映画評「ジュリエッタ」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2016年スペイン映画 監督ペドロ・アルモドバル
ネタバレあり

「オール・アバウト・マイ・マザー」でペドロ・アルモドバルは、初期の猥雑さを捨て、人の心理を扱う名人となる。本作はその系列の作品である。邦題はイタリア語風に「ジュリエッタ」だが、劇中では「フリエッタ」と発音される。原作がカナダ人作家アリス・マンローの「ジュリエット」なので、その中間を取った形。

因みに、一人の女性を若い時と中年時という区別で二人の女優が演じている。この女優の入れ替えに工夫があって面白い。憔悴したヒロインを関係者が風呂から出し、タオルで顔を拭く。そのタオルが除かれると、別の女優になっているのである。

最近再読した堀辰雄「菜穂子」に似て、本作の主人公の中年女性フリエッタ(エマ・スアレス)は13年間行方の知れない娘アンティアに当てて、自分の人生を綴る手記を書き始める。
 30年以上前、代理教師だったフリエッタ(アドリアーナ・ウガルテ)は旅の列車内で、寝たきりの妻のいる若い漁師ショアン(ダニエル・グラオ)と知り合い、結局は妻の死後アンティアを設ける。
 十数年後、ショアンは女流造形作家のアバ(インマ・クエスタ)と多少訳ありで、嵐の起きる日に漁に出て帰らぬ人となる。それを知ったアンティアはやがて瞑想の旅に出ると言って失踪する。それが13年前である。
 現在、フリエッタは娘の親友と偶然再会し娘の現状を知るに及び、恋人の作家ロレンソ(ダリオ・グランディネッティ)とポルトガルに移住する計画を突然止める。そこから手記が始まるわけである。ある時突然娘から手紙が届く。ポルトガルから戻ってきたロレンソと彼女のいるスイスへ向かう。

女性たちの娘としての、母親としての心情を綴る内容である。
 アンティアが母親に手紙を書くのは、9歳の長男を失って「子供のいなくなった母親の気持ち」に気づいたからだ。老父が認知症の母親のそばで介護の女性と懇ろになっているのに感心できなかった娘としてのフリエッタにしても、ショアンと出会って不倫関係でに陥るわけで、かつて娘であった母親と母親になった娘の関係を二重に絡ませながら、最終的には母親としての心情に焦点を当てていく。この辺りがアルモドバルらしいところでござる。

妻が重篤と知りながらフリエッタがショアンに会いに行く件(くだり)はその後の家政婦(ロッシ・デ・パルマ)の対応を含めて、日本人にはピンと来にくい、やや極端な作劇であるが、トータルとしては、しんみりとさせるところがあって手応えのある内容と言いたくなる。アルモドバルらしい鮮やかな配色と魅力的な画面構成の貢献も大きい。

配給会社にはフェデリコ・フェリーニ「魂のジュリエッタ」が念頭にあったか? そんなわけはなかろうが、オールド・ファンはどうしても想起してしまうのでござる。

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