめる一編。
ブーツの一件で先が読めないといかんでしたな(反省)。ハシモトの語る日本の昔話に出てくる人物名が“マサオ・クメ”。どうして作家の久米正雄が出てくるのかと思ったら全く関係がなかった。
2015年メキシコ=アメリカ合作映画 監督アレハンドロ・モンテベルデ
ネタバレあり
“リトルボーイ”は広島に落とされた原爆の(種類の)名前だが、驚いたことにそこからメキシコの監督アレハンドロ・モンテベルデが着想した物語であるそうな。
太平洋戦争中のカリフォルニアの漁村。8歳の少年ペッパー(ジェイコブ・サルヴァーティ)は年齢の割に小さな体から“リトル・ボーイ”という綽名をつけられ周囲からからかわれる。そんな少年を慰めるのは彼を相棒と呼ぶ父親ジェームズ(マイケル・ラパポート)とスーパー・ヒーロー的な奇術師“ベン・イーグル”である。ところが、兄のロンドン(デーヴィッド・ヘンリー)が扁平足で徴兵検査に落ち、その代わりに父親が出征することになる。
その頃初老の日系人ハシモト(ケイリー=ヒロユキ・タガワ)が収容所より解放されて村に住み着き、村民たちから差別される。少年も石を投げつけたりするが、それを見たオリバー司祭(トム・ウィルキンスン)は、父が無事に戻ってくるという少年の願いを叶えるための善行リストを渡す。その中にはハシモトに親切にしろという項目もある。名目は願いを叶える為のリストだが、実際には日系人に親切にしろというのが眼目であっただろう。
やがて父親が日本軍の捕虜になったらしいという報が届く。善行をクリアしていくうちにハシモトと本当に仲良くなり、やがて偶然が手伝って彼が幾つかの奇跡を成し遂げる。その一つが彼が念力を送った時間に起きた“リトルボーイ”投下による広島壊滅である。彼は一時これを喜んだものの、母親(エミリー・ワトスン)が咎め、その予想通り日本軍は捕虜を殺そうと計り、やがて父戦死の一報が届く。が、それは彼のブーツを盗んで履いていた兵隊が誤認されたことが判明、父親は無事に帰ってくる。
ファンタジー、というより戦争を巡る寓話である。少年の願いがモチーフであるからこういうハッピー・エンドが良い。実社会の厳しさを感じさせるのであれば、父親の死で終わることが必要不可避であるが、念願を達成する為には何でもするという少年の健気な様子をここまで徹底的に描いてそれでは後味が良くなくなる。この作劇で正解であろう。
本作が作られたのはトランプ政権が誕生する以前2015年であるが、監督はメキシコ人であるから、やはり奇跡の物語を通して差別や排除の問題を見せようとしたと思われる。
少年もハシモトも村の中で異分子であり、この二人が仲良くなるのはシネマツルギー上、必然である。少年の一念は全ての排除を乗り越えていく。奇跡を通して村民の関心を集めたのは言うまでもなく、兄が排除しようとしていたハシモトを結果的に助けるのも少年の一念があってこそと解釈できるのである。
そんな理屈を別にしても、寓話らしく色々と面白い挿話が次々と語られ、大いに楽しめる一編。
ブーツの一件で先が読めないといかんでしたな(反省)。ハシモトの語る日本の昔話に出てくる人物名が“マサオ・クメ”。どうして作家の久米正雄が出てくるのかと思ったら全く関係がなかった。
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