映画評「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」

☆☆★(5点/10点満点中)
2017年アメリカ=ニュージーランド=カナダ合作映画 監督ジェームズ・ガン
ネタバレあり

スーパー・ヒーローもの系はたまに作られると有難いともう十年以上も馬鹿の一つ憶えのようにずっと言い続けてきた。しかし、特にマーヴェル・ステュディオ映画は評判が良く、僕が何を言ってもダメなようです。文句を言いつつ楽しんでしまうのがマーヴェル映画の例であるが、本シリーズのようにコメディー色が濃すぎるのは僕の趣味に合わず、点を伸ばせない。
 僕がよく伺っている映画ブログの諸氏諸嬢もほぼ絶賛状態ながら、“空気を読むという考え方は他人への配慮ではなく、自己保身に過ぎず、感心できない”と思っているので、今回は逆らってみる。

前作にも出てきたソヴリン星(といういかにもな命名)で捕獲された女悪党ネビュラ(カレン・ギラン)をピーター・クイル(クリス・プラット)らと共にガーディアンズ・オブ・ギャラクシーを構成する女丈夫ガモーラ(ゾーイ・サルダナ)が受け取りに出かける。彼女はネビュラの姉である。
 しかし、去る際にアライグマの姿をしたロケット(声:ブラッドリー・クーパー)が星の重要な資産である電池を盗んだために追われる羽目になって遭難、辛うじて別の惑星に不時着する。
 そこに現れたのが、エゴ(カート・ラッセル)と名乗る天人即ち神で、主人公ピーターの父親と言う。別行動のロケットの前には襲撃した一味のリーダーのヨンドゥ(マイケル・ルーカ―)が現れるが、反逆に遭ってリーダーの座を追われ、結局助けてくれたロケットと共に、エゴに騙されかけているピーターを救いに向かう。

お話は単純と言えば単純だが、一つのグループが二手に分かれる展開なので、135分という内容以上に長い尺になってしまった。「パイレーツ・オブ・カリビアン」で本来一緒に行動すべきグループを二手に分けるのはお話をつまらなくするだけと言ったのが正に証明されるような形だが、世間の人は気に入ったらしい。映画論的に理想的でない作劇が大衆に受けないとは限らないのだから、それも良しとする。

まだるっこくなった一大要因たる、姉妹と父子の愛憎関係が重要なテーマとなっているのを好む人もいよう。意外としっかり扱われているが、下ネタが足を引っ張る。

しかし、次々と繰り出されるパロディーは楽しめる。一番面白いのは、エゴというふざけた名称の神もどきで、彼が人間に似せて自身の姿を作るというくだり。キリスト教徒は神が自身に似せて人を作ったというが、その逆、アンリ・キリスト教的な解釈をしているおふざけぶりがニヤッとさせるのだ。しかし、彼はゼウスのような感じもあり、あくまで神(=父)もどきなので、信心深いキリスト教徒でも問題なく観られるだろう。

洋楽ファンには、前作同様、ジョージ・ハリスン「マイ・スイート・ロード」、チープ・トリック「サレンダー」等、70年代を中心としたヒット・ポップスがお楽しみ。

ディズニー映画に出始めた頃のカート・ラッセルは、頼りない少年(今の概念なら青年か?)役ばかりだったのだ。若い人は想像もつかんだろう。突然タフ・ガイとして再登場した時には本当にびっくりした。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック